Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第十一章 「ユマニテの光」で世界を照ら…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
1  ユゴーの大作が語りかけるもの
 池田 私たちの青年時代に共通する愛読書に、ヴィクトル・ユゴーの諸作品があります。「ユマニテ(人間性)の光」で世界を照らした文豪ユゴー。不撓不屈の人権の闘士ユゴー。金庸先生との文学対談の舞台に欠くことのできない「主役」の一人ではないでしょうか。
 金庸 いいですね! 語りましょう。語り合いましょう。
 池田 フランス・パリ南郊のビエーブル市に「ヴィクトル・ユゴー文学記念館」があります。一九九一年六月に、フランスSGIの友の尽力で誕生したものです。
 四季折々の美しい自然に包まれた、ユゴーゆかりの館です。文豪の「ユマニテの光」を現代に蘇らせる灯台として、また文学と芸術の新たな創造をはぐくむ場として、幸い、大いに親しまれ、また活用されております。
 金庸 素晴らしいことですね。記念館の誕生は、誰よりもフランスの人々が驚き、喜んでいることでしょう。
 池田 私がユゴーの作品と初めて出合ったのは、十代の半ばでした。第二次世界大戦のさなか、四人の兄を次々に戦争にとられ、私自身も胸を病んでいた。思うように勉強もできない日々のことでした。
 そんな時代にあってユゴーの大作『レ・ミゼラブル』は、海よりも深く、空よりも広大な人間精神の強さと優しさを教えてくれました。感動しました。暗雲の時代と人生を突き抜けて、私は一筋の希望の光明を見いだす思いでした。
 恩師の戸田先生も、ユゴーをこよなく愛されました。特に恩師のもとでの読書会では、ユゴーの『九十三年』を通して、暴力の悲惨、人道の尊重、民衆への「同苦の心」を学び合いました。
 金庸 私はパリに小さなアパートをもっています。ヨーロッパを旅したときに、偶然見つけたものです。フランス語を勉強したり、フランス文化により多く親しむためには格好の場所だと思い、数週間ほど、そこで暮らしました。場所はパリ第一六区のラファエロ通り(この名前は、イタリア・ルネサンス期の大画家であるラファエロに由来)にあります。
 公園の横を走る、この通りのすぐ近くには、印象派の大画家モネの家(今はモネ記念館になっている)があります。凱旋門からラファエロ通りへ出るには、一本の長い大通りを通らなければなりません。これがヴィクトル・ユゴー通りです。フランス人は文化を重んじますから、パリには大芸術家の名前をつけた通りが、数多く見受けられるのです。
 池田 欧米では、公共の広場や街路に名前を冠して、その人物を長く顕彰するということが多いですね。私も、フィレンツェの市街を見はるかすミケランジェロ広場などに、何回となく足を運び、写真を撮ったものです。
 欧米ではありませんが、ブラジルにも私どもの初代会長、二代会長の名前を冠した「牧口通り」「牧口公園」「戸田公園」が誕生しました。弟子として、これほどうれしいことはありません。
 金庸 牧口先生、戸田先生だけでなく、池田先生の名前をつけた公園も誕生するそうですね。友人として喜びにたえません。
 ところでユゴーは、フランス文化に対して多大な貢献をした人物です。彼の名声が頂点に達したとき、多くの人々が、パリをユゴー市という名前に変えるべきだと主張したほどです。この提案は実現しませんでしたが、一人の文人が一国のなかで、かくも重大な影響を及ぼすとは、フランスという、極度に文化・芸術を重んじる国ならではのことでしょう。
 池田 やはり文化の薫りというか、文化の厚みがありますね。
 私と対談集(『人間革命と人間の条件』)を編んだ
 アンドレ・マルロー氏と、ド・ゴール大統領との交流は有名です。マルローといえば、フランスだけでなくヨーロッパを代表する文人であり、政治家です。かたやド・ゴールといえば、"私がフランスである"といってはばからぬ信念と孤高の人であると同時に、マキャベリスト、型破りの外交家、老獪な政治家等々、没後二十余年を経てなお、いまだに毀誉褒貶さだまらぬ軍人・政治家です。左翼や右翼といった見方からすれば、二人は必ずしも一致しなかった。
 にもかかわらず、マルローほどの文人がド・ゴールに傾倒し、二人の間には親密な交流が成り立っていた。まさに、形影相伴うがごとく、マルローはド・ゴールに仕え続けます。大人物同士が肝胆相照らしていたといえば、それまでですが、こうした友情も、フランスならではの文化の薫り、厚みを背景としてのことでしょう。
 『倒された樫の木』――ド・ゴールとの最後の対話を綴ったマルローの著書の題名は、ユゴーの詩からとられたものです。二人の対話を収めたこの本を読んでみても、巨大な魂と魂が共鳴音を奏でているさまが、よくわかります。
