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第38回「SGIの日」記念提言 「2030年へ 平和と共生の大潮流」

2013.1.26 「SGIの日」記念提言(池田大作全集未収録分)

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1  きょう26日の第38回「SGI(創価学会インタナショナル)の日」に寄せて、池田SGI会長は「2030年へ 平和と共生の大潮流」と題する提言を発表した。
 提言ではまず、国連で新たな取り組みとして「持続可能な開発目標」の制定が目指されていることに触れ、その精神的基軸に「生命の尊厳」を据えることを提唱。貧困や格差、人権侵害、差異に基づく紛争や対立の問題に言及し、解決への方途を仏法思想を通して探りつつ、社会で育むべき精神性として、「他者と苦楽を共にしようとする意志」「生命の無限の可能性に対する信頼」「多様性を喜び合い、守り抜く誓い」の3点を挙げている。
 続いて、平和と共生の地球社会の建設に向けた挑戦として、核兵器を含めた軍縮の推進を提起。広島と長崎への原爆投下から70年となる2015年にG8サミットを開催する際に「『核兵器のない世界』のための拡大首脳会合」を行うことや、2030年までに「世界全体の軍事費の半減」を目指すことを訴えている。また人権の観点から、極度の貧困に苦しむ人々が尊厳を取り戻すための「社会的保護の床」を全ての国で整備することや、国連の枠組みとして「人権教育と研修のための地域拠点」を設けることを提案。
 最後に、緊張が高まる日中関係について、事態の悪化を防ぐための対話を早急に行った上で、「首脳会談の定期開催」による関係の緊密化や「東アジア環境協力機構」の設立を通し、日中の青年たちが力を合わせて人類の未来のために貢献する時代を築くことを呼びかけている。
 「SGIの日」を記念して、平和と共生の地球社会の建設に向けた2030年へのビジョンを展望したいと思います。
2  ミレニアム開発目標の一部が達成
 国連では創設以来、今年で採択65周年を迎える「世界人権宣言」をはじめ、国連総会や世界会議での決議を通して、環境と開発に対する「持続可能な開発」、紛争や構造的暴力に対する「平和の文化」など、人類が共同して追求すべき理念や指標を明示することで、国際協力を推進するための旗印にしてきました。
 昨年9月にも「人間の安全保障」に関する決議が採択されましたが、こうした理念の設定が重要なのは、“現代の世界で何が蔑ろにされているのか”を浮き彫りにすると同時に、どのような取り組みが急務なのかを明らかにして注意を喚起するためです。
 実際、国連で重点課題とされてきたミレニアム開発目標=注1=について、「世界で極度の貧困に苦しむ人々の割合を半減する」との項目が2015年の期限を待たずに達成されました。「安全な飲料水を継続的に得られない人々の割合を半減する」などの目標も実現しており、「初等教育における男女格差の解消」は、あと一歩というところまで前進しています。
 もちろん、このままのペースでは達成が危ぶまれる項目も少なくなく、また、仮に全ての目標が達成できたとしても、多くの人々が劣悪な環境で生命や尊厳を脅かされる状況は依然として残るだけに、さらなる取り組みが急務であることは論をまちません。
 しかし部分的ではあるにしても、これらの成果が意味するものは、“問題意識を共有し、克服すべき課題と期限を明確にした上で、一致した努力を傾注する流れをつくり出すことができれば、世界は着実に変えることができる”という点ではないでしょうか。
 折しも昨年6月の「リオ+20」(国連持続可能な開発会議)で、新たに「持続可能な開発目標」の制定を進めることが決まり、先月には検討のための作業部会が設立されました。
 新目標の期限として予定されている2030年までに何を成し遂げ、どんな世界を築いていくのか──今こそ衆知を結集して、地球社会のグランドデザイン(青写真)を描き出すべきであると訴えたい。
3  文豪ゲーテが剔抉した文明の病理
