Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

『法華経』と釈尊の真意  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 そこで、私が根本的よりどころとしているのは日蓮大聖人の仏法ですが、日蓮大聖人はみずからを「法華経の行者」と称されたように、『法華経』をよりどころとされました。
 『法華経』の原典はインドで成立したものであり、博士にとっても決して無縁の教えでないと信じます。また、私は、この『法華経』にこそ、現代の人類が直面している課題を解決するための真理が含まれていると信じています。
2  カラン・シン 『法華経』には譬喩的表現としてのイメージや解説的手法がふんだんに使われており、それを理解しないと、この経典の深い意味が明らかになりません。その意味で、容易に理解できる経典でないことは明らかです。
3  池田 『法華経』自体「この経は、これまでに説いたどの経と比べても、また、これから説かれる経と比べてさえも、もっとも難信難解である」と断っているくらいですから(笑い)……。
 また『法華経』の原名は「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」ですが、これを五世紀初めに漢訳した鳩摩羅什は「妙法蓮華経」と訳しました。妙法とは「不可思議な法」という意味で、やはり深遠であり、容易に理解できるものではない、ということを表しているのです。
 ところで、『法華経』の経典としての成立については、仏滅後、早い時期にまとめられた部分もあるが、全体としては、仏滅後五百年ごろに、『法華経』の教義をもった一つの教団によって完成されたのではないかという学者もいます。
 そして、『法華経』の教義は、出家比丘である二乗(声聞と縁覚)の成仏を許しているところに特徴があり、これは出家比丘を中心とした教団と、それを激しく攻撃した大乗教団との相克を止揚して、一乗のもとに統合しようとしたものであるとされています。そして、このことから、『法華経』は、そうした歴史的発展のなかで作られたもので、釈尊の正説ではないとする学者もいるようです。
 しかし、『法華経』に説かれている原理は、彼らが正説としている原始経典にも見られ、少なくともその基本的な教えは釈尊が説いたものであるといってよいと考えられます。
 「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」のスートラ(経)とは、仏説であるとの主張がこめられているわけです。

1
1