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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 友情、精神と人格、仏教との出合…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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1  友情を尊ぶ中国の倫理観
 金庸 友情について語り合ってきましたが、とても興味深いテーマですので、もう少し続けさせていただきたいと思います。
 池田先生の数多くの著作を読んで気がついたのですが、先生は友情をとても重視されていますね。そもそも創価学会自体、親愛なる友人同士でできた、一つの大集合体といってよいのではないでしょうか。
 池田 おっしゃるとおりです。学会は、どちらが上か下かという「タテ」の関係や、利害などで結ばれた団体ではありません。利害を超え、立場を超えて、人間同士の「ヨコ」に広がる「平等の人間愛」、深い「友愛」で結ばれた団体です。
 金庸 中国人の倫理観では、友情はまず兄弟から始まります。比較的大きな家庭では、赤ん坊が生まれると、その赤ん坊が両親の次に接触するのは兄弟です。
 昔の中国では、家庭での人間関係の在り方を「父慈、子孝、兄友、弟恭」と表現しました。兄弟は血を分けた肉親の情に加えて、友情にも似た感情を併せもっているのです。
 池田 やはり日本とは、ずいぶん違います。一面、それほど「肉親」の結びつきが強いということですね。
 金庸 ええ。中国人は伝統的に、夫婦の情よりも兄弟の情を重んじます。ことわざにも「妻は衣服のようなもの。兄弟は手足のようなもの。なぜなら衣服は破れても繕うことができるけれど、手足がとれてしまえば、継ぎ足しようがない」といいます。
 これは、ある意味で女性や妻の地位を軽視していることは否めません。ただ中国社会で、いかに兄弟の関係が大切にされているかが、おわかりいただけると思います。
 池田 「七歩の詩」――『三国志』の時代に、魏の文帝(曹丕)が弟の曹植を重い罪に落とそうとしたとき、曹植が謳った詩など、兄弟の情愛を訴えた詩として有名ですね。
 「豆を煮るに豆がらを燃やす。豆は釜中にあって泣く。もと是れ同根より生ず。相煎ること何ぞはなはだ急なる」(豆を煮るために豆がらを燃やす。豆も豆がらも、同じ豆の茎から生まれたものではないか。それなのに一方は煮る側、一方は煮られる側という間柄になるとは、なんともひどいことではないか)
 この詩に心を動かされた文帝は、とうとう罪を軽くすることにした――。歴史の常として、権力闘争は兄弟をも引き裂きますが、この詩はその愚かさを教えています。
 金庸 さらに別の角度から申しますと、中国人は、良き友人をさして「兄弟」という場合もあります。中国人が手紙を書くときは、ふつう相手を「吾兄」と称し、自分を「弟」と称します。また、それが真の友人ならば義兄弟の契りを結びます。ある種の儀式を経て、異性同士の友人が義兄弟の契りを結ぶこともあります。
 義兄弟の契りを結ぶときは、こんな誓いを立てます。「同年同月同日に生まれることはできなかったけれど、同年同月同日に死ぬことを願う」と。
 西洋では、一緒に死のうと誓いを立てるのは、熱烈に愛し合う恋人同士です。しかし中国のこのような義理人情の世界では、愛情より友情を重んじるのです。
 池田 「同年同月同日に死ぬことを願う」――『三国志』に出てくる「桃園の誓い」を思い出します。
 金庸 そうです。『三国志演義』での劉備、関羽、張飛三人の義兄弟の契りは、友情の模範になっています。また『水滸伝』でも一○八人の登場人物が義兄弟として結ばれるくだりがあります。中国では、後世の秘密結社も、こうした形式を基準にしてきました。
 また、『三国志演義』にしても、『水滸伝』にしても、友情とともに、すでにお話しした「義気」についても論じています。友情は、主に感情が、その源になっています。それに比べて「義気」には、理知的な判断が含まれています。
 つまり感情からいえば、あまり深い交友関係があるわけではない。しかし「このようにしてこそ、道理にかなっている」と思えば、そのために大きな犠牲を払うことが往々にしてあります。これを「義気」といいます。
 池田 「義を見て為さざるは勇なきなり」(『論語』)。「こうすることが人間として正しい道だ」と知れば、一身をなげうってでも戦う。人のために己をも捨てる。まさに金庸先生の武侠小説に描かれる「丈夫」の生き方です。
 金庸 池田先生にお聞きしたいのですが、日本の社会では、ふつう友情について、どのように考えていますか。私は先生との交友から、先生が私を良き友人として遇してくださっていることを実感しています。老年期にいたっても、まだこのような友人に恵まれるとは、私は本当に幸せです。
2  「友情」の育ちにくい日本の精神的土壌
 池田 過分なお言葉です。
 ご質問に関していえば、日本は一般的にいって、なかなか友情が結びにくい社会だといえるでしょう。
 友情とは人間社会の「ヨコ」に広がる絆です。ところが日本の社会は「タテ社会」――いわば「上下」の関係を軸に成り立ってきた社会だからです。
 金庸先生は『書剣恩仇録』の〈日本の読者諸氏へ〉で、こう述べておられますね。
 「中国の侠士の基本的な考え方は、日本の『武士道』とも違いがある。武士道の中心は『忠』の思想である。恩ある主君に忠を尽くし、命を犠牲にしても惜しくはないという考えだ」(『書剣恩仇録』〈一〉岡崎由美訳、徳間書店)と。
