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日蓮大聖人・池田大作

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第九章 ペンによる大闘争――『立正安国…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
1  魯迅の評論と日蓮大聖人の「四箇の格言」
 池田 前章では魯迅をめぐって語り合いましたが、語り残した点を一つだけ補足しておきたいと思います。
 一九七四年(昭和四十九年)に初めて中国を訪問したおり、上海の「魯迅故居」を訪れました。昼夜を分かたず"民衆の敵"との攻防のペンを執った机も、激戦の合間に戦士が休むがごとく体を横たえたベッドも、そのままに置かれていました。
 上海時代の魯迅は小説の発表をやめ、彼が「雑文」と呼んだ評論に精力の大半を費やしました。その筆鋒は「寸鉄人を刺し、一刀血を見る」激しさだった。
 金庸 まさに「ペンによる大闘争」です。
 池田 日本の文学の伝統では、「ペンの闘争」というのは稀薄です。その数少ない例外として、評論家の加藤周一氏は、私どもの宗祖・日蓮大聖人を挙げています。
 「散文家としての日蓮は、一種の天才であった。その散文には、舌端火を吐く激しい気性がよくあらわれている。気性と信念。論戦的な日本語の散文は、早くも一三世紀に、日蓮において、殊にその若干の消息文において、ほとんど最高の水準に達していた」(『加藤周一著作集4』所収の「日本文学史序説・上」平凡社)と。
 金庸 非常に申しわけないことですが、私は日本語がわかりませんので、日蓮大聖人が著された文章を直接読むことができません。しかし、「四箇の格言」なら知っています。「念仏無間・禅天魔・真言亡国・律国賊」でしたね。
 池田 いわゆる鎌倉新仏教の一つの特徴は、「選択思想」です。ある一つの基準に従って、釈尊の教えを"取捨選択"し、体系化していくことにあります。
 そこで何を基準とするか、さまざま説かれたわけですが、日蓮大聖人は「三国四師」(三国はインド、中国、日本のこと。四師は三国に出生し、法華経を立てた四人の師。すなわち釈尊、天台大師、伝教大師、日蓮大聖人)の系譜を踏まえたうえで天台の教相判釈を継承しつつ、法華経に明示された「仏意」を基準として、一切経を立て分けました。
 経典の文証面から見て、大聖人を「天台の復古主義者」とする見方が多いゆえんですが、「四箇の格言」も、そうした教判の流れのうえに立てられたものです。
 金庸 法華経の真理に対する深い確信。それゆえの他宗に対する猛烈な攻撃。仇敵を憎まんばかりの気概が、この四句のなかに十分、表現されています。
 日本では、正嘉元年(一二五七年)に大地震、二年に大風雨、正元元年(一二五九年)に大飢饉が起こり、同年と翌二年には、疫病が蔓延しました。この間、全国では数え切れないほどの人々が亡くなりました。為政者の慌てぶりは尋常ではなく、さまざまな加持祈祷を試みますが、いっこうに効果が現れません。
 文応年間に日蓮大聖人は、「立正安国論」を著し、日本は本来、仏教のなかでも法華経を信奉してきた国であること。その結果、国家も安泰であり、民衆も安定した暮らしを送ることができたこと。ところが後に浄土宗、禅宗、真言宗、華厳宗、律宗などの各宗に改宗し、法華経をないがしろにしたため、毎年、災害に遭うことを詳しく論じました。つまり、正法が没落し、邪法が興隆していることが、不幸の根本原因であると考えたのでしたね。
 池田 そのとおりです。
 私の恩師の戸田城聖先生は、歴史の決定要因として、「遠因」「近因」という見方を知らなければならない、とよく語っていました。
 日蓮大聖人は、当時の民衆に塗炭の苦しみを強いていた三災七難といわれる災害について、その遠因、根因ともいうべきものに目を向けられていった。
 「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」――たび重なる災害の根因を、宗教、思想の混乱に見いだしたのです。
2  「立正安国論」――仏教史における革新性
 金庸 「立正安国論」には、次のようにありますね。
 当今の邪見、異見の者は、経文のデタラメな解釈を信用し、法華経などの真実の経典を、
 「あるいは捨てよ、あるいは閉じよ、あるいは閣け、あるいは抛ての四字をもって一切衆生を迷わしている。そのうえにインド、中国、日本の三国の聖僧や十方の仏弟子をもって、みな群賊といい、念仏の修行を妨げるものであるとして、これらの聖僧を罵詈させている。
