Nichiren・Ikeda

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日蓮大聖人・池田大作

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2 人道の闘士――永遠なる魂の獅子吼  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

前後
1  生命への限りなき讃歌――ホイットマン
 池田 最近は、洋の東西を問わず、青少年の活字離れが言われていますが、良書とのふれ合いをもたない青春時代は、まことに寂しいものです。
 ところで、青春時代にもっとも影響を受けた詩集を一冊選べと言われれば、私はためらうことなく、ホイットマンの『草の葉』を挙げるでしょう。第二次世界大戦が終わって間もない、日本の自由と民主主義の黎明期にあって、それはわが青春の一書でした。
 さらに、一九九二年のホイットマン没後百年に寄せて、「昇りゆく太陽のように」と題した長編詩をつづりました(本全集第43巻収録)。また私が創立した創価大学には、ユゴー、トルストイとともに、ホイットマンの像が立っております。
 ヴィティエール 三年前の一九九七年一月、ハルト文化大臣(当時)、妻とともに創価大学を訪問した思い出は、今も鮮烈に覚えております。その折、私には名誉博士号、妻には最高栄誉賞をいただきました。
 私は、謝辞のなかで、熱心に耳をかたむける、同席してくれた学生たちに、「世界の勝利は、いずれは崩れゆく、きらびやかな建物にではなく、豊かな思いやりにある」など、いくつかのマルティの言葉を贈りました。
 池田 学生たちは、力強い指針をあたえられたことでしょう。
 さまざまな個人的な経験もあり、マルティの「ホイットマン」論は、非常な共感をもって読みました。
 その記述の中には、「貧困そのものともいうべき彼(=ホイットマン)の小さな木造の家では、窓辺に黒枠をつけたビクトル・ユゴーの肖像画がひときわ目立っています」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)とあり、また、ホイットマンがリンカーン追悼の詩を朗読した折の模様が、生き生きとつづられております。
 マルティは、ホイットマンの家を訪ねたことがあったのでしょうか。また、個人的な出会いがあったのでしょうか。
 マルティは、ホイットマンの見事な評論をものしたのみならず、その詩作においても、実り豊かなインスピレーション(霊感)を得ました。すなわち、彼の『自由詩』の誕生は、ホイットマンの『草の葉』があずかって力のあったことは有名です。
 マルティは、呼びかけています。
 「諸君、この勤勉で満ちたりた人民の歌声を聞きたまえ。ウオルト・ホイットマンの声を聞きたまえ。この人民は自身の働きによって尊厳に、寛容によって正義に、そして秩序によって幸福にまで高まるのです」(同前)
 ヴィティエール 当時のアメリカ合衆国の偉大な人物に対して、マルティほど心から敬意を払った人はいないでしょう。
 ただ、ホイットマンとの直接的な出会いという点に関しては、おそらく、忘れがたい講演の一参加者としてしか、親しんでいなかっただろうと思われます。
 ファン・ラモン・ヒメネスとルベン・ダリーオが証言しているように、一八八七年に、マルティがホイットマンを新聞紙上で取り上げて、初めてイスパノアメリカおよびスペインの文学界に紹介したのです。
 ルベン・ダリーオの有名なソネット(十四行詩)「偉大な老人」は、このマルティの紹介記事のみを読んで書かれたものです。その記事は、生まれたばかりの芸術作品のように心躍らせるものであり、たんにホイットマンの魂の、宇宙的な駆動力を伝えているにとどまらず、彼についての評論を書いているうちに、マルティ自身が、その駆動力を再創造していったのではないかと思われます。
 リンカーンの死を悼んだホイットマンの追悼歌について論評しながら、マルティは「その言葉はあるいは高く低く、あるいは語気がふるえ、あるいは遁走曲のように、また威厳のなかに親しさを感じさせ、ときとしては星のささやきのように思えました」(同前)と述べています。
 池田 博士の引用された文章のすぐ後で、マルティは「新しい大陸における人間の自由な品格ある生活は、健康で強じんな哲学を創造し、そして、その哲学はたくましい詩となって、世界に広まっているのです」(同前)と述べています。
 リンカーンやホイットマンが体現していた民主主義の新たな胎動に対するマルティの共感が、ひしひしと伝わってくるようです。
 ヴィティエール 一方、マルティが指摘しているように、当時『草の葉』が発禁本であったことや、ホイットマンの作品「アダムの息子たち」について、エマーソンがホイットマンに長々とした非難の言葉を浴びせたことを、忘れてはならないでしょう。