 先生の言われるとおりで、日本では長く「忠義」が社会道徳の根本でした。吉川英治の小説などには「君、君たらずといえども、臣、臣たり」という言葉が、しばしば出てきます。たとえ主君が横暴で、理不尽であっても、とにかく主君に忠義を尽くす。そうした「タテ」の関係が強すぎて、友情という平等の「ヨコ」の人間関係が育つ土壌が、あまりなかったように思います。
 「忠臣蔵」はもちろん、近代以降の文学でも、『阿部一族』(森鴎外)や『樅ノ木は残った』(山本周五郎)など、主君への忠義をテーマにした作品は多い。それに比べ、友情を取り上げた作品となると少ない。
 そもそも友情という観念自体、日本の歴史のなかでは、あまり発達しなかったのではないか、と指摘する識者もいます。友情というものが大切だと盛んに言われだしたのは明治以後のことで、それもヨーロッパから取り入れたモラルではないか、と。
 金庸 なるほど。
 池田 中国では何といっても「家」という観念が伝統的に強いですね。「家族」が道徳の源泉のようなところがある。
 作家の陳舜臣氏は、こう言っています。
 「中国人の『団体感』なるものは、家で行き詰ってしまう。それほど家の『壁』は高い。それを乗り越えて、村―町―県というふうにひろがらない。とても国家まで届かないのである」(『日本的中国的』徳間文庫)
 また、フランシス・フクヤマ氏も述べています。
 「中国系社会は日本とは著しく異なり、集団志向的では〈ない〉のである。林語堂(リン・ユタン)の言葉を借りるなら、日本の社会は一個の花崗岩にたとえられるのに対して、中国の伝統的社会は家族というバラバラの砂粒でできたもろい盆のようなもの、ということになる」(『「信」無くば立たず』加藤寛訳、三笠書房)
 それほど中国では、「まず家族ありき」である、というのです。
 金庸 よく理解できます。
 池田 そうした「家族中心のタテ型社会」から、金庸先生が先ほど言われた「義兄弟の絆」とか、親しい友人をさして兄弟と呼ぶといった習慣が、どうして生まれたのか。
 この点について陳舜臣氏は、「孝」、つまり「親への孝行」という道徳と関連づけて、こう指摘しています。
 「『孝』は絶対である。どんなに悪い親にでも、孝道を尽さねばならない。家族中心の強い中国人は、この絶対的という堅苦しい関係は、家のなかだけでたくさんだと考えた。社会に出て対人関係を結ぶとき、できるなら親・子というタテ型の関係を避け、せいぜい兄・弟というヨコ型にしようとした」(前掲書)と。
 「孝」という「タテ型」の道徳が、あまりにも強すぎた。そこで社会での対人関係の基本を、兄弟という「ヨコ型」にしたというのです。
 『三国志』の関羽や張飛も、義兄弟としての絆の深さ、強さは書かれていても、それぞれの家族、一族については、ほとんど出てきませんね。
 こうしたところにも、この作品が中国人に愛されてきた理由が隠されているのではないでしょうか。つまり、堅苦しい「家」の観念から解き放たれた、「ヨコ型の人間関係」への共感、あこがれといったものです。
 金庸 とても興味深いご指摘です。
 今、先生は、日本には友情が育ちにくい。それは伝統に根差した日本の「タテ社会」と深いかかわりがある、と論じられました。そのほかに、いかがでしょうか。
3  互いに真に理解し合える「知己」の大切さ
 池田 もう一つ挙げれば、良い意味での「個人の独立」という意識が薄かったからではないでしょうか。
 福沢諭吉は明治維新後の日本が独立国として成り立っていくためには、個人の「独立自尊」が条件だと訴えましたが、事情は今も同じです。とかく「独立した人格」というものが、日本には乏しい。
 ここでは詳しくは論及しませんが、そうした「独立した人格」が形成されにくかった原因の第一として、福沢は、日本の宗教、特に仏教の在り方が、人間の精神的なバックボーンたりえなかったからだと、喝破しています。傾聴すべき意見だと思います。
 確固とした「個」、人間としての「根」がないから、どこまでいっても「ヨコ並び」。個と個がぶつかり合って切磋琢磨していこうという積極的な発想がない。ともに人格を向上させていこう、自分を高めていこう、そのために、ときに厳しく意見し合い、とことんまで論じ合おう――という姿勢に欠けている。
 逆に何ごとも人より目立つまい、「ほどほど」でいこう、という傾向が強い。むしろ、抜きんでた存在に対しては、足を引っ張ろうとする。厳しくいえば、人間関係のうわべを取り繕うことで、個人と個人がぶつかり合う「向上の道」を避けているといえるかもしれません。
 金庸 よくわかりました。
 中国人は友情を結ぶうえで、「知己」という考え方を、たいへん重視します。互いに理解し、気が合うことが最も大切なのです。その場合、長年の友人同士である必要はありません。
 『史記』に「ことわざに曰く、白頭といえども新のごとく、傾蓋すること故のごとし」とあります。意味は、もしも互いに意見が合わなかったら、たとえ子供のころからの知り合いであって、ともに頭が白くなるまでつき合ったとしても、それはつい最近の知り合いと何ら変わることはない。もし意見が一致するならば、たとえ道で偶然に出会い、車を降りて話を交わしただけの者同士でも、もう古くからの友人と変わらない、ということです。
 つまり、「酒、知己に逢わば千杯といえども少なく、話、投機せずんば半句たりとも多し」(本当の友人に出会うならば、酒を千杯くみかわそうとも、話は尽きない。逆に話が合わなければ、少し言葉を交わすだけでも、わずらわしい)ということです。

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