 このことは、近くは、彼らが依経としている、浄土の三部経のなかに説かれている、法蔵比丘四十八願中の第十八願に『念仏を称えていけば必ず極楽浄土に往生できるが、ただ五逆罪の者と正法を誹謗する者を除く』との誓文にそむき、遠くは釈尊一代五時の説法のうち、その肝心である法華経の第二巻・譬喩品第三の『もし人がこの法華経を信じないで毀謗するならば、その人は命終わってのち阿鼻地獄に入るであろう』との釈尊の誡文に迷うものである。
 この法然の邪義に対して、いまはすでに末代であり、人々は凡愚で聖人ではないので、法の邪正をわきまえることができない。ゆえに、僧も俗も、みな迷いの暗い道に入って成仏への直道を忘れてしまった。この盲目から脱せられないでいるのは悲しいことであり、いたずらに邪信を続けているのは痛ましい限りである」(『池田大作全集25』所収の「『立正安国論』講義[上]」聖教新聞社)と。
 池田 金庸先生の博識には、感服します。
 『立正安国論』といえば念仏破折が焦点になっています。なぜ念仏を破折するのか。その理由の一つとして大聖人は、その「哀音」を挙げています。『韓非子』のなかに「亡国の音」という故事がありますが、「南無阿弥陀仏」という唱名念仏の哀音は、人間の生きる意欲を衰弱させる。生命力を奪っていく、何ともいえない哀しい響きを帯びている――このことを危惧したのです。
 事実、浄土教は、ひたすら死後の極楽往生を願う一方、現実社会を「穢土」としておとしめることで、現世的な努力を二の次にしてしまい、結果として「現実からの逃避」を人の心にうながしてしまいます。
 見過ごせないのは、精神史上、浄土教の大きな影響を受けてきた日本にあっては、その「現実逃避」の姿勢が、"長い物には巻かれろ""寄らば大樹の陰"といった、強い者にこびへつらい、容易に膝を屈してしまう精神風土の底流をなしてきたことです。
 これは何も過去のことではありません。近年、日本では「平和念仏主義」ということがいわれていますが、「平和とは戦い取るもの」「不断の戦いなくして平和そのものもない」という視点を抜きにして、ただ平和、平和と念仏のように口ずさんでいれば何とかなるというように、他力本願的な、無責任な姿勢に安住している。これなど、いわば日本の"念仏的思考"の最たるものといえるかもしれません。
 金庸 理解できます。
 日蓮大聖人は経文に依拠しつつ、天災、疫病、飢饉の出現を予言したのち、外敵の侵入と内乱の頻発、つまり「兵革の災」が必ず起きるであろうとされました。このことから国家の多難を、次のように深く憂慮されています。
 「帝王は、国家を基盤として天下を治め、人々は田園を領して生活を支えていけるのである。しかるに他方の賊が来て国を侵略し、自国内に叛乱が起きて、その土地が掠奪されるならば、どうして驚かないでいられようか。騒がないでいられようか。国を失い家が滅びてしまったならば、いったいどこへ逃れていけるであろうか。あなたはすべからく、一身の安堵を願うならば、まず一国の静隠、平和を祈るべきである」(『池田大作全集26』所収の「『立正安国論』講義[下]」聖教新聞社)と。
 池田 「立正安国」という平和思想の精髄ともいうべき個所です。私は「立正安国」ということを、こう位置づけています。
 「立正なくして安国なし。同時に立正は、安国の成就をもって完結する」と。
 「立正」を宗教的使命とするならば、「安国」とは人間的、社会的使命と位置づけることができるでしょう。宗教の使命は、宗教の次元にとどまるものではない。広く人間的、社会的使命を果たしてこそ完結するというのが、日蓮大聖人の主張でした。
 金庸 なるほど。
 池田 一九九六年に亡くなった政治学者の丸山真男氏は、日本の仏教各宗の政治に対する姿勢を分析するなかで、大聖人の教えについて「向王法」と表現しました。
 氏のいう王法とは、端的に言って政治体制です。大聖人の教えは、王法との関わりを避けたり、絶つのではない。また一方的に追従するのでもない。王法を真正面からとらえ、積極的に関わり、ときには王法との対決も辞さない性格を含んでいるというのです。
 ご存じのとおり仏教といえば、総じて社会性に乏しく、現実社会の課題に積極的に関わっていく姿勢に欠けている、と指摘されてきました。中国でも、この点が儒教が仏教を批判する際の論点になってきた。
 しかし「立正安国」の教えは、従来の仏教の概念なり枠組みを、大きく打ち破るものだった。その意味でも、日蓮大聖人は、日本の歴史のみならず、仏教三○○○年の歴史においても傑出した存在である、と私は思っています。
 金庸 「立正安国論」は、日蓮大聖人の執筆後、当時の最高権力者である北条時頼に上呈されますが、その言論の激しさゆえ各宗派から総攻撃を受けましたね。同時に、幕府もまた彼を憎み、流刑に処して、鎌倉から追い出してしまいます。大聖人は後に赦免され、帰還しますが、環境は劣悪で、強敵に取り囲まれて攻撃を受け、弟子たちは離散します。しかし日蓮大聖人は難に遭っても屈することなく、それまでどおりの信念を、固く貫き通します。
