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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 日本と香港――「環太平洋文明」…  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

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1  「対話」と「漸進主義」で築く「共栄」の世界
 池田 今回の香港返還問題で私が最も注目するのは、返還が「平和裏」に、「話し合いによる合意」のもとで行われることです。
 実際の返還交渉では、かなりの紆余曲折があり、金庸先生ご自身がご苦労されたところでしょう。
 しかし、ともかく武力が行使されることはなかった。ともすれば返還という変化に目を奪われがちですが、その底に光る歴史的な意義は大きい。
 先生は、"アジアは各国が平等な立場で「共栄」していくべきであり、その「共栄」も、世界の平和も、いっぺんにはできない。少しずつ近づいていくしかない"と言われました。
 急激にではなく、着実に、漸進的に進む。金庸先生の言われるとおりです。
 本当の、共に栄えゆく平和な世界を築くには、「漸進主義」、つまり一にも二にも、「粘り強い対話」です。「話し合い」に尽きます。
 金庸 そのとおりです。
 中国数千年の歴史を貫く政治の知恵は、「功を急げば目的は達せられない」ことを強調しています。「苗の生長を助けようとして苗を抜いてしまう」ことを戒めてきました。民間の知恵にも、「事が緩やかであれば、円満、円滑にいく」とあります。
 池田 日本の諺にも「急がば回れ」とか、「急いては事を仕損ずる」とあります。これは、いつの世にも変わらぬ人間への戒めであり、普遍的な教訓であると思います。
 ところが、近代特に二十世紀の文明は、進歩を急ぐあまり、この知恵の大切さを忘れ去ってしまいました。
 中国悠久の歴史から巨視的に見れば、一○年、二○年という短い物差しでは判断できませんね。一○○年、二○○年という長いスパンでものごとを考えていくことが、偉大なる知恵に通じます。
 ゴルバチョフ氏が、私との対談のなかで、幾度となく力説していたのも、この「漸進主義」でした。東西冷戦の終結をもたらした、有名な「新思考外交」を進めるうえで、特に念頭においたことは何であったか。ゴルバチョフ氏は言われていました。「私たちは国家関係の基礎に"対話"をおきました」と。ものごとを進めるためには、武力に訴えてでも解決をはかる「急進主義」ではなく、対話を「武器」とする「漸進主義」を選択すべきである、というのです。
 金庸 よくわかります。世界平和は、いっぺんにはできません。少しずつ近づいていくしかありません。
 池田 人間だけが対話できる。人間だけが、対話で心を通わせていける。対話で問題を解決していける。このことに人類みなが気づいていかねばならない。ともすれば複雑な図式の前に、人は明快な理を忘れてしまいます。そんなときは「複雑」を排し、「単純」に帰して対処することです。
 私とゴルバチョフ氏との対談は、『二十世紀の精神の教訓』と題されておりますが、空前の"人柱"の上に描かれた二十世紀の最大の教訓は、ナチズムと並んで、ボルシェビズム、すなわちソ連型社会主義という急進主義の悪にある。このことを、ソ連最後の共産党書記長は強調してやみませんでした。
 「漸進主義」こそ、二十一世紀への「安定の軌道」「向上の軌道」ではないでしょうか。
 そして香港と中国の方々は、その軌道の「歴史の一歩」を、事実のうえで印された。今回の返還問題の意義の一つを、私はそう見ます。
 金庸 まさしく「段階を踏んで進む」べきです。「実情にもとづかず」「段階を踏まず進む」ことが、どんなに大きな損害をもたらすか。
 中国で試みられた「大躍進」などは、そのことを実証した最近の例です。
 もちろん、もし中国の生産が「イギリスを追い越し、アメリカに追いつく」ことができるなら、こんなに良いことはありません。しかし、実際の条件を考えてみたとき、そんなことが果たして可能でしょうか。
 今、香港の「民主派」の指導者たちは、口々に毛沢東を批判します。しかし彼らの政治綱領は、かえって毛沢東の晩年の「間違った方式」を採用しているのです。
2  現実離れしたドグマにしがみつく悲劇
 池田 かつて金庸先生は、「明報」にこう綴られました。「実際の状況にそぐわない融通性のない思想を、教条という。ソ連式のマルクス・レーニン主義は教条であり、中国に大いなる災害をもたらした。欧米式の民主主義は本来、良い制度だと言えるが、香港の実際の状況を考慮せず、公式をあてはめるような『お仕着せ』であれば、それもまた教条である。将来、災害をもたらさないとは、必ずしも言えまい」と。
 現実離れしたドグマ(教条)にしがみつく悲劇――これまた、ゴルバチョフ氏と、語り合ったところです。
 「人間」が基準になるのではなく、「ドグマ」によって人間が裁かれていく愚を繰り返してはなりません。こんな悲劇は、もう止めにしなくてはなりません。
 金庸 そういえば池田先生の著作に、「思想」についての、こんな発言があったことを思い出します。具体的な人間を離れて、「抽象化された思想」が独り歩きすると、かえって人間を傷つけ、不幸にする場合がある、と。
