Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第33回「SGIの日」記念提言 「平和の天地 人間の凱歌」

2008.1.26 「SGIの日」記念提言(池田大作全集未収録分)

前後
1  混迷の度を増すグローバル社会
 約半世紀にわたり、国際社会を呪縛してきた冷戦構造が終結し“世紀”をまたいで20年近くの歳月が経過しましたが、それにとって代わる新しい世界構造は、まったく見えてきません。
 ライナス・ポーリング博士(ノーベル平和賞、同化学賞受賞者)といえば、生前、私が4度お会いし、対談集を上梓し(1990年10月)、遺志をくんで「ライナス・ポーリングと20世紀」展も世界各地で開催させていただきました。
 その博士が、対談集の冒頭で「今後の世界情勢の動向を思うと、私の胸はおどります。勇気がわきます。ソ連が動きだしました。ゴルバチョフ大統領のリードで、現実に世界軍縮への潮流が流れ始めました。(中略)人類が、初めて『理性』と『道理』にかなった道を歩む。そうした世界への転回が、いよいよ始まったのです」(『「生命の世紀」への探求』、『池田大作全集第14巻』所収)と、明るい展望を語っておられました。90歳を目前にした平和の闘士の温顔が目に浮かぶようです。
 残念ながら、その後の動きは博士の期待を大きく裏切るものとなってしまった。グローバリゼーション(地球一体化)の不可避な流れのなか、その先頭を行くアメリカを中心とする「新世界秩序」なるものも、一時は喧伝されましたが、新たな軋轢を次々と生じ、みるみる退潮を余儀なくされ、現状は無秩序に近い。
 しかし、歴史の歯車を逆転させてはならない。万難を排して、人類意識に立った新たな世界秩序を模索し、構築していかなければ、グローバル社会は混迷の度を増していくばかりであります。
 とはいえ、秩序への模索が種々試みられていることも事実です。過日(1月15日〜16日)、スペインのマドリードで開かれた「文明の同盟フォーラム」=注1=なども、その一例でしょう。国際平和と安全の維持には、文化的な敵意を克服する努力が不可欠として、75以上の国連加盟国および国際機関が参加しているもので、スピーチをした国連の潘基文事務総長は「あなた方は、それぞれ異なった文化的背景や展望を有しているかもしれない。しかし、『文明の同盟』が、極端主義に対抗し、私たちの世界を脅かす分断の動きを鎮める上で重要な方法であるという共通の信念を、ともに分かち合っている」として、平和への行動の第一歩を促しています。
 また、フランスのサルコジ大統領は年頭の会見で、人間性の重視と連帯などを核とした文明政策を提起した上で、「20世紀の体制のままで、21世紀の世界を形作ることはできない」とし、改革の一環として現行のG8サミット(主要国首脳会議)を、中国、インド、ブラジル、メキシコ、南アフリカの5カ国を加えた「G13」に拡大すべきと提案しました。傾聴に値すると思います。
 私もかねてより、サミットの参加国に中国やインドなどを加えて「責任国首脳会議」に発展的改編を行い、よりグローバルな形で責任の共有を図るべきと訴えてきただけに、この提案に深く賛同するものであります。
2  「対立」超える「対話」の架橋作業
 さて、冷戦終結後に志向された「新世界秩序」が“錦の御旗”として掲げていたのが、周知のように「自由」であり「民主主義」であります。両者ともに、それ自体文句のつけようのないものですが、ひとたびそれを異なった政治文化の中に根付かせようとすると、どんなに困難が伴うか。それどころか、「自由」や「民主主義」を一定限度実現しているところでも、維持向上の努力を怠ると、みるまに似ても似つかぬものへと堕落してしまう――。このことを“ベルリンの壁”の崩壊(1989年11月)を受けた直後のSGI提言の中で、私はプラトン(田中美知太郎・藤沢令夫他訳「国家」、『世界古典文学全集15プラトンII』筑摩書房)の洞察に依りながら訴えたことがあります。
 すなわち、「自由」といい、「民主主義」といっても、行き着くところ「欲望の大群」を生み出して、それによって「青年の魂の城砦」が崩されてしまえば、救いようのない無秩序、カオスを招き、あげくの果ては、事態収拾のために、「一匹の針のある雄蜂」が待望されるようになる。「民主制」は「僣主制」への衰退=注2=、逆行を余儀なくされるであろう、と。
