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日蓮大聖人・池田大作

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仏教の隆盛期と栄光  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 インドにおける仏教の発展を振り返るとき、まず、「仏教中国」(マッジマ・ジャナパダー)と、のちにいわれる地域のほぼ全域に、仏教は弘まりました。その範囲とは、ガンジス川を中軸に、クル・パンチャーラ方面を西北の境界線にし、マガダ(今のビハール州)のナーランダー、ラージャグリハ(王舎城=マガダ国の首都)を東南の境界線とする広大な地域です。釈尊が主として説法した場所は、シュラーヴァスティー(舎衛城=コーサラ国の首都)、ラージャグリハ、ヴェーサーリー(毘沙離城=ヴァッジ国の首都)、カピラヴァストゥ(迦毘羅衛=シャーキャ族の首都)、コーサンビー(ヴァンサ国の首都)などですが、なかでも、シュラーヴァスティーとラージャグリハの二都市が圧倒的に多かったようです。
 また、釈尊生存中、弟子たちの教化活動によって仏教が伝播されていった地域になると、「仏教中国」の範囲を超えて、西南のヴィンディヤ山脈の北部アヴァンティ地方や、さらにボンベイ(現ムンバイ)の北方にあたるスナーパランタ地方にまで及んでいます。
 釈尊の滅後、約五、六百年間は、仏教の歴史において、原始仏教、部派仏教と呼ばれる時代にあたります。
 この間に、仏教は、ほぼ当時のインド世界の全域に広がり、とくにアショーカ王(西暦前三世紀ごろ)の出現により、インド亜大陸から四方へ出て、各地に大きな影響をあたえたといわれています。
 西暦紀元前後からは「大乗仏教の興起」という壮大なる規模の復興運動が展開されます。こうした仏教の隆盛と栄光の時代は、インド宗教の歴史のなかで、現在、どのような位置づけがなされているのでしょうか。
 カラン・シン 仏教はその成立以来、インドの歴史と文化に、まことに大きな影響をあたえてきました。その影響は、四つの区分に分けて考察できると思います。
 まず第一に、社会構造への影響です。明らかに仏教の平等主義的な社会哲学は、その影響の及んだ地域のカースト制度の硬直性を弱め、さらに今日にいたるまで連綿と続く民衆宗教運動の大興隆への道を開きました。インドの社会構造が、ブッダの出現によって変化しないはずはありませんでした。もちろんカースト制度の硬直性は、現在もあるていど存続していますが、平等主義の精神をもたらしたブッダの役割は、大いに貢献するところがあったのです。
 第二は、宗教哲学への影響です。ブッダの所説であるアナートマヴァーダ(無我論)は、インドに定着することはありませんでした。しかしブッダの教えはいくつかの分野、とくに動物を生贄に供する慣行をやめさせるうえでまことに価値ある影響を及ぼしました。事実、ブッダ以後、多くの先住部族やインド社会の各カーストがそれまでさかんに行っていた動物の生贄は姿を消し始めました。それとともに、動物の犠牲を伴うかどうかは別として、生贄の儀式を行うしきたりそのものが消滅していったのです。
 第三に、仏教はインドの芸術・文化に多大な影響をあたえています。アジャンターやエローラの初期の寺院は、仏教僧が天然の岩をくりぬいて造ったものですし、ガンダーラ美術がインドの芸術に及ぼした影響は、その後、何世紀にもわたって芸術の支配的なモチーフとなりました。インド芸術の最高傑作のいくつか、たとえばグプタ朝時代のマトゥラーのブッダ像、サーンチーの大ストゥーパ(仏塔)、ブッダガヤーの寺院、アジャンターとエローラの石窟寺院などは、仏教の恩沢を如実に示すものです。
 最後に、仏教は政治的にも大きな影響を残しています。とくに、アショーカ大王によって仏教の教えがインドおよび国外にまで広く伝えられました。同大王の治世にブッダの尊い福音が、インドから周辺諸国へと伝えられ、ついには中国・日本にいたる長い伝播の旅が始まったのです。
 ですから、全体として見れば、仏教はインドの文化にきわめて有益な影響を及ぼしたのであり、仏教がインド史において重要な役割を果たしたという事実はいつまでも変わることはないと、はっきり断言できます。

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