 「今はすべてが悪魔的速度で、思考においても行動においても一瞬たりとも休むことなく走り過ぎていく」
 「若者たちは非常に幼いうちから急き立てられ、時の渦に飲み込まれていく。豊かさと速さこそ世間が称賛し、誰もが求めてやまないものとなった」(マンフレート・オステン『ファウストとホムンクルス』石原あえか訳、慶應義塾大学出版会)
 この鋭い文明批評は、現代の思想家によるものではありません。18世紀後半から19世紀にかけて活躍した文豪ゲーテの言葉です。
 私は現在、ワイマール・ゲーテ協会顧問のマンフレット・オステン博士と、ゲーテの思想と人生をめぐる連載対談を行っています。
 オステン博士は、ゲーテが『ファウスト』でこの文明の病理を真正面から取り上げ、「すばやいマント」(移動手段)や「すばやい剣」(兵器)、「すばやい金」(マネー)を駆使して欲望を次々とかなえながらも、ついには破滅する人間の姿を描いたことに、注目していました(「加速する時間あるいは人間の自己破壊」山崎達也訳、『東洋学術研究』第44巻第1号)。
 そして、ファウストのためにメフィストが提供したこれらのものを、「形態と呼称は二一世紀初頭と異なるものの、内容的にはまったく同一のものをさす件の悪魔的速度の道具」と位置付け、「現代人にはファウスト博士を同時代人と認める能力が備わっているのだろうか?」と訴えましたが(前掲『ファウストとホムンクルス』)、一体どれだけの人が自分たちの社会と無縁な話と受け流せるでしょうか。
 自国を守るために人類を絶滅させかねない核兵器しかり、格差の拡大や弱者の切り捨てを招いてきた競争至上主義的な社会しかり、経済成長の最優先で歯止めのかからない環境破壊しかり、投機マネーによる価格高騰が引き起こす食糧危機しかり、であります。
 その結果、蔑ろにされてはならないものが、いとも簡単に踏みにじられる悲劇が何度も生じている。それもメフィストの助力を借りずして──。ゲーテが剔抉した病理は、現代においてまさに極まれりと言うほかありません。
 ミレニアム開発目標の趣旨は“世界から、できうる限りの悲惨をなくす”ことにありましたが、この文明の病理に本腰を入れて対処することなくして、事態の改善が一時的に図られたとしても、次々と問題が惹起し、状況が再び悪化してしまう恐れが残ります。
 では、その荊棘を前にして、2030年に向けた新たな挑戦にどう取りかかっていけばよいのか。
 「いつかは終局に達するというような歩き方では駄目だ。その一歩々々が終局であり、一歩が一歩としての価値を持たなくてはならない」(エッケルマン『ゲェテとの対話』上、亀尾英四郎訳、岩波書店。現代表記に改めた)との、ゲーテの言葉が示唆を与えてくれると、私は考えます。
 つまり、事態改善に向けての努力を弥縫策に終わらせず、さまざまな脅威に苦しむ人々が「生きる希望」や「尊厳ある生」を取り戻すための糧として、一つまた一つと結実させながら、時代の潮流を破壊から建設へ、対立から共存へ、分断から連帯へと向け直す挑戦を進めていくことです。
 ゆえに新目標の制定においても、“社会で蔑ろにしてはならないものは何か”を問い直しつつ、平和と共生の地球社会に向けての確かな一歩一歩を導くような精神的基軸を据えることが求められます。私は、その基軸として「生命の尊厳」を提示したい。
 平和と共生の地球社会を一つの建物に譬えるならば、「人権」や「人間の安全保障」などの理念は建物を形づくる柱であり、「生命の尊厳」はそれらの柱を支える一切の土台と位置付けることができます。
 その土台が抽象的な概念にとどまっている限り、危機や試練に直面した時、柱は不安定になり、建物の瓦解も防げない。建物の強度を担保する礎として十分な重みを伴い、一人一人の人間の生き方という大地に根を張ったものでなくては意味を持ち得ません。
 そこで私は、「生命の尊厳」を基軸にした文明のビジョンを浮かび上がらせるために、社会で常に顧みられるべき精神性として、3つのメルクマール(指標)を提起してみたい。

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