 文永五年(一二六八年)、蒙古の大軍が日本に東征するという消息が伝わり、「立正安国論」に先見の明があったことが立証されます。彼は声を大にして叫び続けます――法華一宗のみを立てて、国家滅亡の危機を救うのだ!と。
 日蓮大聖人の立論は、純粋に宗教上の観点と教義から出発したものです。しかし国家と民衆のことを真剣に考え、自身の危険を顧みず、多数になびくことなく、正論を立てた。その慈悲と勇気は、魯迅先生とも実によく響き合うのではないでしょうか。
 池田 そのとおりだと思います。
 「日蓮其の身にあひあたりて大兵を・をこして二十余年なり、日蓮一度もしりぞく心なし」と。悪に対する仮借なき攻撃。妥協なき闘争。その精神は、魯迅の「ペンの闘争」とも深く響き合っています。
3  真の平和実現への「世界市民輩出の競争」
 金庸 しばらくして後、日蓮宗は、生活に苦しみ、現状に不満をもつ一般庶民、および下層武士、町の職人などを指導し、圧制者に対して抗争を挑みます。いわゆる「法華一揆」です。愛国主義を強調し、衆生の平等性を重視し、貧民の苦痛に同苦することは、日蓮宗が一貫して伝統とする貴重な精神です。
 池田 たしかに日蓮宗の特質です。ただし権力に対する戦いが、ときに間欠泉のように噴き上げたものの、どちらかといえば、玉砕主義であり、広く民衆に根を張った時代精神にはなってこなかった。それどころか近代にあっては、大聖人の教えの一側面を曲解し、過激な国家主義、ナショナリズムの原理ともされてきました。この点、非常に残念に思うところです。
 金庸 私は日蓮大聖人および日蓮宗について知っていることが甚だ少なく、正確ではないところがあるかもしれません。謹んで池田先生に、ご指教をお願いする次第です。
 先生は『日蓮大聖人御書全集』の中国語版の序言で、「『立正安国論』は、戦争という人類の宿命を根底から転換する方途を説いた、平和実現のための書です。ここにSGI(創価学会インタナショナル)の平和実現の方途の根源があります」と述べておられます。
 これは「もし正しい仏法を信奉する人が天下に多く出現すれば、全世界はみな仏国土となり、そうすれば当然、戦争も起こるはずはない」と言われているのだと思います。
 つまり、世界平和を実現するための根本的な道程は、「釜の下の薪を取りのける」という譬えのとおり、戦争の因子を取り去るところにあるということですね。
 任務は並大抵ではなく、重い荷を背負ってはるかな道を、まだまだ歩かねばなりません。しかし、一歩でも歩みを進めれば、平和の勢力もその分、確実に増しているのです。
 池田 「釜の下の薪を取りのける」――私たちが進めている運動は、まさにそれです。
 日蓮大聖人の仏法を根底に、世界に開かれた内面的な価値の体系をつくっていくこと――それを私は「世界市民輩出の競争」と言っています。
 「世界市民」と言っても、それに内実を与えるには、どこまで精神的な基盤を築けるかが重要なポイントです。その精神的基盤を、どう築いていくか。ここに宗教が果たす役割がある。
 平和のための協力にしても、政治や経済、文化、教育といった次元でも当然、必要だと思いますが、その一方で宗教が、深い精神性に裏づけられた「人間」を、どれだけ多く輩出できるかが「薪を取りのける」うえからも、最大の焦点となってくるでしょう。
 その意味で宗教が世界平和の構築に貢献できるところ大であると確信しますし、宗教もまた、そうした時代の要請に応えうる宗教でなくてはならないでしょう。
 金庸 そうです。なかでも仏教の精神的価値の光は、今後ますます、世界を大きく照らしていくと思います。
 池田 流暢な日本語を駆使し、日本の宗教事情にも詳しい、宗教学者のヤン・スィンゲドー氏が、かつて言われていました。
 "創価学会には信仰の確信がある。また、宗教としてのコア(核心)がある。これは従来の日本人の、宗教であれば何でも包み込んでしまう、だらしのない「フロシキ的宗教心」と大きく異なっている"
 "日本は「和」の国であるといわれているが、その「和」は日本だけの「和」にとどまっている。ところが学会が主張し、実践している「和」は、世界を対象にした平和の「和」である。これは日本の宗教界にあって大きな変化を示す運動と思う"
 学会には従来の日本の宗教の枠組みを超えた「精神の力」があり、世界性がある、と。
 金庸先生はじめ、多くの方々のご期待にお応えするためにも、私どもは戦います。

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