 つまり、人民のため、国家のため、民族のため、自分のため、世界のために、利益があるかどうかが、抽象的な「真理」や「イデオロギー」よりも大事であるということですね。
 池田 的確な、また深いご理解に感謝します。「抽象化された思想」の独り歩きも、結局は「人間」を思いやる心を忘れたところから始まります。
 金庸 武力によらず、対話という手段で国際紛争を解決していく。池田先生がゴルバチョフ氏との対談で強調されていた、この原則についても、私は大賛成です。
 先日、先生との手紙のやりとりのなかで、一九九六年来、衆目を集めている釣魚台群島(日本側の呼び名は尖閣諸島)の主権問題について語り合いましたね。先生はお返事のなかで、私の意見に賛同され、こう述べられました。
 「釣魚台群島の主権が、どこにあるかという問題について日中両国が平和を念頭において話し合い、協議をまとめるべきです。双方ともに両国の友好関係をそこなうような、一方的な行動に出てはなりません。
 もし合意が得られなければ、しばらくはそのままにしておいて、将来また話し合いを再開すればよいのではないでしょうか。群島付近の天然資源は共同で開発し、双方が納得のいく方法で利益を分配することもできるのですから」と。
 池田 両国の友好にとって、たいへん微妙な、そして大事な問題です。だからこそ「話し合い」を根本にしなければなりません。速断はいけません。古来、領土をめぐる血で血を洗う紛争は限りなくあったわけですから。
 金庸 実際、中国当局の主張も、私たちの意見とほぼ同じです。
 一九九六年秋、北京で開かれた中華人民共和国の建国四七周年を祝う、国家主催の宴席に参加しました。そのとき、外交部副部長の唐家璇氏と同席し、この問題に話が及びました。氏は、日本を訪問し外務省の担当官と協議したそうです。
 今すぐ、理にかなった解決方法が見いだせないにしても、事態の悪化だけは防いでもらいたいと希望します。
 池田 まったく同感です。金庸先生のお便りには、その深い心情が行間にあふれておりました。
 金庸 貴国の著名な歴史学者・井上清氏は、地道な研究と調査のすえ、『「尖閣」列島――釣魚諸島の史的解明』と題する著書で、多くの歴史的事実を検証しています。そして釣魚台群島は、早くも明朝の永楽年間に中国の版図に属していた事実を指摘され、このことから、群島は中国に所属すべきことを証明されました。井上氏の歴史事実を尊重する公明正大な気概に、たいへん敬服しました。
 国家と民族の利益は、たいへん重要です。しかし一個の人間として、さらに重要なことは、人格が正直で無私であることです。また一人の学者としてさらに重要なことは、事実と証拠を尊重することです。
3  「一国二制度」――中国人ならではの「生き抜く」知恵
 池田 ところで、漸進主義といえば、返還後五○年間、香港の現在の社会体制を変えないという「一国二制度」(社会主義国である中国が、香港の現行の資本主義体制を認める制度)という考え方も、その一つの表れと言ってよいのではないでしょうか。
 金庸先生は一九八一年、香港の代表的かつ中立的なジャーナリストとしては初めて、文化大革命後の鄧小平氏と会われました。
 その席で、中国の経済建設が話題になったおり、こう述べる金庸先生に鄧氏は深くうなずかれていましたね。
 「毎年進歩して後退さえしなければ、進歩の速度は二の次です」と。
 金庸 「一国二制度」は、鄧小平氏の偉大な着想です。彼がこの主張を始めたころ、私は「人民日報」に一文を寄せ、「一言して天下の法となる」とたたえました。
 二つの異なる社会・経済の制度が同時に一国のなかで平和裏に共存し、ともに繁栄を謳歌し、互いに助け合う。この原則によってこそ、香港は返還後も基本的に現状を維持していくうえで、困難を解決できます。また台湾との平和的統一という問題をも解決できるのです。
 さらに大きな視野に立って、その意義を考えてみますと、社会主義陣営と資本主義陣営も平和裏に共存し、互いに助け合うことができるということです。五○~六○年代のように、両陣営が生きるか死ぬかの「不倶戴天の敵」となる必要などないわけです。
 池田 鄧小平氏とは私も二度お会いしました(一九七四年十二月、七五年四月)。「枠」にとらわれない、柔軟でダイナミックな発想に感銘したことを、よく覚えています。
 私は「一国二制度」にしても、社会主義市場経済、経済特区にしても、その発想の基盤は同じだと思います。つまり、社会主義の国だからといって、社会主義経済にばかりこだわらない。あくまでも現実に即しながら、また現実に問いかけながら、よりよい選択を模索していく。実に柔軟な発想であり、優れたバランス感覚です。深圳大学の講演(一九九四年一月)でも申し上げましたが、そこに私は中国古来の知恵を見るのです。
 社会主義市場経済と聞けば、多くの人がその矛盾ばかりをいいます。社会主義は計画経済が根本だ。一方、市場経済は資本主義の「お家芸」ではないか、と。しかし、もっと長い目で見れば、それは矛盾などではなく、中国人ならではの「生き抜く知恵」の発露ではないでしょうか。
 香港の返還についての中国の考え方も、この「現実に即して針路を決める」という知恵に裏づけられているのではないかと思います。

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