Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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私の編集長時代 勇気与える″日本一の雑誌″を

1998.11.5 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  人は、人との出会いによって、心の世界を広げる。
 もう五十年も前になるが、私は戸田先生の出版社で編集の仕事に携わらせていただき、作家など、随分多くの方々と交流をもつことができた。
 すぐに頭に浮かぶだけでも、作家、詩人では、江戸川乱歩、西条八十、野村胡堂、山岡荘八、横溝正史、山手樹一郎、佐々木邦(くに)、山中峯太郎、小栗虫太郎、海野十三、南洋一郎、山田克郎、橋爪健、白木茂、小西茂木、北町一郎、城昌幸、藤島一虎らの各氏がおられる。
 画家では、山口将吉郎、小松崎茂、山川惣治、田代光、村上松次郎、富田千秋、飯塚羚児、松野一夫、玉井徳太郎ら、漫画家では、杉浦茂、島田啓三、芳賀まさお、石田英助らの方々のことが忘れられない。
2  一九四九年(昭和二十四年)の一月、二十一歳で戸田先生の会社に入社した私は、少年雑誌『冒険少年』の担当となり、その年の五月に編集長となった。
 ″先生の会社を、この雑誌を、日本一にしたい″
 それが私の決意であった。
 子供に夢を与える雑誌を作ろうと、作家や画家とも、よく語り合った。
 ある時、独特の気品と精密な武者絵で知られる、山口将吉郎画伯が、炬燵で火傷をされたと伺った。
 お見舞いに行くと、若い編集者の来訪をことのほか喜ばれ、こんな話をしてくださった。
 ――最初、刀を、右に差すのか、左に差すのかもわからず、編集者に叱られたこと。
 どうやって、人が動いているように見せるか、また、刀と刀がぶつかる、チャリンという音が聞こえるような絵にしたいと、夜も眠らず研究したこと。
 私は、この話に、過酷なまでの「挑戦」の息遣いを感じた。
 山口画伯には、後に、『大白蓮華』に連載された、小説『日蓮大聖人』(湊邦三著)の挿絵も担当していただいている。
3  このころ、既に、戸田先生の出版社の経営は、かなり厳しいものになっていた。
 しかし、私は、さらに工夫を重ね、「おもしろく、ためになる」最高の雑誌を作り、事態を打開しようと、四九年(同二十四年)の十月号から、『冒険少年』を『少年日本』と改題し、内容も一新した。
 小説にも力を注いだ。当時、少年少女に最も人気があった作家が、山岡荘八氏であった。
 氏の多忙を承知で、私は、懸命に執筆をお願いした。
 「子供は、未来からの使者です。その子供に勇気を与え、正義の心を育てたいのです」
 氏は、髭を蓄えた口もとに、微笑を浮かべて頷かれた。
 「書きましょう。あなたの情熱に打たれた。
 小説は、何よりも、おもしろくなければならない。読者が手に汗を握り、正しい者の受難に涙したり、思わずプーッと吹き出したりしながら、心が高まるような作品を、あらん限りの知恵を絞って書きますよ」
 そうして始まったのが、『紅顔三剣士』であった。
 後年、氏は、聖教新聞に『高杉晋作』を、二年四カ月にわたって連載されている。
 また、ある作家が、「君は本当に、誠実だね」と言われ、一筆、本に『二程粋言にていすいげん』(北宋の儒書)から、「だ篤実のみ以て 大事に当たるべし」(誠実さをもってこそ、大事に当たることができる)と認めてくださった。

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