Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第七章 新たなる「文学の復興」を――『…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
1  共通の愛読書、『モンテ・クリスト伯』
 池田 先日(一九九七年六月一日)、被爆地・広島の中国平和記念墓地公園に、「世界平和祈願の碑」が建立されました。
 金庸先生には、見事な碑銘をしたためていただき、本当にありがとうございました。改めて、心から御礼申し上げます。
 金庸 とんでもありません。真剣に「平和の心」を込めて、精一杯、書かせていただきました。
 池田 日本では、原爆や戦争の悲惨を伝える意識が、次第に薄れつつあります。また、そうした傾向を、烈火のごとく怒る人間も少なくなってしまった。そうしたなか、金庸先生がしたためてくださった碑は、平和への炎を燃え上がらせる、新たな象徴となることでしょう。
 金庸 日本を訪れたとき、牧口先生が、どのように日本の侵略戦争に反対し、逮捕され、獄死されたかを、池田先生からお聞きしました。また、戸田先生がどのように牧口先生の遺志を継ぎ、壮絶な奮闘を続けられたかをうかがいました。私の心には、敬慕の念が湧いてまいりました。
 池田先生は「正義」を固く守り、「世界平和の擁護」をわが使命とされています。それはまさに、二人の先達から「正義のバトン」を受け継がれたお姿であり、心から敬服せずにおれません。
 池田 恐縮です。おっしゃるように私は、牧口先生、戸田先生から「バトン」を受け継ぎました。今度は、その「バトン」を、青年たちが受け継いでいく番です。金庸先生とのこの対談も、一つには、「青年たちに残す」という意味で進めさせていただいているつもりです。
 金庸 私も、まったく同じ気持ちです。
 池田 さて、前回に続いて文学の話を続けましょう。
 今度は、やはり金庸先生と私の共通の愛読書である、アレクサンドル・デュマ(大デュマ)の『モンテ・クリスト伯』は、どうでしょうか。日本では『巌窟王』の題名でも知られます。
 金庸 いいですね。『モンテ・クリスト伯』は、たいへんに好きな小説です。
 池田 この作品については、香港での初めての対談でも、楽しく語りましたね。
 私の恩師は、"主人公のエドモン・ダンテスが、社交界で成功したのは、財力でも知恵でもない。「信用」があったからである"と洞察されていました。
 この恩師の見方を金庸先生は「よく考えましたが、たしかに戸田先生の言われるとおりだ」と言ってくださった。恩師の弟子として、こんなにうれしいことはありません。
 金庸 この書を話題にしたとき、池田先生は共感をいだいてくださっただけでなく、恩師・戸田先生が、同書をどのように読まれたかを追憶するきっかけにされました。これは本当に縁が深いことを感じます。
 池田 『モンテ・クリスト伯』が、現代の人々に愛されている理由は、さまざまに挙げられると思います。
 たとえば時代背景。十九世紀初頭、王政復古からナポレオンの百日天下という、フランスの激動の時代を背景にしたこと。一途で、不正や不条理には断じて節を曲げないというダンテスのキャラクター。また、当時の貴族階級の生活を丹念に書き込んだ描写力……。ざっと思いつくだけでも、こうした点が指摘できると思います。
 金庸 そのなかで先生は、何が最大の魅力だと、お考えですか。
 池田 何といっても、そのストーリー展開のおもしろさではないでしょうか。
 幸福の絶頂にあったエドモン・ダンテスの運命が、彼を妬む友人たちの陰謀によって一転する。その急転直下の展開。また獄中でファリア神父と出会い、豊かな教養を身につけたダンテスが、復讐の念に燃えて脱獄する。その苦闘と忍耐は一四年にわたる。