 ゴルバチョフ氏も大統領時代、クレムリンでの私との会見の際、ペレストロイカについて語っていました。それは「政治と文化の結婚である」と。その壮大な実験は結局、氏が描いたような成果を上げるにはいたらなかったわけですが、こうした言葉一つにも、ゴルバチョフ氏の開明的性格が、にじみ出ているようです。
 ちなみにマルローはド・ゴールに、こんなことを言っています。
 「あなたの先人は、イランでなければフランスにいますが、それは政治家ではありません。クレマンソーでもありません。それはヴィクトル・ユゴーです」(『倒された樫の木』新庄嘉章訳、新潮選書)
2  『レ・ミゼラブル』に見る聖職者の姿
 金庸 分野が何であれ、偉人が常に立ち返り、振り返るべき、ある意味ではフランスの「原点の人」。それがユゴーだということでしょうね。
 池田先生は、戦時中の苦難に満ちた歳月のなかで、ユゴーの大長編『レ・ミゼラブル』を読んでいたと回想されました。これは原題を、そのまま日本語で表記したものですね。中国語の題名は『悲惨世界』といいます。
 中国語の訳は、日本に留学したことのある中国の僧侶で、文人としても有名な蘇曼殊が翻訳したものです。フランス語の題名を直訳すると「惨めな人々」となりますから、『悲惨世界』という中国語の題名は、原文の意味を適切に訳出しているといえます。
 近年、イギリスの作曲家と劇団が、この小説をミュージカルに編み直しました。とても素晴らしいできばえで、シンガポールでも香港でも上演されました。私は香港で鑑賞しましたが、音楽は人を引きつけてやまず、演技も歌唱も精彩を放っていました。パリの街頭で戦われた市街戦の場面は、実に凝った工夫がなされ、よく考えられていました。
 池田 日本でのミュージカルも好評で、ロングランを続けています。ちなみにエポニーヌ役として絶賛を博している島田歌穂さんは、私どものメンバーなんです。
 金庸 そうでしたか。さすがに各界の人材がそろっていますね。
 ただユゴーの原作は雄大で深遠です。その魅力を、わずか二、三時間のミュージカルで再現することは、到底、望むべくもありませんでした。これに比べて、ロンドンで鑑賞したミュージカル『オペラ座の怪人』のほうが、ずっと良い印象を受けました。なぜならば、こちらの原作は、フランスのただの通俗小説です。どう編み直そうとも、「これでは原作と違いすぎる」という幻滅が起こらないからです。(笑い)
 池田 そうですね。以前、ある若い人が話していました。「結局、演劇や映画は、原作となった小説とは別ものだと考えたほうがいいかもしれない」と。
 たとえば、原作を読む前に映画を観て感動したとする。そのあとで原作を読むと、どうしても映画に出てきた俳優なり女優のイメージが残ってしまって仕方がない。一例を挙げれば、オードリー・ヘプバーン主演の『戦争と平和』を観たあと、原作を読むと、どうしてもナターシャの顔がヘプバーンの顔に重なってしまう――そんなことが、ままあるようです。(笑い)
 金庸 よくわかります。
 私が最初に『レ・ミゼラブル』を読んだのは、十五、六歳のときです。『蘇曼殊全集』に収められていた中国語訳でした。ただ、これは物語の、ごく初めの部分しか訳されていませんでした。つまり、主人公のジャン・バルジャンが、司教の銀食器を盗んで警察に捕まり、司教が彼をかばい、盗難の事実すら隠すというところで終わっていたのです。
 池田 ミリエル司教という人物には、聖職者としてあるべき姿が描かれていますね。
 たとえば、こう綴られています。
 「『いちばん美しい祭壇は』と彼は言っていた。『慰められた、神に感謝している、不幸な人の心です』」(『レ・ミゼラブル』〈1〉佐藤朔訳、新潮文庫)
 質素な生活。己には厳しく、人には限りない慈しみを注ぐ人格。不幸な人々を「患者」「病人」と呼び、自らは"医者"として奉仕する「献身」の行動――宗教を問わず、宗派を問わず、聖職者としての「振る舞い」の理想です。残念ながら現実は「俗よりも俗」の堕落した聖職者が多いことも事実ですが。
 金庸 池田先生が、そうした堕落した聖職者と戦っておられることは、私も仄聞しています。
 ともあれ、『レ・ミゼラブル』に私は当時、わずかの断片ではあっても、心を揺さぶられる思いがしました。その衝撃は、他の作家の作品とは比べようのないほどでした。文学的価値からいっても、それは、大デュマ、そして私が愛好する、もう一人のフランスの小説家であるメリメといった作家たちの作品の、はるか上に位置するものだということが、はっきりわかりました。
 文学の風格、真価というものは、不思議ですね。たとえ見識の足りない若者でも、作品の違いは明瞭につかめるものだと思います。
