Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

第六章 青春の書――『プルターク英雄伝…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
1  文学をめぐって共通する愛読書
 池田 「対談は、いうなれば友人同士が公開で手紙のやりとりをしているようなものです。文学をはじめ、お互いが相手に話しかけたいことを書きつづっていく。それを、ほかの皆さんも興味があれば一緒に楽しむ――そういうことになるかと思います」
 香港のご自宅での語らい(一九九五年十一月)で、金庸先生が話されたこの言葉は、まさに私たちの対談の「心」を語ってくださっています。現代中国語文学の巨匠である先生と、「文学」をめぐって、ざっくばらんに語り合えることは、私にとって何よりの喜びです。楽しみです。
 金庸 池田先生は以前、「私たち二人は、青春時代から愛読してきた文学作品のなかで、なんと多くの共通項をもっていることでしょう。本当に不思議でなりません」と言われました。
 前回も申し上げましたが、中国人は「酒、知己に逢わば千杯といえども少なく、話、投機せずんば半句たりとも多し」という諺をよく口にします。お酒を飲みながら談笑することを好むということでは、中国人も日本人も変わりないのではありませんか。(笑い)
 話に興が乗り、意気投合する。そうすれば、うれしくなって、「さあ、どうぞもう一杯」「あなたこそもう一杯」と勧め合う。ますますお酒の量は増え、語るほどに心は高揚していくものです。
 池田 ただ残念ながら、私はお酒が飲めません(笑い)。これがお酒が好きだった恩師であれば、きっと「意気投合」したにちがいないのですが。(笑い)
 金庸 いわゆる「知己」とは、互いに理解し合い、信頼し合い、相手を尊重し、相手を認め、たたえることです。
 私たちはよく「士は己れを知る者のために死し、女は己れを説ぶ者のために容る」(『史記Ⅵ』村山孚・竹内良雄訳、徳間書店)といいます。女性が化粧をし着飾る目的は、自分に好意を寄せてくれる男性に喜んでもらい、満足してもらうためである。己のことをよく知っている人がいれば、男性は、たとえその人のために命を犠牲にしたとしても本望だ、という意味です。
 池田 『史記』の一節ですね。
 金庸 中国の歴史に登場する、義侠心に富んだ英雄たちは、往々にして知己のために命を投げ出します。しかし正義や、ものごとの是非には、あまり重きを置きません。これは主に儒教思想が広まる前のことです。
 たとえば聶政じょうせい侠累きょうるいを殺し、専諸が呉王・僚を殺し、侯嬴こうえいが信陵君のために自殺を遂げ、予譲が趙襄子を殺そうとした。いずれも、ただ知己の恩に報いるためであって、いかなる正義も重要な目標になっていません。
 このことは日本の武士の理想に近いのではないでしょうか。弁慶の忠勇もまた、「己を知る者」に対する献身であり、義侠心に富んだ特筆すべき行いです。いうまでもありませんが、後世の「神風特攻隊」の忠勇に比べて、明らかに性質が異なります。
 池田 「正義」とは何かということは、難しい問題ですね。プラトンの大著『国家』は副題に「正義について」とあるにもかかわらず、正義そのものについての言及は皆無に近い。それほど難問中の難問なわけです。ただ一つ、決して忘れてならないことは、正義というものは、人間の身近な、率直な感情に即して探求されなければならず、それを無視したり歪めたりすると、必ず無理が生じてくるということです。第二次世界大戦の最中、戦意を鼓舞するために喧伝された「正義」や「大義」は、その典型です。
 当時は「悠久の大義に生きる」などと死が礼讃されましたが、現実の若者たち、特にものごとを真摯に考える者であればあるほど、それらを、空疎なスローガンに感じていたようです。