 そして「モンテ・クリスト伯爵」としてパリの社交界に乗り込み、神父から譲られた秘宝と知略を駆使して、裏切り者たちを追い詰めていく。
 金庸 全編、息もつかせぬ場面の連続ですね。知らず知らずのうちに引き込まれてしまいます。
 池田 しかも要所要所に、人生の貴重な経験と知恵がキラ星のようにちりばめられている。
 この作品が単なる娯楽作品にとどまらず、壮大な世界文学として不朽の光を放っているのも、この千変万化のストーリー性にあるといえるでしょう。
2  小説の舞台、フランスのイフ島を訪ねて
 金庸 三年前、私と妻は、何人かのフランスの友人と一緒に、マルセイユを観光しました。友人の一人がマルセイユ市の海上消防隊の隊長で、私たちを案内してくれました。
 マルセイユと海を隔てて浮かぶイフ島は、ぜひ訪れてみたいと、思いを募らせていた名所です。その友人がいうには、デュマの小説のおかげで、イフ島は観光のメッカになり、多くの観光客が見学にくるそうです。
 実際には、ダンテスその人が、この島に囚われていたわけではなく、根も葉もない作り話なのですが。(笑い)
 池田 私も、マルセイユを訪れた際(一九八一年)、イフ島を遠望したことがあります。思ったほど陸地から離れておらず、ダンテスほどの水泳の名手なら、簡単に泳いで渡れそうな感じがしました。(笑い)
 南フランスの、まばゆいばかりの陽光を浴びて、コバルト色の海に浮かぶ白い小島を遠望しながら、恩師の獄中の闘いのことなど、しばし思いをめぐらしたものです。
 小説が売れたことで、その小説の舞台まで名所になることは、よくありますね。
 金庸 私にも、似たような経験があるのです。
 『射鵰(しゃちょう)英雄伝』という小説で、女性主人公の黄蓉と、その父親・黄薬師が住む桃花島を描きましたが、この島自体は舟山群島の東にある、実在の小島です。ところが小説とテレビで広く名前が知られたために、島はたいへん有名になり、観光地になりました。
 私が島を訪れたとき、村長と党指導者から、"ここが「東邪・黄薬師」の旧居であることをハッキリさせたいので、記念に一筆、書いてもらえないか"と頼まれました。(笑い)
 小高い丘には小さな「あずまや」が建てられており、小説から取った「試剣亭」という名前が、ちゃっかりつけられていました。(笑い)
 ちなみに観光客を送り迎えするため、新しく購入された船の名前は「金庸号」です。
 池田 人気作家ならではの"有名税"ですね。(笑い)
 金庸 でも私は、彼らの好意に心から感謝したいと思います。
 小説が事実にもとづいたものであろうとなかろうと、作品の品位を傷つけることはありません。それに読者が「これは真実だ」と思い込むことは、読者の想像を一つ増やすことです。また、その土地の風情を、一つ増やすことにもなる。
 世の中には、いわゆる「名所旧跡」が、ずいぶんありますが、その多くは「こじつけ」ではないでしょうか。たとえば杭州の西湖にある「断橋」は、ふつう神話に出てくる白娘子と夫の許仙が出会ったところだと信じられています。しかし、現実に白蛇の精が人間と愛し合うことはありません。(笑い)
 池田 日本では、たとえば山本周五郎の『樅ノ木は残った』などが、そうした例になるのかもしれません。
 NHKテレビの大河ドラマで放映されてから、物語の舞台である仙台が一気に有名になり、そこここに物語にちなんだ"名所"が増えたようです。(笑い)
 少々、飛躍するかもしれませんが、宗教の次元から言うと、いわゆる「名所旧跡」を訪ねるというのは、あまり意味がないといえます。現実の生活の場を離れて、どこかに聖地や神秘的な霊地を求めるのは、普遍的な信仰のあり方ではない。
 国際宗教社会学会元会長のオックスフォード大学のウィルソン博士と対談をしましたが、博士は「信仰は、特定の場所を神聖視する地域主義的なシンボリズム(象徴主義)を克服すべきである。寺院建築は、本来の宗教心や精神と比較すれば重要ではない」と言われていました。
