Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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われら壮年の活躍 獅子が立てば大衆は勝利!

1998.6.24 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  広宣流布の「大黒柱」である壮年への、同志の期待はあまりにも大きい。
 それゆえに、慈愛の心強き、「広布の母」たちは言う。
 ある婦人の曰く。
 「なぜ壮年は、なかなかやる気を出さないのですか」
 やる気はある。それを表現しないだけである。「忠臣蔵」の討ち入りのごとく、最後に、皆をあっと言わせようと思っているからだ。
 また、ある婦人の曰く。
 「どうして壮年は、腰が重いんでしょう」
 慎重なのである。無駄な動きをせぬよう、機が熟すのを待っているのだ。
 さらに、ある婦人の曰く。
 「なんで壮年は、臆病なんでしょう。言うべきことも言わないで」
 臆病ではない。思慮深いのである。相手を思いやり、饒舌にならぬよう、言葉を選んでいるのだ。
 私も壮年部である。わが親愛なる壮年同志の気持ちは、私には痛いほどよくわかる。
2  壮年の苦労は、計り知れない。
 不況の風に立ち向かい、家族の幸福を願って人一倍働き、知恵を絞り、職場の第一人者をめざしている。
 しかし、仕事をしているお父さんの″いい顔″を、お母さんも、子供たちも、たいていは知らない。
 たまの休日に、家で休養していれば、「ゴロゴロしてばかりいて」と、速射砲の″口撃″にさらされる。
 可愛い子供が思春期を迎えたとたん、疎んじられるのもお父さん。
 何かあれば、小遣いを最初に削られるのもお父さん。
 抗議をすれば、「この際、タバコをやめて、お酒も控えたらどうですか。健康のためにも」と、容赦のない妻の反撃。
 正論も、時に過酷極まりない圧力となる。
3  そのなかで、学会活動に励み、法のため、社会のため、同志のために献身している壮年部員の、なんと偉大なことか。
 「壮年」の「壮」とは、「さかん」の意味である。
 日蓮大聖人が竜の口の法難を契機に、発迹顕本されたのは聖寿五十歳。
 その時、大聖人のお供をし、決然と立ち上がったのが四条金吾である。彼は、当時、四十を過ぎたばかりの壮年であった。
 以来、大聖人をお慕いしての、佐渡への求道の旅も、所領没収という逆境のなかで、仏法の勝利を打ち立てていくのも、四十代のことである。
 四条金吾は、青年信徒というより、むしろ、わが壮年部の先駆であった。
 時移り、牧口先生の入信も五十七歳。自らの思想と哲学の探究の帰結が、日蓮仏法であり、ここから先師の広宣流布の人生の旅が始まるのである。
 そして、戸田先生が獄中で、広宣流布をわが「天命」と定められたのは四十五歳である。

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