Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

香港万歳! 仲よきことが人間主義の証

1998.2.22 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

前後
1  「東海の真珠」フィリピンの国から、中国の「旭日の港」香港へ。
 昨年七月一日、世界の注目の的となった、あの香港の「中国返還」から、八カ月がたとうとしている。
 変わらず今も、香港のSGIの友は、希望と自信に満ちあふれ、その表情は、限りなく明るく、力強い。
 私にとっては、それが何ものにも勝る、最高のプレゼントである。
 一九八二年(昭和五十七年)、中英間の返還交渉が始まったころ、香港の人びとの心の動揺は激しかった。
 祖国である中国への復帰の喜びと、経済・社会の体制はどうなるのかという不安が交錯していた。
 私はそれまで、中国首脳と数多くの語らいを重ねてきた。そのなかで、中国は香港を大事にすることは間違いないと、強く確信した。
 83年12月、香港を訪問した私は、愛するわがSGIの友に言った。
 「全く心配はない。自由と平和と文化の、国際的発展を誇る、この香港の大地で、妙法に照らされ、守られながら、尊い一生を送っていただきたい」
 また、私どもは、「九七年」を迎えた後も、今までの何倍も、香港の皆様と友好を重ねていく決意であるとも語った。
2  八四年、香港の返還が決まった。
 中国は、「一国二制度」を導入し、香港を特別行政区として、返還後、五十年間にわたって、現在の社会・経済の体制を守ることを公約したのである。
 それでも、歴史の転換期を迎える人びとの不安は、拭えなかったようだ。
 だが、依正は不二なれば、幸福な社会を築く源泉は人間の一念である。
 また、御聖訓には、「南無妙法蓮華経と唱え奉る者の住処は山谷曠野皆寂光土なり」(御書七八一ページ)と仰せである。
 私は、八八年の訪問の折にも、メンバーに訴えた。
 「仮に激動の時があったとしても、絶対に希望が開けないわけがない。必ずや『平和』と『安穏』の楽土が築かれ、『幸福』の人生を輝かせていくことができるのである」
3  香港の同志は、アジアの幸福と平和の花園を開きゆく先駆者として、決然と立ち上がった。
 そして、中国返還の慶祝行事には、合唱団、体操隊、鼓笛隊、舞踊グループが乱舞した。
 生命の歓喜と躍動に満ちあふれた、その歌声と演技は、「新生香港」の「希望の旭日」となったのである。
 メンバーは、一人ひとりが深き使命を自覚し、はつらつと、社会貢献への歩みを開始している。
 後継の青年部の成長も目覚ましい。「龍昇香港」ここにあり、の感を深くする。

1
1