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第十二章 新世紀をひらく「王道」――『…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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1  青年時代に親しんだ吉川『三国志』
 池田 金庸先生との文学対談の締めくくりのテーマとして、お国の文学、特に私たちが青年時代に若き血を燃え立たせた『三国志』『水滸伝』を取り上げてはいかがでしょうか。
 金庸 うれしいことです。『三国志』『水滸伝』『西遊記』『金瓶梅』――中国の「四大奇書」のなかでも、その二つは、とりわけ親しまれている作品です。
 池田 汲めども尽きぬ中国文学の広がりのなかでも、『三国志』は、ひときわ光彩を放つ作品です。私も青年時代から幾度となく繰り返して読みました。強くひかれてきた一人です。
 ただ、ひと口に『三国志』といっても、歴史書としての『三国志』もあれば、物語としての『三国志演義』もある。その『三国志演義』にも、いくつかの種類があります。
 そこで、ここでは一応、吉川英治氏の小説『三国志』を題材に語り合うことにしたいと思うのですが。
 日本のある中国文学者も、「中国で読まれてきた『三国志演義』のおもしろさを生かしつつ、現代人にマッチさせた作品」と評価しています。また、中国出身の評論家も語っています。「吉川先生に至っては、三国志も水滸伝も、これを全く薬篭中のものとすることにつき、立派に成功しているのである。『見仁見智』と言葉の通り、之を正しい反骨精神、義侠精神への滑車として駆使する点について、吉川先生の筆は十分な成功を示し、諸葛孔明や百八星よりもさらに高度の自己開発に役立てているといって差支ない」(『吉川英治全集』月報⑫所収の苗剣秋「永遠の生命」)と。
 日本で『三国志』といえば、たいてい吉川『三国志』を指すほど、親しまれています。恩師・戸田城聖先生を囲む青年たちの勉強会でも、吉川『三国志』を教材として用いました。
 また、ご存じのように吉川氏は、ちょうど金庸先生が「中国の国民作家」と呼ばれているのと同じように、「日本の国民作家」と呼ばれる作家です。そのため日本では、金庸先生を紹介する際、「中国の吉川英治」と呼ぶ人もいます。(笑い)
 金庸 結構だと思います。私も吉川氏の作品は、いくつか読んだことがあります。また吉川氏は、『三国志』『水滸伝』のいずれも小説化しています。精彩に富んだ氏の文章のおかげで、現在にいたっても、この二つの作品に対する日本の読者の興味は衰えていません。
 それに私は、池田先生が吉川氏について論じた対談集(『吉川英治人と世界』六興出版)を読んだこともあります。一読して私は、先生と吉川氏の作品が深い友情で結ばれているように感じました。
 池田 恐縮です。吉川氏とは生前、お目にかかったことはありませんが、一○年ほど前に東京・青梅にある吉川英治記念館(草思堂)を訪れて、氏の夫人とお話ししたことがあります。
 夫人から氏の思い出をうかがいながら、在りし日の文豪をしのんだひとときは、今も忘れえません。そのときの感動を一篇の詩にも、したためました。(『富士のごとくに』)
 金庸 詩は私も拝見しました。吉川氏に寄せる先生の思いが伝わってくる詩でした。
2  英雄豪傑が織り成す「詩」と「ロマン」
 池田 ありがとうございます。
 さて、『三国志』の魅力の源泉が、どこにあるか。スケールの大きさもそうですが、何よりも、その人物像の多彩さにあるといってよいでしょう。
 文学とは、具体的な人物の名前で語られるとき、最も生き生きと人間の心に刻まれるものです。少なくとも、それが中国文学の伝統であり特質であるように思います。『三国志』は、その特質を最も象徴している作品です。
 王道の人・諸葛孔明。仁徳の人・劉備。覇道の人・曹操。剛毅果断の人・孫権。
 さらには、信義の英雄・関羽、直情の豪傑・張飛、英勇の闘将・趙雲等々、いずれも中国大陸ならではの気宇壮大な人物群です。一人一人の人物に「詩」があります。「ロマン」があります。
 この作品が朝鮮・韓半島や日本で長く愛されてきたのも、幾多の英雄豪傑が織り成す、「詩」と「ロマン」あればこそだといってよいでしょう。
