Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

4 間断なき前進――言論による精神闘争…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

前後
1  人々の胸を強く打つ「言葉のつぶて」
 池田 情報化時代を迎え、マス・メディアを通じて、おびただしい言葉が飛び交っています。しかし、それらの言葉はあまりに軽く、ほとんどが脳細胞の上を“滑走”していくだけです。
 しかし、マルティは違います。彼の言葉は、つぶてのように人々の胸を打ち、心に刻み込まれます。
 まさしく、マルティの人権闘争は「言葉のつぶて」をもってする非暴力の言論戦を基調としており、第一義的に「精神の闘争」でした。
 マルティは、すでに十六歳にして新聞「自由祖国」を創刊し、言論戦の火蓋を切っています。スペインに追放された後も、すぐに『キューバの政治犯収容所』を出版し、スペイン植民地の非人道的行為を告発。その後もラテンアメリカ各地の新聞に寄稿するなど、「言葉のつぶて」を武器に闘っています。
 ヴィティエール たしかにマルティは、
 少年時代から、言論によって祖国のために闘う天分があることに気づいていました。それを実行するにあたり、三つの手段――「雄弁術」「ジャーナリズム」「書簡による伝達」――を見いだしていたのです。
2  「正義」の言論がもつ“衝迫性”
 池田 あらゆる方法で言論の力を駆使しようとしたのですね。
 たしかに、マルティは演説や対話の名手でもあったようです。それをめぐっては、たくさんのエピソードが語り伝えられていますが、私がとりわけ関心をもつのは、なぜ彼の言葉が、あのように人々の心をとらえたのか、という点です。
 前にも若干ふれた、「正義」についてのマルティの言葉を、補足して言及させていただきたいと思います。
 「全員が一緒に集まれば、人数が多い分、勝つ可能性があります。しかし、正義がわれわれに味方してくれなければ勝利は得られません。
 正義に無頓着な大衆より、たった一人の正義の人の存在が強いのです。
 真の勝利を得るには、まず精神の上で勝利することです。
 なぜならば、みずからの不正義を相手に認めさせること、それがすでに勝利だからです。内なる神なくして、何ごともなしとげることはできません」
 すばらしい洞察だと思います。
 彼の言論は、たんなる博識やテクニックを超えて、何よりも「正義」の言論であった。
 私は「正義によって立て、汝の力は二倍せん」という言葉が好きです。また、
 私の恩師は「信なき言論は煙の如し」と喝破しました。
 マルティの筆鋒、舌鋒は「正義」の言論であり、「信念」の言論であった。ゆえに彼の言葉は「つぶて」たりえたのではないでしょうか。
 ヴィティエール あなたは、少しの言葉でたくさんのことを、私に提起されております。そのなかからまず最初に、私がもっとも感銘を受けた事柄からお話しさせていただきましょう。
 それは“人々の心を動かしていた”マルティの言葉の“衝迫性”というものを、あなたがとらえられていることです。
 このことについては無数の根拠がありますが、ここで私が強調したいのは、あなたが感じとられた“衝迫性”――キューバ人の特徴であり、これについて私はささやかなエッセーをしたためたことがあります――がマルティから聴衆へ、しっかりと伝わっていたということです。
 なぜならそれは、彼自身が「内なる神」と呼んでいたもの――別の呼び方では「良心の神」ですが――ホセ・デ・ラ・ルスが人間の胸にある“道徳的世界を照らす太陽”と呼んだ正義感に憑かれていたからなのです。
 あなたが理解されたように、マルティの言論が正義の言論(「聖なる言論」と呼ぶのも根拠のないことではありません)であったと理解したならば、すべてははっきりしてきましょう。
3  言葉を自在に駆使する不世出の雄弁家
 池田 “衝迫性”というのは、いい言葉ですね。言葉の衝迫力の強さというものは、信念の強さに比例します。
 私が「つぶて」という言葉に託したいと思っていた内実も、まさにそのことです。
 ドイツの哲学者カール・ヤスパースは、釈尊を評して「言葉を自在に使う人」・(『佛陀と龍樹』峰島旭雄訳、理想社)と言っていますが、次のマルティの言葉にみられるように、彼は間違いなく、その衣鉢を継いでいる人です。
 「言葉は黄金のごとく高貴で、羽のように軽く、大理石のごとく堅固でなければならない」と。
 ヴィティエール 彼の雄弁術は、古典的伝統、とりわけキケロ風のものに、『旧約聖書』の預言者的インスピレーション(霊感)を結びつけたものです。そのすべてが、近代的表現という新しい血によって、装いを新たにされていました。
 その結果、熱烈であると同時にカテゴリカル(断言的)であり、詩的であると同時に倫理的な演説が生まれたのです。
 それらの演説は「不可避で」「必然的な」戦争などをはるかに超えた革命計画――「みんなと共にあり」「みんなの幸福のための」独立した主権国家という「道徳的な共和国」計画の土台となったのです。
 池田 言葉は、じつに不思議な力をもっています。
 キルギス出身の旧ソ連邦の作家アイトマートフ氏は、私との対談で「芸術家は、大デュマが言ったように、神が口述し、私が書く、といったような状態に自分を高めなければなりません。しかし……ここでもまた、神はだれにでも口述してくれるわけではありません」(『大いなる魂の詩』。本全集第15巻収録)と、優れた文学者の苦悩を告白しておられました。
 マルティは、あなたが「『旧約聖書』の預言者的インスピレーション」とおっしゃったように、「内なる神」の「口述」、うながしに、
 突き動かされていたにちがいない。
 ヴィティエール マルティの波瀾万丈の言論活動を大まかに振り返ってみれば、彼のジャーナリストとしての活動は、若いころに「不具の悪魔」や「自由祖国」などの新聞を拠点として始められました。
 そして、その後は三つの時期に分けられます。
 第一に、メキシコにおける時事解説者および顧問の時代。
 第二に、アメリカ合衆国での経験を踏まえた情勢分析家、芸術家、(キューバ独立のための)統合唱導者の時代。
 そして第三に、キューバ革命党を結成した一八九二年以降、党の機関紙「祖国」紙上での理論的指導者の時代です。
 同時に、マルティの書簡は、抗しがたい、いやます“使徒”としての情熱とともに、キューバの愛国者全員の統一をうながしました。
 したがって、統一戦線から(微温的な)独立主義者や、(スペイン統治下でも“自治”は可能であるとする)自治論者をも排除したりはしなかった。
 マルティは彼らを、“夢のような「変革」を待ち望みながらスペイン植民地主義に束縛され続けるという過ちを、認識することが可能である人々”と見なしていました。
 一方、近年の(アメリカとの)併合主義者や資本主義者代理人のような類の者を、愛国者とは決して見なしていなかったのです。

1
1