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日蓮大聖人・池田大作

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第一章 香港の明日――返還を前にして  

「旭日の世紀を求めて」金庸(池田大作全集第111巻)

前後
1  「宿世の縁」を感じつつ、永遠の「精神の対話」を
 池田 人は多いが、語るべき人は少ない。考えが通じ合う方とお話しするのは、本当に幸福なことです。こうしてお話ししていても、まるで昔からよく存じあげていたような気がします。
 旧ソ連の作家アイトマートフ氏が私との対談『大いなる魂の詩』(上下巻、読売新聞社)を始めるに際し、語っていた言葉が思い出されます。
 「……どのようにして話が始まったのかは覚えていない。より正しく言えば、話は始まったのではなくて、続いたのである。なぜならば、私たちはもっと前から、お互いに知り合う前から、話をしていたからである」(上巻)と。
 金庸先生との出会いにも、同じような意義――仏教的に言うと、「宿世の縁」のようなものが感じられてなりません。
 金庸 私もそうです。「二人は兄弟だ」と言っても、みんな信じるんじゃないでしょうか。(笑い)
 池田 私自身、世界の文学に広く親しんでおり、若いころは、作家を志したこともあります。ゆえに文豪・金庸先生との対談は、なによりの喜びです。
 まして香港の中国返還という歴史的な節目のときに、香港の「良識の灯台」であられる先生と語り合えることは光栄です。
 また、こうした対談企画と時を同じくして、日本でも昨秋(一九九六年)から『金庸武侠小説集』(徳間書店)が翻訳・刊行され始めました。中国語圏での絶大な声望にもかかわらず、これまで日本では、金庸先生の文学世界が味わえなかった。翻訳は喜ばしいかぎりです。
 金庸 ありがとうございます。中国と日本とでは、文化的背景の多くを共有しているにもかかわらず、未翻訳であったのを、少々残念に思っていましたので、たいへん喜んでおります。
 また、私は、ずっと前、池田先生とトインビー博士との対談(『二十一世紀への対話』聖教文庫)を読み、たいへんに感銘しました。このたびの対談は、私こそ光栄です。
 池田 かつてトインビー博士は私に言われました。
 「人類の道を開くのは、対話しかありません。あなたはまだ若い。これからも世界の知性との対話を続けていってほしい」と。私への遺言でした。
 対話――ソクラテスも「対話の人」でした。弟子のプラトンも「対話篇」を書き続けました。私どもが信奉する日蓮大聖人も対話形式で著作を残されています。警世の書『立正安国論』を、「主人」と「旅客」との対話で記しました。
 難解な論文だけでは、どうしても多くの人には読まれないでしょう。また、独り善がりになる場合がある。その点、対話形式は、読みやすく、普遍性があります。
 そして、残された「精神の対話」は永遠です。トインビー博士と対談しているとき、ある国の首脳同士の会談が華やかに報じられていました。しかし博士は「政治の次元は一時的なものであり、地味であっても私どもの対話こそ未来に残るものです」と、厳として言われていました。
 金庸 池田先生は、これまでも多くの世界の著名人と対話してこられました。私が尊敬する政治家の一人、ゴルバチョフ氏もそうです。中国の常書鴻氏(敦煌研究の第一人者。故人)も優れた芸術家です。そうした人々に続いて私が先生と対談できることは、たいへん名誉なことです。
 池田 恐縮です。私のほうこそ、金庸先生に学ばせていただくつもりです。
 金庸 先生が「対話が大事である」と言われたことを、私は感銘深くうかがいました。
 中国の孔子は『論語』を残しましたが、それも対話形式で書かれています。
 先生も、また私も仏教を信奉していますが、釈尊も対話を通して仏教を残しました。仏典の「如是我聞(是の如きを我聞きき)」との言葉――釈尊の言葉を、弟子たちが書き留めたわけです。『法華経』にも、釈尊が、どういう場所で、誰に、どのように法を説いたかが書かれています。いわば「対話の記録」です。
 池田 先生の博識は存じ上げているつもりでしたが、改めて敬意を表します。
 金庸 私は、池田先生が今まで対談された世界的な著名人と同じレベルにはないと思いますが、私なりに先生との対話を楽しみにしております。
 私は、池田先生と同世代に属します。〈金庸氏は一九二四年生まれ、池田名誉会長は一九二八年生まれ〉
 池田先生に比べて四歳、「虚長」です。「虚長」というのは、中国人の間で古来から使われている言い方です。たとえ何年か年長だったとしても、その歳月になんらの進歩なり業績もなければ、それはただ無為に過ごした歳月にすぎない。これを「虚」と言います。
 私の生まれた中国江南地方の言葉では「年を犬の体の上でとる」と言います。
 池田 ご謙虚なお言葉です。私は、金庸先生に"大人"の風格を感じます。