 ホイットマンは、その非難を受けたのち、丁重にかつ確固として、以前に感じていた良心の呵責を、もう感じなくなったと言い放っています。ホイットマンにとって、師の叱責は免罪符のようなものだったのです。
 池田 師の非難を浴びたホイットマンは『自選日記』の中で、「あれほど急所を突いたものは一度も聞いたことがなかった――しかもわたしは自分の魂の奥底に、一切に服従せず、自分自身の道を行こう、というはっきりした、紛れもない確信を感じたのだ」(『ホイットマン自選日記』杉木喬訳、岩波文庫)と、その微妙な心理をつづっています。
 ヴィティエール それに反してマルティは、ホイットマンを非難することもなく、免罪符を与えることもありませんでした。
 「ホイットマンの偉大さを理解できない者たちにとって、淫らだ、と思われた」言葉を、マルティはしっかり受けとめ、自然であることの偉大さは、それ自体で巧まずして輝いており、かつまた、ホイットマンに比肩するような輝きは「古代の神聖な書物」(『聖書』)においてしか見られないことを、彼は種々論じています。
 「自然」というテーマは、ホイットマンとマルティにおいては、さまざまな違いはあるにせよ、生命を支え、民族の礎を創る詩のテーマとなっています。
 だからこそ、マルティはホイットマン讃歌とも言えるこの評論の中で、こう問いかけているのです。
 「詩は人間にとって不可欠のものではない、と主張するわからずやはだれでしょう?」(「ウオルト・ホイットマン」、前掲『キューバ革命思想の基礎』)
2  宇宙を一つの荘厳な生命と見る目
 池田 有名な一節ですね。マルティは「頭の中で創られる詩」と「心の中で創られる詩」を区別しています。
 「頭の中で創られる詩があります。これらは、心の表面で破れてしまい、心に傷をつけるものの、入り込むことはできません」
 「また、心の中で創られる詩もあります。心から出て、心に伝わる。戦争であれ、雄弁であれ、詩であれ、心から湧き出るものだけが心に届きます」
 ホイットマンの詩は、まさに「心から湧き出て心に届く」ものでありました。
 ともあれ、マルティが語るホイットマンの姿はまた、マルティ自身を映す鏡のようであります。
 「世界はつねに今日あるとおりでした。あるものが、存在しなければならなかったから存在するというだけで充分なのです」(同前)
 「彼にとって無縁なものはなにもありません。彼はあらゆるものに気を配っています。枝をはうかたつむり、不可思議なまなざしで彼を見つめる牛、(中略)人間は両腕を広げて、自分の胸にすべてのものを抱擁しなければなりません」(同前)
 こうしたマルティの言葉と、ホイットマンの、たとえば、
 「ぼくにはすべての人の内面にぼく自身が見える、誰であれぼくよりえらい者はなく、オオムギのひとつぶほどに劣る者もいない、
  だからぼくがぼく自身について語ることは善いことも悪いこともすべて彼らに当てはまる。
  ぼくはまちがいなく堅実で健全だ、
  ぼくをめざして宇宙の万象が合流しながらひっきりなしに流れ寄ってくる、
  万物はぼくに宛てられた手紙、ぼくはその文面を理解してやらねばならぬ」
 (「ぼく自身の歌」、『草の葉』酒本雅之訳、岩波文庫)
 といった一節を重ねてみたとき、二人の魂の共鳴の深さを感じずにはいられません。
 それはあえて言えば、宇宙を一つの荘厳な生命と見る目ではないでしょうか。マルティは「人間は統一された宇宙である」とも言っています。
 ヴィティエール マルティは「人生の目に見えないところに、すばらしい法則が流れている」として、宇宙の森羅万象を貫き、結びつける一つの「法則」の存在を信じていました。
 ところで(人間の魂が不可欠であるとするマルティと同じく)ホイットマンは「民主主義の展望」の中で、詩による「生命の甦り」について、こう述べています。
 「そのようにしてのみ、国は成立していくことができるのである」
 しかしながら残念なことに、この同じ数ページのなかでは、「明白な運命」の主張に対して、何ら疑問を投げかけることなく、当然の成り行きとして、カナダもキューバも、アメリカ合衆国に欠くべからざる、未来の所有地として位置づけられています。
 このような誤った発言を行ったホイットマンと、
 マルティが「暗示の神秘性であり、確信の持つ熱烈さであり、火と燃える予言的な転回となって現われる」(前掲『キューバ革命思想の基礎』)と評価したホイットマンの詩的天稟を秤にかけて、マルティは当然、彼を許すべきであったのです。
 ホイットマンの言葉は、帝国主義の予言ではなく、普遍的な詩の帝国の予言だったのですから。
 池田 大様というか無頓着というか……。そこがアメリカ合衆国の中枢部に位置するホイットマンと、絶えずアイデンティティー(自己の拠り所)を脅かされている国に生を受けたマルティとの、なかば宿命的な違いといえますね。
