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第八章 民衆の魂の覚醒――革命的ヒュー…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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1  「民衆」の存在をどうとらえるか
 池田 『プルターク英雄伝』『モンテ・クリスト伯』『三銃士』と、西洋の名作を語り合ってきましたが、このへんで、お国の文学に目を転じてはどうでしょうか。
 金庸 ありがとうごさいます。祖国の文学について池田先生と語り合えることは、このうえない喜びです。
 池田 お国の文学の歴史は、黄河、長江(揚子江)の流れのごとく壮大です。古今の名著、傑作を挙げれば、きりがないわけですが、今現在の中国で、真に「文豪」の名前に値する作家は誰なのか。
 一九九五年、現代中国の代表的な作家を選ぶアンケートが行われました(「二十世紀中国文学大師文庫」のアンケート)。第一位は魯迅。以下、沈従文、巴金と続き、第四位はわが金庸先生であられた。先生の作品が、どれほど中国の人々に愛されているか。その何よりの証拠です。
 金庸 恐縮です。私の作品が、その名誉に本当に値するかどうかはともかく、とても光栄なことです。
 池田 本当は金庸先生の作品をテーマに語り合いたいところですが、なかなかご本人には語っていただきにくいのではないかと思います(笑い)。そこで、先生ご自身も連なる中国近・現代文学の流れをたどる意味で、今回は魯迅を取り上げたいと思うのですが。
 金庸 たいへん結構だと思います。
 池田 ロシアの諺に「人民を見いだせ、そこに真理あり」とありますが、「人民」なり「民衆」という存在を、どう見るか。どうとらえるか。人間の真価は、そこで問われるといってもよいでしょう。指導者を見る場合も、そこに焦点を当てれば、本物か偽物かが、はっきりしてくるものです。
 金庸 そうです。それは作家の場合も同じではないでしょうか。
 池田 その意味で魯迅ほど、民衆の底の底まで見つめた作家も稀ではないでしょうか。あるときは厳父のごとく民衆を叱咤し、あるときは慈母のごとく民衆を愛し、慈しんだ。あたかもそれは、瀕死の重傷を負って泣き叫ぶわが子に、涙をたたえてメスをふるう医師の姿をほうふつさせます。
 魯迅は「病人を救う」ために医学を志し――これは孫文もそうでしたが――のちに国民の「精神を改造する」ために作家に転じました。その「ペンの戦士」としての真価は、何よりも「いつも民衆とともにあった」「いつも民衆に目を向けていた」点にあるのではないかと思います。
 金庸 魯迅先生は、中国の近代文学のなかで際立って崇高な地位を占めています。
 今日、中国人が彼を話題にするときは「魯迅先生」というふうに「先生」をつけて呼ぶのが普通です。
 一方、そのほかの茅盾、巴金、沈従文、曹禺、老舎、謝冰心といった作家には、敬称をつけずに呼ぶことからも、よくわかります。それはちょうど私たちが孫文のことを「孫中山先生」と呼び慣わしているのに、蒋介石、毛沢東、鄧小平、劉少奇としか呼ばないのと同じです。これは後者に敬意を払わないのではなく、前者を格別丁重に敬っているのです。
 池田 時代背景が違うからでしょうか。日本では、そういった存在は見あたりませんね。夏目漱石、森鴎外など近代の文豪も「先生」とは呼びません。
 むしろ歴史的な人物には、敬称をつけないのが普通です。これには、ある種の敬意を払う意味も含まれているように感じます。ここでは私も日本の習慣に従って、あえて魯迅と敬称をつけずに呼ばせていただきますが、決して敬意を払わないからではないのです。ご理解ください。
2  「同苦」の心から出発した革命的ヒューマニスト
 金庸 私たちが魯迅先生を尊敬するのは、彼の文学もさることながら、その人格、強烈な愛国精神、中華民族への熱愛、封建的な腐敗には一切妥協しない激しい闘争、そして何よりも、当時の中国人の内面に巣くっていた無気力さや無感動・無感覚――いわば「朽ち果てた精神状態」への痛烈な叱咤にあります。