 金庸 同感です。吉川氏も「三国志には詩がある」と語りましたが、まことにいい得て妙だと思います。
 池田 お国でも事情は同じではないでしょうか。特に明の時代以降の庶民生活では、街角で講談師が語る『三国志』に、大人も子供も息をのんで聞き入るといった光景が、あちこちで見られたといいます。
 そこでは劉備や孔明が勝つと、皆、喝采する。逆に曹操が勝つと、地を踏み鳴らして悔しがった。それも朱子学流の「勧善懲悪」思想の影響ばかりではなく、庶民の心のひだに染み入る「ロマン」あってのことでしょう。
 金庸 中国の古典小説のなかで『三国志』ほど崇高な地位を獲得した作品は、ほかにありません。これに比肩できる小説は何かと考えてみても、ちょっと思いあたりません。この三○○年間、『三国志』は、「第一才子書(才子が第一に読むべき書)」、あるいは「第一奇書」と呼ばれ続けてきました。
 ただ、近代の文学批評家たちは、純文学の観点から、『紅楼夢』のほうに、より高い価値を見いだしています。私も、そう考える一人です。毛沢東は、『紅楼夢』には封建意識を打破しようという革命的な意味が含まれていると考えました。これは、階級思想の立場から、『紅楼夢』に未曾有の評価が与えられたことを意味します。その影響は、毛沢東をして、豪快で小さなことにこだわらない性格と、数々の目覚ましい軍功で知られる許世友将軍に対しても『紅楼夢』をしっかり読まなければならない、と語らせたほどです。
 池田 この対談でも話が出ましたが『紅楼夢』といえば、中国・清の時代を代表する小説ですね。大貴族の繁栄と没落を背景に、貴公子と、彼を取り巻く女性たちを描いた物語です。日本でいえば、『源氏物語』のような作品でしょうか。
 日本では中国ほど幅広い読者を得ていないようですが、たとえば作家の杉浦明平氏は、『紅楼夢』と『源氏物語』を対比させつつ、日常生活の描写の巧みさや、リアリティの点で、『紅楼夢』に軍配を上げています。
 金庸 中国でも誰もが愛読しているというわけではありません。毛沢東から『紅楼夢』を読むよう勧められた許世友将軍も、実際に本を手にしたとき、どんな反応を示したでしょうか。「情切々として良宵に、花は語を解し、意綿々として静日に、玉は香を生ず」といった深い情緒を漂わせた光景には、とても辛抱できなかったことでしょう。(笑い)
 むしろ、『三国志』の「虎牢関での三英(劉備・関羽・張飛)と呂布の一戦」や、「周瑜が敵を壊滅させた赤壁の戦い」などの場面にこそ、胸を躍らせていただろうことは、容易に想像できます。
 池田 杉浦氏は、幸田露伴の言葉に寄せて、ちょうど逆のことをいっています。
 「露伴であったか、『紅楼夢』ではいつも飯をくってばかりいる、と批評したとか。露伴もこの大長編をあえて翻訳したぐらいだから、この作品が好きだったのだろうが、どういうつもりでそんなことを言ったのやら。わたしは、小説の中でいつも飯をくっているから、とても好きなのである」と。(笑い)
 ところで文学作品としての評価は別として、『三国志』が時代を超えて、多くの人々の心をつかんできたことは事実ですね。
 金庸 そうです。『三国志』が社会に及ぼしてきた影響は、この作品の文学的な価値以上に大きい。
 とはいえ、この作品が文学的に劣っているというわけではありません。純粋に文学として論じた場合でも、『三国志』の人物描写はたしかに一流の域に達しているといえます。中国では、後世の小説家は皆、この作品から栄養を吸収してきたのです。
 池田 人物描写に成功している理由は、どこにあるとお考えですか。
 金庸 やはり場面の設定や周辺の雰囲気づくりに、抜群の手腕が発揮されているからでしょう。
 たとえば有名な「三顧の礼」のくだりです。ここでは、主人公の一人である諸葛亮(孔明)を登場させるにあたって、銅鑼や太鼓の音を、あたり一面に鳴り響かせながら、少しずつ少しずつ表に引き出してくるような舞台効果を狙っています。
 その後の諸葛亮の活躍にしても、あたかも、ぼやけた焦点を少しずつ少しずつ合わせていくように描いています。次第次第に浮き彫りにしていきます。
 たとえば、「草の束を載せた船で敵の矢を借りる」場面で、矢をどうやって調達するのか。また、「東の風を借りる」場面で、風がどのようにして大勝利をもたらすのか、といったくだりです。
 池田 なるほど。劇的効果が存分に発揮されるよう、細心なまでの工夫がこらされているわけですね。