 もちろん、人間は無意味に死んでいくことに耐えられません。『きけわだつみのこえ』など戦没学徒兵の手記を見ても、自らの死の意味を必死に模索する若者たちにとって切実な関心事だったのは、まず家族であり、肉親であり、何よりもそうした身近な者たちが住む祖国でした。その祖国のために犠牲になるのだということで、強引に自らを納得させ、死を意義づけながら、"散華"していったのです。
 一番の問題は、「悠久の大義」などという声高なスローガンの下に、若者たちに百パーセント死が決定づけられている、「カミカゼ」などという愚行を強いた指導者たちの無能、愚劣にあります。
 戦争中だけではありません。いつの時代も大義という言葉は、油断できない言葉です。大義というものが大声で叫ばれるほど、その内実を厳しく見極めなければなりません。いきなり、話が大上段になってしまってすみませんが……。
 金庸 いえいえ、おっしゃることはよく理解できます。
 池田 ともあれ、『プルターク英雄伝』や『モンテ・クリスト伯』『三銃士』等々、若き日に同じ作品を読み、胸を高鳴らせてきた先生と私です。今、こうしてめぐり合えたこと自体に、深い縁を感じてなりません。
 金庸 私たちは、ともに動乱相次ぐ戦争の日々に身を置いた経験をもちます。当時、中国と日本は交戦状態にありました。もしあのころ、私たち二人が軍隊に入っていたら、戦場で顔を合わせていたかもしれません。(笑い)
 それはともかく、私たちの個性に共通点があることは、間違いないと思います。
 池田 金庸先生と戦場で遭遇するなど、考えただけでもぞっとします(笑い)。しかし日中戦争は、あくまでも日本による侵略戦争です。当時、私もご多分にもれず"軍国少年"の風に染まっていましたが、前にお話ししたように、中国大陸の戦線から帰った私の長兄が言っていました。「日本はひどいよ。あれでは中国の人たちがかわいそうだ」と。したがって戦争に対する懐疑の念が芽生えていました。
 軍部は「これは大東亜共栄圏をつくり、アジアの民衆を欧米の手から解放するための聖戦だ」などと宣伝していましたが、戦争の内実は、まるで似て非なるものだったのです。
 戦争の大義と現実とは、なんとかけ離れていることか――日本の敗戦を迎えて、そうした思いは大きくなるばかりでした。
2  愚かな指導者に率いられた民衆ほど不幸なものはない
 金庸 お話をうかがい、戦争の恐ろしさと平和の尊さについて語らずにはいられなくなりました。
 イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学を訪れるたびに目にするのですが、大学内のいくつかの有名な学院には、銅や木でできた銘板が掲げられているのです。そこには数えきれないほど多くの人々の名前が、一行一行、整然と刻み込まれています。注意深く説明を読みますと、こう記されていました。
 「本学院に在籍せし以下の教師、もしくは学生は、一九一四年から一九一八年(または一九三九年から一九四五年)の戦争中に殉国す」と。
 池田 私もオックスフォード大学を訪れたとき、目にしたことがあります。
 金庸 こうした人々はみな、イギリスの精鋭です。オックスフォード、またはケンブリッジの教授、講師、研究生、学生たち――もし若くして戦争の犠牲にならなければ、これらの人々のなかから、どれほど優秀な政治家、学者、科学者、芸術家が輩出したことでしょう。
 ところが現実には、彼らは忽然と、塵に、土になってしまったのです。戦争は、なんという多大な浪費をしてしまったことか。
 しかも歴史が古く、規模が大きい学院ほど、名簿に記された人の数も多いのです。見るたびに、いつも悄然とさせられます。悲しみに苛まれ、長い溜め息をついてしまいます。
 池田 戦争が多大な浪費であることは論をまちませんが、社会的立場が"上"である者ほど社会に対する責任も重い。イギリスはじめ、ヨーロッパの伝統ですね。「ノーブレス・オブリージ」(高貴なる者の義務)――かつて私も創価学園の生徒に語りました。