 牧口初代会長も、若き日の大著『人生地理学』で、"発達した人民は、必ずしも宗教の起源地、その他の霊地を参詣せずとも、内心の信仰によって、その宗教心を満足させることができる"(要旨)と喝破されています。私も、まさにそのとおりだと思います。
3  「多作」の作家デュマの実像
 金庸 同感です。
 ところでデュマの小説は、三百作近くあるといわれますが、ほとんどは別人が書いたものです。デュマの名をかたって書かれたものもあれば、借金返済に困ったデュマが、二流三流の作家を雇って、粗製濫造したものもあります。(笑い)
 池田 ライバルから「小説製造工場の工場長」(笑い)と攻撃されたこともあるようですね。
 金庸 そのためにレベルが低く、構成も甘く、人物描写もいいかげんなものが多い。私も、まんまとだまされて読んでしまった偽作が少なくありません。(笑い)
 彼自身が書いた作品は、もちろん素晴らしい出来ですが、それは『三銃士』の三部作、『モンテ・クリスト伯』『黒いチューリップ』『マーガレット王妃』など、わずか数作だけです。
 池田 残念ながら、『黒いチューリップ』『マーガレット王妃』などは、日本ではあまり知られていません。どんな物語ですか。
 金庸 『マーガレット王妃』は、フランス王シャルル九世の母親が、本のページに毒を塗り、娘婿のアンリ四世を毒殺しようと企てます。しかし、彼女の息子のシャルル九世が先に本を手にしてしまい、結局、息子を毒殺してしまったという話です。
 池田 なるほど。同じような話は、中国にもありますか。
 金庸 あります。明の大文人・王世貞は、父の仇を討つために、恋愛小説の逸品『金瓶梅』を書き上げます。その一枚一枚にすべて毒をしみこませ、人から人へ転々とさせた揚句、宰相・厳嵩の息子である厳世蕃の手に渡るよう仕組みます。
 厳世蕃は一読するや、案の定、この本の虜になります。夢中で読み進むうち、(毒が接着剤の役割を果たして)ページとページがくっついている個所に行き当たります。そこで指に唾をつけてはがそうとした途端、毒に当たってしまうのです。毒は弱く、中毒死することはありませんでしたが、脳をやられてしまいます。
 厳世蕃は、もともと父親の厳嵩の知恵袋でした。皇帝が祈りを捧げるときに読み上げる、道教の"祝詞"である「青詞」を書くのが得意でした。厳嵩は、そのおかげで、時の嘉靖皇帝の寵愛と信頼を得ていたのです。ですから、厳世蕃の知力が衰えてしまったあと、厳嵩は失脚します。厳世蕃も牢獄に入れられ、そこで亡くなります。
 池田 実際に、あった話なのですか。
 金庸 非常に疑わしい話です。(笑い)
 歴史考証によれば、『金瓶梅』は王世貞の作品ではないといわれています。ただ洋の東西を問わず、本に毒を塗った話で熱心な読者に満足してもらおうと考えた人がいたことは事実のようです。
 池田 古来、毒というものは、人間を悪へと引きずり込んでいく魔力があるようです。『モンテ・クリスト伯』でも、復讐相手であるヴィルフォール検事総長の夫人が登場するくだりで、毒殺の話が出てきますね。
 少々不気味ですが、西洋では「ボルジアの毒薬」伝説といい、毒をめぐる物語は多いようです。
 一○年ほど前に、中世のキリスト教の修道院を舞台にした『薔薇の名前』(ウンベルト・エーコ)という小説がベストセラーになりました。映画にもなりましたが、ここでも「本のページに毒を塗る」というトリックが出てきます。
 金庸 デュマの作品の『黒いチューリップ』は、チューリップに魅せられたオランダ人を描いています。恋する一組の男女が、黒い花をつけるチューリップの品種の栽培に成功し、大いに人気を博します。すると、嘘や力ずくで、ごっそり横取りしようとする人間が現れ、ここからスリルに富んだ場面が次々と展開します。

1
1