 金庸 ええ。こうした手法は外国の小説、少なくとも名著と呼ばれる作品では、まず見られません。外国の小説の主人公は往々にして、突如として姿を現すか、あるいは逆に、あくまで正体は隠されていて、どんな人物なのか最後まで見当がつかないかのどちらかです。
 ところが『三国志』の登場人物は、性格がはっきりしています。「忠」の人物は、まるで天に届くほど忠義心が篤い。「奸」の人物は、類いまれな残忍さで、悪逆の限りを尽くします。読者は本をひもとくやいなや、たちまち登場人物一人一人の立場を見分けることができます。そのうえで、好き嫌いをはっきりさせることでしょう。
3  孔明・劉備の理想主義と曹操の現実主義
 池田 さすがに創作に苦心してこられた文豪ならではの視点ですね。
 私の恩師は、ことあるごとに『三国志』を用いては、私たち青年に、育成と触発の機会を与えてくれました。指導者論、人間観、歴史観――その一つ一つが、私にとってかけがえのない青春の財産です。
 特に、孔明と劉備に代表される「王道」と、曹操に代表される「覇道」の相剋を対比させつつ、「諸葛孔明も、劉備玄徳も、理想主義者であった」「『三国志』においては、曹操のごとき現実主義者が、彼ら理想主義者に打ち勝ってしまったという悲しみがある」と語っていたことが忘れられません。
 理想主義と現実主義。現実を踏まえない理想は幻想です。理想なき現実は醜悪にすぎる。また、何よりも民衆に多大な犠牲を強いる結果になってしまう。この二つの矛盾を、どう克服するか。換言すれば、「正義と力」の兼備こそ、指導者に求められる条件ではないでしょうか。
 金庸 偉大な作品は、読む者に多くの想像を与えてくれるものです。おっしゃるとおり、『三国志』も、現代に生きるわれわれに、さまざまな思索の糧を与えてくれます。
 池田 ただ、「王道」「覇道」と申し上げましたが、『三国志演義』と吉川『三国志』とでは、多少スタンスが違いますね。
 曹操のとらえ方にしても、『三国志演義』では悪の権化のように扱っている。吉川『三国志』では、人材を惜しみ、愛した英傑としての側面も忘れない。むしろ、関羽に対する溺愛といってもよいほどの執着ぶりに象徴されるように、一面では情の厚い、きわめて魅力ある人物として描いています。
 しかも彼は、その子の曹丕、曹植(「そうち」とも)とともに当時有数の詩人だった。実際、単なる俗物奸物なら、あれほど多くの人材が集まってくるはずもありません。
 「判官びいき」は、いずこの国にもあることでしょうが、その点、『三国志演義』は、曹操に点が辛い。(笑い)
 金庸 私も子供のころ『三国志演義』を読んだときは、全面的に劉備の蜀漢の側に立っていました。蜀漢が、呉や晋よりも先に滅んだことを、絶対に認めようとはしませんでした。(笑い)
 そのために長兄と何時間にもわたる激論を交わすことになりました。長兄は仕方なく、彼が当時、中学校で使っていた歴史の教科書を引っ張り出して、数行を指差しました。そこには蜀漢が、鄧艾とうがいと鍾会によって滅ぼされたと明確に書かれていました。
 私は敗北を認めざるをえなくなったわけですが(笑い)、それでも腹の虫がなかなか納まらず、悔しさのあまり涙が止まりませんでした。
 『三国志演義』でも、鄧艾と鍾会が蜀漢を滅ぼし、蜀漢の姜維が殺される一段が出てきます。とても丁寧に描き込まれています。しかし当時の私は、諸葛亮が五丈原で亡くなった後まで、物語を読み進めていく興味を失っていました。
 池田 特に魏と雌雄を決せんと五丈原に駒を進める心境を切々と綴った「臣亮もうす」で始まる"出師の表"は、涙なくしては読めません。孔明に寄せる人々の思いは、正義が勝つことを願う万古不易の人間の心理ですね。吉川『三国志』も、孔明の死で事実上、終わっています。
 恩師も、ある年の正月、私が孔明の死を悼んだ「星落秋風五丈原」(土井晩翠作詞)を歌うと、「もう一度、歌いなさい」「もう一度だ」と何度もうながされ、歌に聞き入っては、さんさんと涙しておられた。苦心孤忠の孔明の心情に、自らの心情を重ね合わせておられました……。
 ところで金庸先生は、数々の武侠小説を著すなかで、多くの魅力ある人物を描いてこられました。その苦心の経験に照らして、最も心ひかれる『三国志』の人物とは、誰でしょうか。

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