 近代の日本、特に戦争の泥沼に踏み込んでいった昭和の指導者たちには、そうした気風は希薄でした。立場が"上"になればなるほど保身になり、自分は矢面に立たない。責任を取らない。その結果としての政策決定、意思決定のシステムの脆弱さ、無責任さは、東京裁判を通じて、白日の下にさらされました。
 戦争は絶対にあってはなりませんが、日本の社会も、そうした良い意味での「指導者の徳」を育てなければなりません。
 金庸 今、当時を振り返って、国のために命を捧げられずに惜しいことをしたと誰が思うでしょう。当時、私たちは満身に敵意と恨みをいだき、相手を殺したいと思っていました。しかし、そうした敵意は、まったく不必要なものだったのです。それは戦争の過ちであり、戦争を引き起こした権力者、政客、軍部指導者の過失だったのです。
 池田 私も、そう思います。"戦争を準備するのはいつでも悪徳で、戦うのはいつも美徳だ""戦争というのは、ウソの、だましの体系である"などといわれるとおりです。
 特に当時の軍部指導者の、なんと愚かだったことか。評論家の村上兵衛氏が、自身の軍隊経験に照らして言っています。
 「参謀、上級指揮官、将軍たちが、何故あのように無知無能、傲慢、かつ愚劣としかいいようのない識見の人物で多く占められていたか」(『国家なき日本』サイマル出版会)と。
 私の長兄は、ビルマ(現・ミャンマー)で戦死しました。いな、戦死させられました。兄が犠牲になった悪名高いビルマの「インパール作戦」も、無能な軍部指導者の、無謀・低劣極まる軍事計画によって行われたものです。
 以前、「インパール作戦」の跡をたどるテレビ番組を観ました。大好きだった兄が、どんなに悲惨な状態のなかで死んでいったか、どれほど苦しかったかが、痛いほど胸に迫りました。愚かな指導者に率いられた民衆ほど不幸なものはありません。私たちは断じて、二度と再び、過ちを繰り返してはなりません。
3  人間的魅力に満ちた『プルターク英雄伝』
 池田 さて、私たちの対談も今回から、いよいよ「文学をめぐって」の章に入ります。数々の文学作品を話題に、互いの文学観、人生観を大いに語っていきたいと思います。
 金庸 私たち二人の愛読書が共通している主な理由は、個性が似通っているからだと思います。知己と呼ばせていただくのは、あまりにおこがましいことですが、少なくとも、「類は友を呼ぶ」ということは、差し支えないでしょう。(笑い)
 お酒が好きな人同士は、すぐにでも友人になれます。相撲やボクシング、サッカー、野球、バレーボールなどスポーツを観戦するのが好きな人同士は、それらの話を通じて友情を結びやすい。個性が似通っていれば、嗜好も共通するものです。
 私たちは青春時代、冒険や闘争心にあふれた英雄の物語を好んで読んでいました。そうした読書経験が、私たちの性格のなかに「行動」を好む積極性を養った。困難と衝撃に、たやすく屈服しない強さを育てました。
 池田 そうですね。私たちの「青春の書」といえば、まず『プルターク英雄伝』があげられると思いますが、どうでしょうか。
 金庸 ええ。若い読者のために、少し説明を加えておきましょう。
 私が読んだ『プルターク英雄伝』の英文の題名は、『ギリシャ・ローマの高貴な人物の伝記』です。これはイギリスのノース卿がフランス語訳から英訳したものです。
 原作者プルタルコス(プルターク)はギリシャ人ですので、原作はギリシャ語です。ノースの翻訳は、最も早い英訳ではありませんが、訳文がたいへん素晴らしく、ドラマ性に富んでおり、筆運びも華麗です。今日にいたるまで、多くの人々に読まれ続けています。
 シェークスピアは、この訳本から、ジュリアス・シーザー、アントニウス、クレオパトラ、アテネ人デモン、カレオラナス、ペリクレスなどの伝記数編を題材として取り上げています。
 ノースの文章が優れているため、シェークスピアの劇中では、若干の潤色はほどこされているものの、文章を直接引用した台詞が数多く見られます。
 池田 日本人でも、一度は名前くらい聞いたことのある英雄たちが、たくさん出てきますね。
 日本では一九五二年から五六年にわたって、岩波書店から完訳本が刊行されています。河野与一氏の訳業です。
