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日蓮大聖人・池田大作

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学会の救援活動 「広布」とは真心の連帯の広がり

1998.1.14 随筆 新・人間革命1 (池田大作全集第129巻)

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1  まももなく一月十七日。
 あの「阪神大震災」の日がやって来る。
 この三年間、私は一日たりとも、被災地の阪神・淡路の友のことを忘れたことはなかった。
 一日も早い復興を、被災者の皆様の幸福を、また、亡くなられた方々のご冥福を、日々、祈り念じてきた。
 あの朝、大地震発生のニュースを聞くと、私は言った。
 「総力をあげて、救援活動に取り組もう!」
 直ちに、関西と東京に対策本部を設置。地元の会館は避難所として開放。全国に救援を呼びかけ、ドクター部の医師、看護婦も派遣した。
 私には、ハワイ「東西センター」での講演が迫っていたが、出発をぎりぎりまで遅らせてもらい、救援活動が軌道に乗るのを見届けて、日本を発った。被災地の友へ、題目を送り続けながら。
 そして、ハワイでの主要行事を終えると、そのまま関西に向かった。
2  そこで、改めて聞いた同志の懸命な救援活動に、私は、強く感動し、深く感謝した。
 ――バイク延べ九百台、約三千人の青年部で構成されたバイク隊は、寸断された道路をものともせず、不眠不休で、被災者のもとに物資を運び続けた。
 また、怪我を負いながら、負傷者を助けた同志もいた。被災しながらも、人々の励ましに奔走した同志は数知れない。
 崩壊した隣家に何人が住んでいたのかを、一番よく知っていたのも、日頃から地域の友の幸福を祈り、友好活動に励んでいた婦人部の方々であった。
 世界のいくつかのマスコミは、この学会の救援活動を取り上げ、称賛を惜しまなかった。
 生命の尊厳を口にすることはたやすい。社会貢献や平和を論ずることも容易である。
 しかし、大切なことは、個人も、団体も、人びとが生命の危機に直面している時に、実際に、何をしたかであろう。
3  初代会長の牧口先生も、災害時には、率先して救援活動に取り組まれている。
 関東大震災(一九二三年=大正十二年)の折、白金小学校の校長であった牧口先生は、六年生の児童とともに、被災者への援助物資を収集。そのメンバーを「小善会」と名づけている。
 子供たちにできる″わずかな善行″の意味であろうか。
 荷車を引き、無事だった家々を回り、「白金小学校からまいりました。何かご不用の物がございましたら、罹災者のためにどうぞ」と呼びかけて歩くのである。
 初めは気恥ずかしそうにしていた児童の顔が、いつしか誇りに輝いていったという。
 困った人を見て、放ってはおけない――そこに人間の道があり、仏法の心がある。
 この五年後、先生は大聖人の仏法に帰依し、「大善」の道を歩まれる。

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