Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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「5・3」と創価の精神 「広布誓願」の獅子よ一人立て

1998.4.29 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  その日は、獅子が敢然と一人立った日である。
 一九五一年(昭和二十六年)五月三日、われらの師匠である戸田先生が第二代会長に就任。平和と幸福への「広布誓願」の大獅子吼が轟いた。
 「私は広宣流布のために、この身を捨てます! 私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします」
 「われわれの手」ではない。「私の手」で、と宣言されたのだ。
 就任の式典が終わると、同志による先生の胴上げが始まった。お体が宙に舞い、眼鏡も落ちそうであった。
 私は、とっさに胴上げの輪の真下へ入り、先生を懸命に支えた。
 ″先生なくして、広宣流布はない。私は、どんなことがあろうが、この先生をお守りするのだ!″
 そう心に誓いながら、恩師のお体を支えた感触は、今もこの手に残っている。
2  先生には、人を頼る気持ちは微塵もなかった。
 草創の築地支部長であった馬場勝種氏が、かつて、「大白蓮華」に書かれた話がある。
 ――遅々として進まぬ活動を見て、先生は烈火のごとく幹部に言われた。
 「本気になって、広宣流布をしていく気がないのなら、やめなさい!
 臆病者はいらぬ。明日から、御本尊の功徳を書いた紙をつけた百匹の犬を、東京中に放っておけ。あとは私が一人で折伏する!」
 その先生に続かんと、私は弟子として毅然と立ち上がった。
 さらに、私に呼応し、次々と青年が立ち上がった。
 「青年よ、一人立て! 二人は必ず立たん、三人はまた続くであろう」との、先生が示された原理通りであった。師のもとで、その青年たちが推進力となって、学会は七十五万世帯を達成したのである。
 団結とは、互いに寄り添い、もたれ合うことではない。一人立つ獅子と獅子との共戦こそが、真の団結といえる。
 そこに、広宣流布という、未聞の大偉業を成し遂げていく要諦がある。
 戸田先生の念願は、ただただ未来の広布のために、後事を託す青年の出現にあった。
 先生はよく、「同志の歌」を歌われたが、「捨つる命は 惜しまねど 旗持つ若人 何処にか」のところになると、射貫くような鋭い視線を、私に注がれた。
 その眼光は、″あとは頼んだぞ。いいか!″と、訴えておられるようであった。
3  美しい青空が、どこまでも広がっていた。
 わが師逝いて二年。1960年(同三十五年)五月三日、私は第三代会長に就任した。
 以来、「詮ずるところは天もすて給え諸難にもあえ身命を期とせん」との御聖訓を胸に、怒濤のなかをひた走った。先生の「広宣流布は、一人の青年が命を捨てれば必ずできる」との言葉が、頭から離れることはなかった。
 来る日も来る日も、苦難と迫害の連続であったが、「難こそ誉れ」と、私は悠々と指揮を執り続けた。
 就任十周年(一九七〇年=昭和四十五年)の佳節となる「5・3」も、学会批判の包囲網のなかでの新出発であった。
 また、会長就任から二十年目に入る、七九年(同五十四年)の「5・3」も……。
 この直前、私は、名誉会長となった。
 その陰には、私を追い落とし、広宣流布の指導者不在の学会にして、意のままに操ろうとする、謀略の輩の画策があった。

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