 金庸 『プルターク英雄伝』の原題は、そのまま訳すと、『対比列伝』といいます。初めにギリシャの英雄の伝記を、続いてローマの英雄の伝記を描き、これを一対としているところから、この名前があります。
 対をなす二人の英雄は、功績、地位、性格が似通っており、一対の伝記が終わるごとに、比較と評論が加えられています。描かれている英雄は全部で二二対です。また、これとは別に、対になっていない独立した四編の伝記が含まれています。
 ノースの訳本では、まずギリシャの国を開いた君主・テセウスが登場し、その後にローマを開いたロムルスが登場します。
 中国語版では『ギリシャ・ローマ英雄伝』といいますが、完訳ではありません。訳文も、あまりこなれていません。読んでも無味乾燥で、味気なさだけが残ります。
 池田 日本や中国に紹介されたのは、ずっと後になりますが、ヨーロッパの文学や歴史に与えた影響は、計り知れませんね。
 金庸 ギリシャ、ローマの伝説上の、または実在の偉人の生きざまを、実に詳しく描き出しています。また、主だった戦争のようすがいくつも描かれていますが、英雄たち自身の描写よりもさらに臨場感があり、精彩をはなっています。
 作者は「対比」に重点を置いているようで、対をなす二人の英雄の類似点を、ことさら取り上げては、共通性を強調しています。
 また作者は、道徳と品格を重視して、偉大な功績そのものは、重んじていません。そうした記述の姿勢によって、偉人たちはいっそう、血もあり肉もある「人間」として、生き生きと描き出されています。
 この本がフランス大革命に与えた影響も大きい。ドイツ語訳は、ゲーテ、シラー、ベートーヴェン、ニーチェにも愛読されました。
 池田 『プルターク英雄伝』の魅力について、「英雄が『人間』として描かれている」ことを挙げられました。私も同感です。
 十九世紀の歴史主義以来、マルクス主義をはじめ多くの歴史観は、歴史の法則性あるいは必然性を追うあまり、歴史を創るのはほかならぬ人間である、という視点を、ともすれば、なおざりにしがちでした。一言にしていえば、「人間不在」ということです。そういう歴史書は、教えられるところはあるにしても、とにかくおもしろくない。
 人間を置き去りにした、近代の歴史観、世界観の破綻を決定的に示したのが、二十世紀の壮大なる実験に失敗した、旧ソ連や東欧の社会主義の現状でしょう。
 「歴史的必然」という言葉が、二十世紀ほどひんぱんに語られた時代はありません。しかし、歴史の流れがあらかじめ決まっており、しかも、それを人間が知りうるなどという考えは、傲慢そのものであって、もしそうなら、外的要因で一切が決まってしまうという一種の決定論であり、これほど簡単なことはありません。
 そこでは人間の独創性とか、主体性、努力といったものは、極端にいえば、すべて無意味になってしまう。つきつめれば、人間は、どうあがいても運命に逆らえない、何をやってもムダ、ということにもなりかねない。
 その意味では「物的決定論」ともいうべきマルクス主義と「心的決定論」ともいうべきフロイディズム(フロイト主義)が、二十世紀の二大思潮であったということは、象徴的です。
 ところが『プルターク英雄伝』の英雄たちの、なんと人間的魅力に満ちていることか。
 小林秀雄氏は「『英雄伝』とは言うが、テミストクレスもペリクレスも、アレキサンドロスもカエサルも、一向英雄らしくはない」(『考えるヒント』文春文庫)と述べています。どの英雄も実に人間くさい。多くの人間的欠点をもち、矛盾をかかえている。失敗も多い。決して聖人君子などではありません。
 でも、それが「人間」というものです。悩み、苦しみ、試行錯誤しながら、それでも現実と格闘し、歴史をつくり、歴史を残していく。『プルターク英雄伝』には、そんな赤裸々な「人間たち」の生きざまが淡々と綴られています。内容からいえば『英雄伝』というより、むしろ『人間伝』といったほうが適切かもしれません。

1
1