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日蓮大聖人・池田大作

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三世十方の仏土と宇宙観  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 『法華経』の中で、説法の座に十方の諸仏が集まってきたことが述べられていますが、ここでも興味深い点がいくつかあります。
 その一つは、仏が三世十方にいるということです。三世とは時間的に一切を含み、十方は全方向にわたる空間世界を示しています。このように、あらゆる時間・空間の広がりの中に無数の仏がいるということは、みずからの住むこの世界だけが特別な世界であるわけではないとする、きわめて柔軟な考え方を示しているといってよいでしょう。
 多くの宗教は、みずからが立てる神の現れたこの世界が唯一の世界である(もちろん、それとは別に“天国”があるとしても、これまた唯一の世界です)とし、きわめて自己中心的な教えを説いています。それに対し、仏教が、時間的にも、空間的にも、自己とその世界を、無数にあるもののなかの一つであるとしていることは、まことに画期的な宇宙観を提示しているといえるのではないでしょうか。
2  カラン・シン 『法華経』に説かれている会座が、ブッダの教えの普遍性を象徴していることは明らかです。ただし、宇宙の中に無数の小さな宇宙がある(アナンタコーティ・ブラフマンダ)とする概念は、ヴェーダ聖典にその根源があり、仏教もこれを取り入れたのであろうと思われます。ブラフマンダという言葉は“宇宙の卵”という意味で、宇宙に浮かぶ銀河の写真を見ると、まさに巨大な卵の形をしています。
 ヒンドゥー教の宇宙観は、宇宙を舞台に踊るシヴァの壮大な姿のなかにもっとも美しく表現されています。彼には腕が四本あり、そのうちの一つは太鼓を持っています。これは世界の創造力を象徴しています。この力によって何百万という宇宙が次々と際限なく生みだされるのです。もう一つの手は火を持っています。これは、創造された世界を破壊する力を象徴しています。三番目の手は被造物たる宇宙万物を保護し、彼の崇拝者に安らぎをあたえます。四番目の手は踏み上げた足をさしていますが、これは、創造破壊の輪廻から救済する道を示しています。そして、踊っているシヴァを囲んでいる光輪は、宇宙の広がりを示しているのです。
 無数の宇宙という概念は、多くの仏教の絵画や彫刻に、さまざまな形で表現されており、したがって、『法華経』のみに固有のものであるとはいえないと思います。
3  池田 よくわかります。『法華経』は、そうした宇宙観を土台にして、法の永遠性と普遍性、ブッダの偉大さを説いているのであって、宇宙観を説くことを目的としたわけではありません。三世十方の仏土観とは、真理が普遍的であるがゆえに、それを覚ることも、時間的・空間的限定を受けないということを表しているといえます。つまり、仏教においては、あくまで“法”が根源であるということが、ここからもくみとれるのです。

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