 金庸先生は七十二歳。七十の賀は、日本でも「古稀」(「人生七十、古来稀なり」)として祝いますが、先生は七十二年の人生で、まさに「古来に稀有」の足跡を残してこられた。
 「中国人のいるところ、常に金庸の著作あり」とたたえられる中国語文学の巨匠、アジア最高峰の文豪として。世界の「繁栄と平和の港」香港の世論をリードしてこられた「ペンの闘士」として。
 昨年の創価大学でのご講演(一九九六年四月)では、『春秋左氏伝』を通じて「人間にとって最も不朽な行いは、精神的価値の創造である」と論じてくださいましたが、先生の築いてこられた数々の精神の価値こそ「不朽」です。
 金庸 私が池田先生を尊敬してやまないのは、その多くの著作のなかで、素晴らしい見解を発表され、世界平和のために絶え間ない努力を続けておられること。また創価学会という、非常に価値のある「精神の大団体」の偉大な指導者であること。さらに大事なこととして、「真理のための勇気」を堅持し、多くの悪意や偏見に満ちた世論の圧力に屈しないことです。
 私が書いた小説では、主人公は一人か、もしくは数人の英雄です。その英雄の主な資質は、勇気です。
 それは肉体的な勇気だけではありません。より重要なのは「道徳の勇気」なのです。先生は、その「道徳の勇気」をおもちです。
 池田 励ましのお言葉に感謝します。
 これまで私は、二○人を超える識者と対談集を編んできましたが、文学者の方とは比較的少ない。その意味で、金庸先生との対談は、このうえない喜びなのです。
 西洋の文化人との対談も進めていますが、金庸先生との語らいは、特に大きな歴史になると思います。
 対話はゆっくりと、楽しくやりましょう。そして回を重ねるたびに、金庸先生が健康になられ、お若くなられるような対話にしましょう。香港のために、中国のために、世界のために。
 金庸 二○年後にも、まだ同じように、こうして語り合っていたいと思います。そして二○年後の世界が、今よりも、もっと良くなっていてほしいものです。
 池田 そのお言葉を、私たちの対話の約束としましょう。そして、この世の宝である「友情」の樹を、年ごとに大きく育ててまいりましょう。
2  香港の「より良い明日」を強く確信して
 池田 一九九七年七月一日、いよいよ香港の中国返還の日を迎えます。香港の方々だけでなく、全世界が注目する「歴史の日」です。そこで金庸先生、私たちの対話も、ここから始めてはいかがでしょうか。
 金庸 私も同意見です。
 池田 中国をこよなく愛しておられたトインビー博士は言われました。「中国にとっての世界は(かつての旧世界の東側半分から)今や全世界へと広がっている」。そして中国がアジアだけでなく、全世界の未来に果たすべき役割に期待しておられました。
 二十一世紀に向けて中国の可能性は、いよいよ大きい。その一つの鍵をにぎるのが香港です。また、身体に心臓があるように、それぞれの地域にも「要」となる心臓部があります。アジアでは香港です。ゆえに関心は大きい。
 たしかに一部には、返還後の香港は混乱するだろうと予測する向きがあります。しかし私自身、これまで幾度となく訪れて実感していることですが、香港の人々には、底知れない「人間の活力」があります。
 金庸 池田先生が、たいへん大きな善意と関心をもって香港を見てくださっていることに感動します。先生のご厚情は、先生が詠まれた詩にも、よく表現されています。たとえば次のような一節です。
  私の思いは
  いずこにあっても
  香港を離れることはなかった
  それはこの地こそ
  アジアの幸の光源となり
  世界の平和への港となる
  尊き使命の天地であると
  信じてやまないからだ
 池田 恐縮です。それだけ香港には、人を引きつけてやまない魅力があるのです。この「繁栄の港」の熱気に、誰もが、たじろがざるをえないでしょう。
 百聞は一見にしかず、あの銅鑼湾の賑わいや旺角の雑踏を、一度でも体験してみればわかることです。
 逆境を勝ちゆく勇気。いかなる困難に対しても柔軟に対応し、自己の可能性を伸ばしゆく知恵。地に足のついた人間の活力。これこそ、香港の宝です。この宝があるかぎり、香港は限りなく発展するにちがいない。私は香港の人々の明日を信じます。
 その香港の方々は、「香港の明日」について今、どんな見通しをもっておられるのか、率直にうかがいたいと思います。
 金庸 一部の日本のマスコミは、香港の人々が中国返還に不安を感じ、なんらかの混乱が起こるだろうと予測している――先生は今、そう指摘されました。
 そして、こうした報道は真実を反映していないとし、香港の「より良い明日」を強く確信されています。そのうえで私に、「香港の明日」についての見通しをお尋ねですね。
 池田 そのとおりです。
 金庸 未来がどうなるのかを予測することは難しいことです。どんなに膨大な事実を積み重ねて、その根拠にしようとも、結局は観測と推察の域を出ることはありません。一○○パーセントの正確を期すことは不可能です。
