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日蓮大聖人・池田大作

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1 流罪の讃歌――千年先を見つめる眼光…  

「カリブの太陽」シンティオ・ヴィティエール(池田大作全集第110巻)

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1  第一人者とともに語り継ぐ
 池田 尊敬するヴィティエール博士と、“キューバの使徒”ホセ・マルティの人となりを語りあえることは、私の大きな喜びであります。
 とくに二十一世紀を担いゆく青年たちのために、この偉人の魂の叫びをぞんぶんに伝え、残していきたいと思います。
 ヴィティエール博士は、マルティ研究の第一人者であられますので、私が“生徒”の立場から“先生”に、いろいろ教えを請うようなつもりで、進めていきたいと思います。
 ヴィティエール いえ、“先生”だなんて、とんでもありません。池田SGI(創価学会インタナショナル)会長の多方面にわたる世界的なご活躍は、私もよく存じあげています。
 マルティも、四十二年の生涯において、さまざまな分野で多彩な才能を発揮し、第一級の業績を残しております。
 その意味からいっても、この対談では、マルティの思想と行動とともに、池田会長ご自身の幅広い見識なども、大いに開陳していただきたいと思います。
 池田 恐縮です。
 さて、キューバの皆さま方が敬愛してやまないホセ・フリアン・マルティ。詩人であり、作家、哲学者、ジャーナリスト、教育者であり、独立革命の闘士にして精神的支柱――。
 しかし彼は、残念ながら、その偉大な業績にくらべて、世界に十分に知られているとは言えません。
 ヴィティエール そのとおりなのです。私も、マルティを敬愛する一人として、残念でなりません。ですから、この池田会長との語らいを通して、日本の人々、そして世界の人々に、マルティの人となりを少しでも知っていただければ、と念じております。
2  カストロ議長と語りあった「師弟の精神」
 池田 そこで提案ですが、対談の導入部分として、キューバの人々が“フィデル”と親愛の情をこめて語る、カストロ国家評議会議長の話題から入ってはどうでしょうか。
 日本人が、キューバと聞いてまず思い浮かべるのは、軍服に身を固めたカストロ議長の姿です。
 “キューバのカストロ”“カストロのキューバ”と。
 ヴィティエール 結構です。キューバ人民にとってと同様、フィデルにとっても、マルティは尊敬し心から信頼を寄せる“師”であり続けるからです。
 池田 カストロ議長とは、一九九六年(平成八年)六月、ハバナ市の革命宮殿でお会いしました。
 予定を大幅に超える一時間半の会見が、脳裏に鮮烈に焼きついています。
 僣越を承知のうえで、忠言めいたことも申し上げましたが、真摯に耳をかたむけてくださり、最後に「友情に感謝します」との一言を添えてくださいました。
 また、その後も、ある折の私の伝言への返礼として、次のようなメッセージをいただいております。
 「池田会長が、多忙な私の健康を気づかってくださって、たいへんに光栄であり、うれしく思います。私は“革命家”であります。息を引き取る最後の瞬間まで、キューバ人民の尊厳と、キューバ共和国の主権のために戦い続けます」
 「池田会長も“革命家”であり、日々、民衆の尊厳のために戦っておられます。そのために、どのような目に遭おうとも戦っておられます。来る日も、来る日も、長時間にわたり、世界平和の実現のために働いていらっしゃる池田会長のご健康を、私もお祈りいたします」
 三年前の会見のさい、私は「創業は易く守成は難し」との東洋の格言を挙げ、後継者の問題について言及しました。そして、議長がソ連社会主義の崩壊を話題にされたので、私は率直に申し上げました。――クレムリンの歴代の指導者は、ともすれば政治的な権力争いによって選ばれ、そこには精神性の継承がなされなかった。すなわち、「師弟の精神」がなかったことが、もろくも崩壊してしまった大きな原因ではなかったか、と。
 その点、キューバの場合、どこか違うように思えてならないのです。
 ヴィティエール 精神性の継承という点では、マルティを師と仰ぐフィデルは、
 池田 会長のお考えとまったく共通していると思います。
 あのときの会見に同席していたハルト前文化大臣も、この対談が順調に進み、見事に実を結ぶことを念願し、確信しております。
 池田 ハルト前文化大臣にも、たいへんお世話になりました。
 また、カストロ議長からは、つい先日も「ヴィティエール博士との『対談』の成功を近くで見守っています。『対談』の成功のために、私が必要であれば、何でもおっしゃってください」との伝言が寄せられました。ありがたいことです。
3  革命指導者であり続け得る理由
 池田 さて、貴国は、一九九九年に革命四十周年を迎えられました(キューバ革命は一九五九年一月)。その間、カストロ議長は、さまざまな毀誉褒貶の波にさらされながら、変わらず、指導的立場にあり続けました。
 キューバ革命を敵対視する超大国アメリカのひざ元で、四十年もの長きにわたって指導的立場を維持し続けるということは至難の業であり、革命指導者として、ほとんど類例のないことだと思います。
 それを可能ならしめた理由はどこにあるのでしょうか。
 ヴィティエール アメリカは、あまりにも近くに体制の違う国が存在するので「邪魔だ、あっちへ行け!」と思っているのでしょう。(笑い)
 それはともかく、私は、フィデルの個人的な友人ではなく、ふつうのキューバ人の感覚から申し上げるのですが、理由としては、第一にフィデルの人格のおびているカリスマ性であり、
 第二に何といってもホセ・マルティの存在が大きいといえます。
 フィデルもいつも語っているように、キューバ革命の根源は、ホセ・マルティにあるのです。一九五三年のモンカダ兵営襲撃が失敗したあとの裁判で、「いったい、だれがシナリオを書いたのか」と尋ねられたとき、フィデルは「シナリオを書いたのは、ホセ・マルティである」と言い放っています。
 われわれが革命を必死になって守ろうとするのも、キューバ革命がたんなる「権力の交代劇」ではなく、そこには、マルティに源を発する「精神性の流れ」が脈々と受け継がれているからです。
 池田 よくわかります。モンカダ兵営襲撃後のその法廷闘争で、国家反逆罪で被告の席にあった二十七歳のカストロ青年が、あらゆる問責に一歩もひかず、「歴史は、私に無罪を宣告するであろう」と毅然と叫んだエピソードは、よく知られています。
 議長はつねづね、「私は楽観主義者です」と語っているそうですが、みずからの正義に対するこうした巌のごとき信念のなかにも、人間カストロのカリスマ性の一端が見てとれます。

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