 その警鐘は、決して杞憂ではありませんでした。金融主導のグローバリゼーションの、蝶番の外れたような進行は、世界的規模の格差社会をもたらし、拝金主義と不公平感を蔓延させ、それを一因(最大の要因といってもよいかもしれない一因)とするテロ行為は、拡散の一途をたどっております。テロや犯罪の発生する構造的要因を析出し、きめ細かく対処せずに、一方的に力で抑え込もうとしても、事態を悪化させるばかりであることは、歴史の教訓です。力による秩序は、むしろ無秩序、カオスに隣接している。
 私が仏法者として一番憂慮していることは、こうした風潮に乗じて昨今の“原理主義への傾斜”ともいうべき現象、心性が、随所に顔をのぞかせていることであります。
 かまびすしく取りざたされている宗教的原理主義に限らず、民族や人種にまつわるエスノセントリズム(自民族中心主義)やショービニスム(排外的愛国主義)、レイシズム(人種主義)、イデオロギー的なドグマ(教条)、あるいは市場原理主義にいたるまで、カオスに乗じて、わが物顔に横行しているといっても過言ではない。そこでは、万事に「原理」「原則」が「人間」に優先、先行し、「人間」はその下僕になっている。それぞれの分野での細かい定義は措くとして、そうした“原理主義への傾斜”を端的に要約すれば、かつてアインシュタインの遺した「原則は人のためにつくられるのであって、原則のために人があるのではない」(ウィリアム・ヘルマンス『アインシュタイン、神を語る』雑賀紀彦訳、工作舎)という言葉に尽きていると思います。
 原理・原則は人間のためにあるのであって、決して逆ではない――この鉄則を貫き通すことは、容易ではない。人間は、ともすれば手っ取り早い“解答”が用意されている原理・原則に頼りがちです。シモーヌ・ヴェイユの比喩(田辺保訳『重力と恩寵』筑摩書房)を借りれば、人間や社会を劣化させてやまない「重力」に引きずられ、人間性の核ともいうべき“汝自身”は、どこかに埋没してしまう。私どもの標榜する人間主義とは、そうした“原理主義への傾斜”と対峙し、それを押しとどめ、間断なき精神闘争によって自身を鍛え、人間に主役の座を取り戻させようとする人間復権運動なのであります。
3  四面楚歌にあって己を貫いたジイド
 ここで、原理主義と人間主義の対峙という点で、忘れがたい有名なエピソードを一つ、想起しておきたい。それは、希代のヒューマニスト(ユマニスト)であったフランスの作家アンドレ・ジイドとソビエト社会主義にまつわるものであります。
 1936年6月、敬愛するM・ゴーリキーの重篤の報に、ジイドは急ぎモスクワに飛ぶが、その翌日、ゴーリキーは死去。葬儀や一連の行事を終えた後、かねてからの希望もあって、1カ月ほど地方を旅した。その感想を11月上旬、『ソヴェト旅行記』(小松清訳、岩波書店)として世に問いました。
 その上梓は、フランスはもとより、欧米各国や日本においても、まさに歴史的ともいうべき喧々囂々たる論議を巻き起こしていったようです。内容は、ジイドがロシア革命やその後のソ連の歩みに、十分な歴史的意義を認めながらも、次第に見え隠れしつつあったソビエト社会主義の病理に、今日から見れば控えめすぎるほど控えめに、批判のメスを入れている。その多くが鋭く、正鵠を射たものであることは、ソ連崩壊後の今日、誰の目にも明らかです。
 しかし、当時は“赤い30年代”といわれ、全体主義と戦うスペイン内戦=注3=の影響もあって、多くの知識人、青年が、雪崩を打つように左翼へとなびき、ソ連へ希望の眼を向けていた。それだけに左翼の一員と思われていたジイドの警告は、学界、ジャーナリズムの世界、政界を巻き込んだ大反響を引き起こした。賛否両論といっても大多数は“否”であり、なかにはジイドを裏切り者扱いする者も多く、彼は孤立無援に近かった。
 しかし、四面に楚歌を聞きながら、ジイドは一歩も退かず、己に誠実たらんとする一点を踏まえて、こう言い放ちます。
 「私にとつては、私自身よりも、ソヴェトよりもずつと重大なものがある。それは人類であり、その運命であり、その文化である」と。

1
1