 ただ私は三十数年にわたって新聞紙上で政治を論じてきましたが、実は「予測を好む」ことを、その最大の特徴としてきました。未来の事柄が、どのように進展するか、いつも明確に、キッパリと、言い切ってきました。つまり、「この問題は将来、必ずこうなる。絶対に、これと違った展開などありえない」というようにです。
 池田 先生のような大言論人なればこそ、よくなしうることです。
 金庸 たいへんありがたいことに、私が行った多くの大胆な推理は、のちに事実が、その正しさを証明してくれました。大きな食い違いは、まずありませんでした。
3  若い人たちに贈る座右の銘――「苦に徹すれば珠となる」
 池田 日本の読者のために、その一端だけでも、ご紹介いただけませんでしょうか。
 金庸 たとえば文化大革命が始まってしばらくたったころ、毛沢東は将来必ず(後継者に予定されていた)林彪を粛清するだろうと予測し、「皇帝とは皇太子を好まぬものだ」と題する社説を発表しました。
 また毛沢東の逝去後、江青はただちに逮捕され、処刑されることもありうると予測しました。このときの社説の題名は「どこに隠れたらよいかわからない」でした。
 江青は当時、権勢をほしいままにしていました。が、毛沢東がこの世を去るやいなや、江青は、「どこに隠れればよいかわからなく」なり、逃げ場を失うだろうと予想したのです。
 さらに香港の前途についても予測しました。そのうち比較的重要なものに、一九八一年二月二十六日付「明報」に発表した社説があります。私は中国当局は必ず香港を回復するだろうし、その時期については回復の一五年前には正式に発表するだろうと述べました。さらに「その後の香港の現状は、今とまったく変わらないと中国側は発表する」だろうと予想したのです。
 池田 実際、その翌年の八二年に返還が決定し、全部、金庸先生の予見どおりになりました。感銘します。状況判断が実に的確であられる。
 思うのですが、それは何よりも先生ご自身が、「困難な時代をかいくぐってきた経験」をおもちだからではないでしょうか。
 先生が以前、中国共産党の江沢民総書記と会談された際、江総書記は、こう言われていましたね。「私たちは、みな年齢が近い。抗日戦争後か、解放前に大学に入っています。民族と国家が困難にあえぎ、危険にさらされているなかを生きてきました」と。
 金庸 ええ、その会談については「明報」にも書きました。
 池田 「民族と国家が困難にあえぎ、危険にさらされているなかを生きてきた」――だから、未来を見とおす眼も鍛えられたのでしょう。
 明治維新以降の日本を見ても、苦労して新国家を築いた、いわゆる「維新の元勲」たちは、多くの場合、状況判断が的確でした。
 私はいかなる戦争にも絶対に反対ですが、あの日露戦争にしても、日本の指導者たちは、大国ロシアに勝とうなどという夢想はもたなかった。初めから「どう戦争を終わらせるか」を考えていた。「いつ、どうやって終わらせるか」「和平の仲介を、誰に頼むか」を緻密に、冷静に考えていた。むしろ、世論のほうが主戦論、積極論で沸き立ち、政府の"弱腰"をなじっていました。
 そうした冷徹な状況判断も、幕末・維新で生死の狭間を、かいくぐってきた体験あればこそでしょう。苦労した。骨身に染みて現実を知った。だから、ものごとを的確に判断することができた。
 金庸 なるほど、共感できます。
 池田 ある意味で、そうした先達がいなくなってから、日本は次第におかしくなりました。「夜郎自大」になりました。中国の反日・排日運動を一気に激化させた、第一次世界大戦中の「対華二十一カ条要求」などは、身のほど知らずの「夜郎自大」の典型です。第二次世界大戦中、何の展望もなく「いつかは神風が吹く」などと現実離れした思い込みで国民を駆り立てていた指導者たちにいたっては、なおさらです。
 やはり人間、特にリーダーにとって大切なのは、悩む、苦労するということですね。金庸先生と私が、ともに愛読する吉川英治の言葉に「苦に徹すれば珠となる」とありますが、まさに至言といってよいでしょう。とりわけ若い人たちは、それを座右の銘としていってほしい。苦労してこそ人格も識見も磨かれ、現実を的確に判断し、将来を見とおす眼力が磨かれる。
 また国家であれ社会であれ団体であれ、本当に苦労した世代が活躍している間は、その舵取りも間違うことはない。金庸先生のお話を聞いていて、そう思います。
 金庸 いえ、こと香港の前途に関していえば、予測するのは、そんなに難しいことではないのです(笑い)。それは主に中国当局の基本政策が根拠になっているからです。しかも基本政策の要素は機密ではなく、また基本的に納得のいくものだからです。
 中国の香港政策は、「現状を変えずに長期にわたってこれを利用する」こと。そこに、「民族の大義を守り国家に利益をもたらす」ことを加えたものと言ってよいでしょう。
 香港の現状を維持することが、中国にとって有益である。ならば、これを長期にわたって、かつ十分に利用していこうということです。
 池田 歴史の経緯は経緯として、ですね。

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