3  ユゴーには「詩」「魂の炎」「宇宙の律動」が
 池田 「ユゴーには『詩』がある。燃え上がる『魂の炎』があり、万物を包みゆく『宇宙の律動』がある。虐げられた人々への『慟哭』があり、虚偽や不正への『怒り』がある。そして、たぎらんばかりの正義への『渇望』がある。ヴィクトル・ユゴーは、わが青春の伴侶であった。否、私の生涯の、というべきか」――かつて、私は、こう綴ったこともあります。
 ユゴーの「ユマニテの光」。それは、眼前の苦悩する一人の「人間」に注がれる。そして、そのような悲惨を生み出している現実の「社会」を撃ち、すべての人々の共生を可能とする理想の「世界」を構想している。さらに、自然・大地・生命の揺籃ともいうべき「宇宙」へと広がっていく。
 ミクロの世界からマクロの世界までを見つめ、包み、はぐくんでやまない「力強いまなざし」が、ユゴーの作品の特色です。
 金庸 そのとおりです。
 池田 『レ・ミゼラブル』の巻頭には「地上に無知と悲惨がある以上、本書のような性質の本も無益ではあるまい」(前掲書)と記されています。ユゴーの文学的情熱は、何よりも現実の社会のなかで貧乏や飢えに苦しむ民衆への熱い同苦の思いで貫かれていました。自分の個人的な生活の世界に閉じこもり、独り言にも似た、難解な言葉をもてあそぶ、現代作家の「高踏的な」気分とは無縁です。
 そうしたユゴーの社会意識は、ご存じのように、「ヨーロッパ合衆国」という理想の未来をも描くにいたりました。列強各国が、国境という一本の線をはさんで、流血の角逐を繰り広げてやまなかった世紀に、時代を大きく先取りする雄大な構想をもちえたということ自体、やはり驚嘆すべきでしょう。
 金庸 私がユゴーの「ユマニテの光」を理解したのは、彼の詩からではなく、彼の小説からです。一般に、外国の詩を中国語に翻訳して読者を感動させることは、容易なことではありません。ユゴーのロマン派戯曲、たとえば『エルナニ』は、かなり早い時期に中国語に翻訳されています。私は、作中の激高した吟詠から、彼の激しい情熱と「魂の叫び」を感じ取りました。
 池田 たとえば、こんな言葉でしょうか。
 「脇腹から血を流している者のほうがよく覚えているものなのだ。辱めた者は愚かにも忘れてしまうが、受けた侮辱は生きながらえ、辱められた者の心のなかでいつまでもうごめいている」(『エルナニ』杉山正樹訳、中公文庫)
 生涯、「虐げる者」と戦ったユゴーの叫びが聞こえてくるような言葉です。
 金庸 ユゴーと大デュマに共通しているのは、シェークスピアとスコットの強い影響を受けて、歴史を題材にしたロマン派冒険小説を書くようになったということです。イギリスの大小説家・スティーヴンソンが、大デュマを愛好した理由も、ここにあります。
 一九九三年春、私はエジンバラ大学の招きを受けて、小説に関する講演を行いました。このとき、講演に先立って挨拶しました。
 池田 どんな挨拶をされたのですか。よろしければ、お聞きしたいものです。
 金庸 少々、長いのですが、こんな話をしました。
 「昨日、私と妻はエジンバラの市内を散歩しました。ウォルター・スコット卿の像の前では、しばらくの間、たたずみ、彼の小説に描かれている英雄や美女に思いを馳せておりました。
 また、エジンバラのもう一人の大小説家ロバート・スティーヴンソンにも、心が動きました。聞くところによれば、大デュマはイギリス人に出会うたびに、必ず熱情あふれる態度で接し、心のこもったもてなしをしたそうです。それはスコット卿の小説から受けた教導に報いたいという一心からでした。
 本日、私がエジンバラにやってきましたのは、小説について話をするためですが、申し上げることは一言しかありません。すなわち私が小説を書けるようになったのは、すべてエジンバラの二人の偉人から受けた教導と啓発によるものだということです。二人とは、ウォルター・スコット卿とロバート・スティーヴンソンです。ですから、自分が会得したものとか、意見などを述べようというのではなく、私はただ、貴市の二人の偉人に対して、敬意と感謝を捧げるために、ここにやってきたのです」
 池田 謙虚なお言葉です。エジンバラの人々も感動したことでしょう。
 ユゴーに「ウォルター・スコットを論ず」と題する文章があります。そのなかで彼は"詩人の使命"をめぐって、いかにもロマン派の驍将らしく、詩のエネルギーや、言葉のもつ、人を鍛え導く力について、確信に満ちて語っていますね。
 社会に背を向けて自己に閉じこもるのではなく、社会に真っ向から向き合っていく。世の悲惨、矛盾と戦っていく。ここに掲げられた"詩人の使命"とは、ユゴーの文学そのものです。おそらくスコットの作品についても、そうした意味から、ユゴーは共感するところが大きかったのではないでしょうか。

1
1