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日蓮大聖人・池田大作

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3 家族――その人間愛を世界に広げて  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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1  誠実で温かな家庭が幸福な人生の根幹
 池田 家庭といえば、本来、愛情と信頼感に裏打ちされたやすらぎの場、癒しの場であったはずです。
 ところが現代の日本では、逆に家庭の存在が、構成員にとって重荷になってしまい、新たな家庭像をつくり出すために、旧来のものを一遍、ご破算にしてゼロから出発するという“家族解体論”までいわれるようになっています。
 ともかく、この家庭、家族という人類最古の共同体の揺らぎは、二十一世紀へ向けて対処すべき最大の課題の一つであることは間違いありません。
 そこで今回は、マルティをめぐる家庭の問題にスポットを当ててみたいと思います。
 ヴィティエール 結構です。
 池田 心強く、そしてまた心優しきマルティにとって、家庭とは、つねに光と影との交錯する場であったようです。
 その“流星”のような生涯も終わりに近く、
 船上から母レオノールに送った手紙には、胸を突かれます。
 「私の未来は木炭の光のようなものです。周囲を照らしゆくために、みずからが燃え尽きるのです。私の闘いは尽きることがないでしょう。私の内面には『個』は存在せず、蘇生の可能性すらありません。私にとって、今となっては不可能になってしまいましたが、人間にとって唯一の幸福、あるいはその根幹をなす場こそ誠実な家庭なのです」
 ヴィティエール 古来、英雄と呼ばれる人々の家庭生活は、必ずしも恵まれていたとはいえません。むしろ逆の場合が多い。
 マルティの結婚生活も、決して幸福、順風に帆をあげる、といった類のものではありませんでした。
 なにしろ彼は、弁護士そして教師、文学者として成功を約束されていたかのような無事安穏の道ではなく、反乱と陰謀と貧困、自己犠牲をともなう、死を免れない険しい道を選択してしまったのですから。
 池田 ええ。と同時に、誠実な家庭、温かな家庭への希求ということも、いつの世にも変わらぬ人間の普遍的な特性です。
 恩師の戸田先生も、私ども夫婦の結婚式のさいに、妻に「どんなに家のなかで不愉快なことがあっても、朝、主人を送り出すときには、必ず笑顔で送るように」との戒めをあたえてくれました。
 平凡のようで、なかなかむずかしいことです。
 私は一九九八年、フィリピンのラモス元大統領と四度目の会見をしましたが、ラモス氏も「偉大な目標に向かって、自分と一緒に進む家庭こそ大切です。これまでは、家庭を犠牲にして仕事に打ち込んできました。今、人生の『ゴールデン・エイジ(総仕上げの時期)』を迎えて思うのは、やはりいちばん大切なのは、『家庭』だということです」と語っておられました。
2  家族思いの優しさと使命感との葛藤
 ヴィティエール 理解できます。家庭がいかに大事であるか、マルティは何度も感じたにちがいありません。
 池田 しかし、マルティにとって、祖国の栄光、キューバ革命に殉ずることこそ、この世の無二の使命でした。
 彼の美しい言葉を借りれば「義務」――彼が「……人間、娯楽にはひとりで目覚めるが、義務に関しては毎日だれかがノックをせねばならない(目覚めさせねばならない)」と語っているような「義務」――を背に、それを叱咤しながら“使命の道”をひた走った人こそ、ホセ・マルティであると私は理解しています。
 東洋風にいうならば、マルティは、エゴイズム(利己主義)に翻弄されゆく「覇道」とはまったく対照的に、徹して「王道」を征く人ということができましょう。
 ヴィティエール 若いころに書いた詩劇『アブダラ』(一八六九年)において象徴的に予示されているのですが、家庭に対する義務と解放者としての使命との間の葛藤は、マルティの生涯を通しての苦悩でした。
 スペインから移住してきたつつましい夫婦の間の長男として生まれ、七人の妹たちもおり――そのうち一人は幼いころに亡くなっていますが――家を支える責任や貧しさを支える負担が、しだいに大きくなっていったのです。
 ハバナの旧市街にある、現在は国立博物館になっているマルティの生家を、あなたがお訪ねになられる機会があったならば、彼の出生の貧しさがおわかりになったことでしょう。
 池田 写真では拝見したことがあります。二階建ての質素な家ですね。チャンスがあれば、ぜひ訪問してみたいと思っています。
 ところで留意すべき点は、心優しきマルティは、革命のために家庭をはじめ、いっさいを犠牲にして恥じない、古来、多くの革命家がおちいりがちであった玉砕主義の冷徹、冷酷とも無縁の人であったということです。
 「誠実な家庭」のやすらぎを求める心情がそうですし、彼の生涯と遺作をわずかに管見しただけでも、家族思いの優しい心配りを随所に見いだすことができます。
 長き亡命の旅を終えて、闘争の指導のため祖国に戻る直前、最愛の一人息子ペペ(ホセ・フランシスコ)に宛てた手紙には、思わず襟をただしたくなります。殉難の一カ月前のことです。
 「息子よ――私は今夜キューバに向けて発つ。お前といっしょに行けないのが残念だ。傍にいてくれたらどんなに嬉しいだろうに。出発に際して考えるのはお前のことだ。もし私が途中で消息を絶ったら、お前はこの手紙とお前の父親が生前に愛用していた懐中時計を受け取ることになろう。さようなら。正義を愛する人間であって欲しい。
 お前のホセ・マルティ」(牛島信明訳、『ホセ・マルティ選集』〈以下、『選集』と略記〉1所収、日本経済評論社)
3  若き少年誌編集長の祈り
 ヴィティエール マルティは、みずからが編纂した子ども向け月刊誌「黄金時代」の最終号の「最後のページ」で、ナイル川にまつわる伝説に言及しながら、「善き父親はこのようなもので、あらゆる子供を自分の息子と信じ、ナイル川のように、目に見えない息子たちを背負って暮らしているのです」(柳原孝敦・花方寿行訳、『選集』1所収)と語っています。
 「正義を愛する人」に――そのペペへの思いは、すべての子どもたちへ向けた、マルティの心の底からのメッセージであったのです。
 池田 「黄金時代」は、マルティが一人で編纂し、執筆していたようですね。残念ながら、出資者と意見が対立して、わずか四号で廃刊になった、と聞いております。
 じつは、私も青年時代に、恩師のもとで少年向け雑誌の若き編集長として、編集作業にたずさわり、執筆もしていたので、いっそう、親近感を感じます。
 第二次世界大戦後の焼け跡のなかで、物質的にも精神的にも飢えていた子どもたちの心に、何としても希望の灯をともして、「正義を愛する人」に育ってほしいと、祈るような思いで仕事に取り組んだ日々を、懐かしく思い起こします。
 正義といえば、マルティのすばらしい言葉が脳裏に焼きついています。
 「正義に無頓着な大衆より、たった一人の正義の人の存在が強い」と。
 先師牧口先生も、同様の趣旨のことを、「羊千匹よりも獅子一匹」と、つねづね語っておられました。
 ヴィティエール マルティは、まさに獅子でした。「勇気」と「正義」の獅子でした。しかも、非常に心優しい獅子でした。

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