Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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青年と教学 最高峰の哲学で人生の骨格を

1998.8.19 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「世界を動かすものは思想である」(『自警録』講談社学術文庫)とは、国際連盟事務局次長を務めた、新渡戸稲造の言葉である。
 さらに、彼は言う。
 「世の中の欲もすなわち名誉も富貴も知らない清浄無垢の青年時代に起こる思想が実に貴い」(同前)と。
 彼が牧口先生と親交があったことは有名だが、この考えは、先生とも一致している。
 青年時代に、胸中に築かれた思想は、心を輝かすダイヤモンドである。
 九月六日には、青年部教学試験(二級)が実施される。この夏、研鑽の汗を流している友は数多い。
 最高峰の人間をつくる、最高峰の哲学が教学である。
 その宝の思想・哲学をもった青年の熱と力が、新しき世紀を創るのだ。
2  青年に、なぜ教学が必要なのか。さまざまに論じられるが、私は、教学研鑽の意義は、次の三点にあると考えている。
 第一に、「信心を深めゆくための教学」である。
 戸田先生は、戦時中の軍部政府の弾圧で、同志の大多数が退転していったことについて、無念極まりない様子で、こう言われていたことが忘れられない。
 「皆、教学なきゆえに、信心がわからず、臆病になり、法難に負けてしまったのだ。残念なことだ。もう、こんな失敗はしないぞ」
 教学は、信心の軌道を照らし出す灯台である。
 競い起こる障魔の複雑な様相も、仏法の明鏡に照らせば、すべて明らかになる。
 自己の堅固なる信心の骨格をつくり、人間革命の源泉となっていくのが教学といってよい。
 ゆえに、戸田先生は、教学をもって学会の再建に着手され、まず法華経講義を始められたのだ。
 第二に、「広布推進の原動力のための教学」である。
 御書には、日蓮仏法の正義が、破邪顕正の折伏・弘教の道が示されている。
 また、広布の戦いに臨む姿勢も、仏法指導者の在り方も、人材育成の要諦も、余すところなく説き明かされている。
 御書を学ぶことは、大聖人の御精神に触れることである。御本仏より、広宣流布の御指南を仰ぎ、最大の励ましをいただくことでもある。
 その御書に仰せの通りに行動してこそ、初めて、教学を学んだことになる。いわば「実践の教学」なくして、仏法の研鑽はない。
 また、そこに、無限の勇気が湧き、最高の力を発揮することができるのだ。
 第三に、「新しき人間主義の哲学を確立するための教学」である。
 核戦争、民族紛争、環境問題、教育の荒廃等々、現代のかかえる問題はあまりにも深刻といえる。
 人びとは、世界の「平和」と「幸福」を希求しながらも、事態はますます混迷の度を深めている。生命の哲学なきゆえである。
 その解決の光源は、最早、仏法以外にない。生命の尊厳と慈悲の哲理、色心不二、依正不二などの原理に立ち返ってこそ、新しき人間主義の道が開かれる。
 戸田先生の、あの「原水爆禁止宣言」も、人類を守りゆく、仏法の哲理から発したものであった。
 二十一世紀を担う青年たちが、仏法思想を身につけずしては、人類の未来の栄光はない。
3  我らの哲学は、全人類を幸福にする世界最高の哲学である。その大法を持った青年も、さまざまな次元で、世界的指導者となるのだ――それが、戸田先生の確信であられた。
 教学に取り組む先生の姿勢は、常に剣豪の修行を思わせた。
 ある時、先生は、大阪へ一般講義に行かれたが、最悪の体調で、一旦は、教学部長に代講の準備を指示されたことがあった。
 しかし、夕方になると、すっくと起き上がって言われた。
 「やはり自分が講義しよう。寿量品に『所作仏事。未曾暫廃』の文がある。仏様は、しばしも休むことなく不幸な民衆を救っておられるということである。
 わざわざ講義のために来ておりながら、代講で済ませるわけにはいかない。もし、講義の途中で死んだとしても、それで本望だ」
 命がけで講義されたお姿を通し、私は、大聖人の仏法を伝える峻厳さを教えていただいたのである。

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