3  土着性と普遍性の融合――プーシキン
 池田 さて、マルティの「プーシキン」論は、詩人の使命というものを見事に描ききっております。
 なかでも「筆は知性の命ずるままに動かさねばならない。そして愛国的な詩を書くだけでは不充分である。書いた詩のとおり生きなければならない」(同前)との一節は、“使徒”として生きたマルティの厳格な風貌を思わせます。
 マルティは、あるところで「私は、磁器のごとく響く詩と、火砕流のような破壊的な詩を愛する」と書いております。ここには、秩序と破壊、アポロンとディオニソス、求心力と遠心力ともいうべき、二つの詩のイメージが語られているといってよいでしょう。
 新たな形式の創造と、空虚な形式の破壊。
 自由の行進へ人々を糾合する力と、時代遅れの圧制の破壊。
 解放を待つ民衆の広場と、圧制者を追い払う恐るべき火炎……それは、あたかもプーシキンの詩がロシアにおよぼした影響を語っているようではないでしょうか。そして、マルティの詩も、多かれ少なかれ、こうした二つの側面をもっているのではないでしょうか。
 ヴィティエール 詩に限らず、彼の演説を聞いたあるマンビー(キューバ独立のために立ち上がった者)は「私たちは、彼の言っていることは理解できなかったが、彼のために死ぬ覚悟をしていました」と語っています。
 池田 プーシキンで思い出されるのは、マルティも「プーシキン」論で言及した一八八〇年六月八日の、ドストエフスキーのプーシキン記念祭での演説であります。
 ドストエフスキーは熱狂的に語りました。
 「プーシキンの作品には到るところ、ロシヤ的性格に対する信仰と、その精神力に対する信念がひびいている」
 「(=プーシキンが予言的であるのは)そこには彼のロシヤ国民的な力が表現されているからである。まさしく彼の詩魂の国民性、その向後の発展における国民性、現在にひそんでいるわが未来の国民性が、予言的に表現されているからである。実際、究極の目的において、全世界性と全人類性に対する希求にあらずして、はたして何がロシヤ国民の精神力であるか?」(『作家の日記』、『ドストエーフスキイ全集』15〈米川正夫訳〉所収、河出書房新社)
 ドストエフスキーは何よりもまず、プーシキンが偉大な「国民詩人」であることを情熱的に語りました。ところが、その国民詩人の天才の極まるところ、「全世界性と全人類性に対する希求」という普遍性が、忽然と姿を現すのです。
 言い換えれば、土着性と普遍性の融合であります。
 マルティのたとえば、「わが共和国に世界を移植するならそれもよい。しかし、その根幹には共和国の独自性がなければならない」といった言葉を読むとき、同じ主題を感じるのですが、いかがでしょうか。
 ヴィティエール マルティが「批評の仕事」という成熟期を迎える以前の、一八八〇年に書かれたプーシキンに関する記述は、批評的才能がたしかに認められるにもかかわらず、私たちとしては、エマーソンやホイットマンについて書いたテキストの水準にはいたっていないと考えています。
 池田 その点は、私にも理解できます。分量的に見ても、かなり短い評論ですからね。
 ヴィティエール しかし、いずれにしてもマルティの全世界に対する好奇心を示す実例です。
 彼は、プーシキンが「折り曲げようとしたむちに接吻した」(ツァーリのおかかえ歴史家となり節を曲げた)ことに対して世間から投げかけられた非難を超えた次元で、あなたがおっしゃるように、
 プーシキンの土着性と普遍性の融合を認めています。
 これはまた、マルティの思想における本質でしょう。だからこそ、プーシキンを「ロシア人であるとともに世界的な詩人である」と、そのすばらしい才能を認め、「ロシアに欠けていた、ただひとつのもの――人民の団結――をみずから体現していた」、そして「あらゆる時代、あらゆる国境を超越した人間だった」、つまり「彼こそ本当の人間――世界を一つの胸におさめた人間であった」と評価したのです。
 さらにマルティは、このような多くの長所を挙げてもまだ不十分であるかのように、「プーシキンは直感的な洞察力を駆使して、ロシアを自由に導く道を示した」のであり、したがって「プーシキンは宮廷と結びつきがあったにもかかわらず、ロシア革命が起こるとすればそれはプーシキンに負うところが大きい」と述べています。
 この評価は、その後に出現したイデオロギー的な毀誉褒貶はさておき、もうすでに引用しましたが、次のマルティの発言、この年に行ったステック・ホールでの講演――「専制者には民衆が、苦しむ民衆が革命の真の指導者であるということがわかっていません」――との透徹した民衆観によって補足されなければならないでしょう。

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