 魯迅先生が、どれほどこの問題で悩み、苦心惨憺したか。それは池田先生が先ほど「魯迅ほど民衆の底の底まで見つめ、厳父のごとく叱咤し、慈母のごとく慈愛しぬいた作家も稀ではないでしょうか。それは瀕死の重傷を負って泣き叫ぶわが子に、涙をたたえてメスをふるう医師の姿をほうふつさせます」と表現されたとおりの壮絶な姿でした。
 池田 そもそも魯迅は、なぜ文学を志したのか。有名な話ですが、彼はこう述べています。
 "愚かで弱い国民は、たとえ体格がどんなに健全で、どんなに長生きしようと意味がない。まず自分たちがなすべきことは、国民の精神を改造することだ。そのためには文芸が第一だと思った"と。
 十九世紀の半ば以降、中国は列強の侵略の下に蹂躪されていた。国内では圧政に苦しめられていた。それでも数億の民は、そうした現状を諦めていた。
 魯迅は、それが歯がゆくてならなかった。文字どおり身もだえするような怒りを、憤りをいだいていた。
 「わが同胞よ、『諦め』の闇から立ち上がれ!旧い社会の壁を打ち破れ!」――彼の激しい言々句々からは、そんな火を吐くような叫びが聞こえてきます。
 金庸 魯迅先生が中国人の幅広い尊敬を受けているのは、彼が傑出した作家・文豪であることにとどまらず、その人格と精神が「作家」という枠を、はるかに超越しているところにあります。たとえ彼が一生の間に一字も書かなかったとしても、中華民族から出た偉大な人物であることに変わりはなかったでしょう。
 時世を憂うる熱情。わが身の危険を顧みず、民衆覚醒の運動に挺身する勇気。また、悲惨な状態に身を置く中華民族に活力を与えるため、甘んじてわが身を犠牲にした献身。中国人は、こうした偉大な人物を「志士仁人」と呼びます。
 巨大な「同苦」の心から出発して、誠心誠意、人々の福利を図り、私心なく献身する姿――それは中国古代、治水に尽力した禹や、広く人々を教化した孔子に比べることができます。民衆を思いやる心情は、釈迦やイエスに匹敵します。
 池田 『故事新編』のなかの「理水」は、舜の時代の水利大臣・禹に対する魯迅の思いをこめた傑作ですね。口先ばかり達者で、実行力などまるでない知識人――現代にも、こうした無責任な口舌の徒が何と多いことでしょうか――に対して、無骨な大男で顔は真っ黒に日焼けし、歩き回ったため足は少し曲がっている禹の風貌は、まさに対照的で、大実践者である「志士仁人」のおもかげをほうふつとさせています。
 私は期せずして、広大なインドの大地を歩き回ったため、足の裏がコチコチに固くなったという、釈尊の故事を想起しました。
 魯迅の"同志"であった茅盾が、彼について書いていますね。
 「われわれの古代の哲人は、『仁者』(革命的ヒューマニスト)だけが人間を愛することができ、人間を憎むことができると述べております。魯迅はこのような『仁者』であります」(『世界文学大系62』所収の松井博光訳「魯迅」築摩書房)
 彼は、単なる作家ではない。中国人が尊敬してやまない古代の聖人賢哲に匹敵するほどの人物なのだ、と。
 金庸 中国人は、こよなく魯迅先生を崇拝しています。彼が頼みにしたものは筆墨だけです。高くそびえ立つ不動の勲功を残したわけでもなく、何千何万という人々を組織したわけでもありません。
 しかし、多くの人々に恵みをもたらそうとする深い愛情や、徹底して奮戦してやまぬ精神は、中国史上の、いかなる偉人にも引けをとりません。
 池田 以前、私は魯迅についてエッセイを綴ったときに、こう書きました。
 魯迅には二つの顔がある。一つは「ペンの闘士」の顔。もう一つは、人間精神の内奥を徹底して見つめ、掘り下げた「哲学者」の顔だ、と。
 どちらか一つの側面に偏って評価することはできません。それほど魯迅という人物は大きい。
 金庸 そのとおりです。大作家であるばかりではなく、一個の大人物なのです。
3  魯迅の民衆観が結晶した『阿Q正伝』
 池田 その魯迅の「民衆観」が結晶した作品といえば、やはり『阿Q正伝』が、その白眉ではないでしょうか。
 阿Qは、姓は不明。名もわからない。文字どおり「無名の庶民」です。
 金庸 『阿Q正伝』は、平凡な人々の「めぐり合わせ」と、その内面を描き、分析することで、典型的な中国人を書き表そうとした作品です。
 池田 おっしゃるとおりです。
