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日蓮大聖人・池田大作

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聖教新聞の使命 「真実の言論紙」が21世紀開く

1998.4.15 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  新聞は、時代を創る。
 新聞は、邪悪を砕く。
 新聞は、勇気を鼓舞する。
 英雄ナポレオンは言った。
 「古き王朝を終わらせたのは、ヴォルテールでもなければ、ルソーでもなかった。それは新聞であった」
 文豪ユゴーは言った。
 「もし新聞がなかったらフランス革命は起こらなかっただろう」
 民衆が台頭する時、そこには、必ず新聞があった。
2  戸田先生が最初に、学会の新聞をつくるという着想を口にされたのは、一九五〇年(昭和二十五年)の八月のことであった。先生が経営の指揮をとられていた信用組合の経営が行き詰まり、営業停止となった時のことである。
 その日、私は先生とともに、東京・虎ノ門の喫茶店で、信用組合の営業停止を知った、ある新聞社の記者と会った。この帰り道、先生はしみじみとした区長で言われた。
 「新聞というものは、今の社会では想像以上の力をもっている。一つの新聞をもっているということは、じつにすごい力をもつことだ。学会もいつか、なるべく早い機会に新聞をもたなければならんな。大作、よく考えておいてくれ」
 それから四カ月が過ぎた師走、東京・新橋駅近くの、とある食堂で、先生は、力強く、ふたたび私に言われた。
 「新聞を作ろう。機関紙をつくろうよ。これからは言論の時代だ」
 一身に非難の集中砲火を浴びていたなかで、先生は、悠然と、広宣流布の遥かな未来を展望されていたのだ。
 年が明けた五一年(昭和二十六年)二月の寒い夜のこと。
 「いよいよ新聞を出そう。私が社長で、君は副社長になれ。勇ましくやろうじゃないか!」
 こう呼びかけられた先生の勇壮なお顔が、今もって忘れられない。
3  わが「聖教新聞」が創刊されたのは、それから二カ月後の一九五一年(昭和二十六年)四月二十日である。
 発行部数五千部、十日に一度、二ページ建てのスタート。現在の日刊、五百五十万部から見れば、隔世の感がある。
 それは小さな一歩であったが、先生の構想は実に遠大であった。
 紙名をどうするかを検討した折、「文化新聞」「創価新聞」「世界新聞」などの案が出た。
 戸田先生は「将来のことを考え、たとえば『宇宙新聞』なんてどうだい」と、笑いながら言われた。
 結局、「聖教新聞」に決まったが、大宇宙の根本法たる仏法を、世界に伝えゆく新聞をつくるのだという先生の心意気であった。

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