 金庸 阿Qは本当は、「趙」という姓を名乗りたかったのですが、有力者の趙旦那に分不相応だと言われ、平手打ちをくらってしまいます。名前もなく、あるのは「Q」という一つの音だけです。
 (「Q」という音に対応する)「阿丘」でもなく、「阿貴」でも「阿桂」でもないのです。どこで生まれたのかもわからず、原籍もありません。(一個の人間としての)個性はなく、あるのは"習性"だけです。
 これは、当時のいかなる中国人にも当てはまることだといえますし、同時に、いかなる中国人もそうではないともいえます。
 池田 阿Qとは、誰彼という個別の人間をさす、いわゆる「小文字」の名前ではなく、あくまでも「大文字」の名称だった。それだけの深さと普遍性をもっていた。
 当時、この作品を読んだ中国の人々が、"阿Qとは、ひょっとして自分がモデルではないか"と愕然とした――そんなエピソードも有名ですね。
 金庸 評論家が阿Qを分析するとき、多くは彼の「精神的勝利法」に着目します。
 (他人にバカにされても、すぐに自分で自分をなぐさめ、ゆがんだ優越感を取り戻すという)"精神的な勝利"だけを求めて、積極的に向上する努力を怠る――これはたしかに、多くの中国人がもつ天性でありましょう。
 しかし、より大切なことは、何が何だかわけがわからないままに、運命に翻弄されている阿Qの悲しい一生です。魯迅先生は、この点を強調しているのです。
 池田 愚かで、見栄っぱりで、いつも場当たり的に、その日その日を暮らしている。何でも自分の都合のよいほうに解釈し、すぐ自分という殻のなかに逃げ帰ってしまう。だから、どんなにバカにされても、どんなひどい目にあわされても平気でいられる――処世の知恵といえば聞こえはいいが、魯迅のいう「精神的勝利法」の内実とは、言ってみれば「悲しいまでに愚鈍な楽天主義」というところでしょうか。
 そんな「精神的勝利法」に浸っていた、当時の中国人に対して、魯迅は皮肉を込めて綴っています。
 「かれ(阿Q)はいつだって意気軒昂である。これまた、中国の精神文明が世界に冠たる一証かもしれない」(『阿Q正伝』竹内好訳、岩波文庫)
 痛烈なアイロニー(皮肉)で、忘れることのできない一節です。
 金庸 ええ。阿Qが意気軒昂になることといえば、町で盗賊に出くわし、その手助けをして、分け前をもらうくらいなもの。いつもは仕事もなく、糊口をしのぐ機会もなく、人々から軽蔑されている。うさばらしに誰かをいじめてやろうと思うのですが、逆に打ちのめされてしまう。仕方がないので、自分より弱い、若い尼さんをいじめます。
 池田 阿Qの愚かさを表現するくだりは、読む者が目をそむけたくなるほどリアルです。思わず本を閉じてしまいたくなるような……。
 それが、ある種の"暗さ"として、当時、世直し運動に挺身していた青年たちが、非難の矛先を向けたところですね。逆にいえば、魯迅の眼光は、尋常一様の人生経験では歯がたたぬような民族精神の「原質」(かつて私が、北京大学での第一回の講演で使った言葉です)まで射通していることの証左ともいえましょう。
 だから、聖人君子ぶった偽善者・インテリに対して、魯迅ほど痛烈に攻撃を加えた人はいません。激しい言葉で……。
 私が三○年前に、日中国交正常化を提言したとき、最初に注目してくださった一人に、中国文学者の故竹内好氏がいますが、氏は、魯迅の筆鋒を「徹底して敵を許さぬという、あのくらい徹底した人はちょっといない」と評しています。愛情と表裏一体の憎しみというか、そこまで徹底しないと本当の革命的論調にはなりえない――ともかく"本物"の凄みを感じます。
 金庸 最後に阿Qは、わけもわからず革命に幻想をもち、いっぱしの革命家を気取り、そしてわけもわからず処刑されてしまいます。当時の中国人は、阿Qと同じように、悲しむべき一生を送っていたのです。
 ただ私は、阿Q個人の主な特徴は「精神的勝利法」にあるのではなく、彼が無感動・無感覚で意志が振るわず、何の知識もないことだと思います。
 阿Qは、その一生を暗黒のなかで過ごし、わずかばかりの光明すら見ずに終わります。魯迅先生は自身のペンを火種にして、幾千幾万の松明に点火し、無知蒙昧な幾千幾万の中国農民に光明をもたらそうとしたのです。

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