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日蓮大聖人・池田大作

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仏教の革新性  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 そこで、その内容に関してですが、釈尊により創唱された仏教は、当時のインド社会を支配した諸々の宗教や思想、制度を根本から変革する宗教として登場したように思われます。
 私が考えるところでは、仏教の革新性として挙げられるべきものに、主に、次の三点があると思います。
 一つは、なんといっても、前にもすでにふれたことですが、人間はダルマ(法)のもとに平等であるという思想です。この平等主義は、当時のインド社会に定着していたカースト制を批判し否定するものでした。
 博士が先に『法句経』から引かれたのと同じになりますが、釈尊の言葉のなかに「生れによって賎しい人となるのではない。生れによってバラモンとなるのではない。行為によって賎しい人ともなり、行為によってバラモンともなる」(前掲『ブッダのことば―スッタニパータ』)というのがあります。
 従来はバラモンの家に生まれれば、それだけでバラモンと自他ともに呼んでいたのを、釈尊は、生まれや出身に関係なく、その行為が正しい人をバラモンと呼ぶべきであると叫んだのです。この場合のバラモンとは、カーストとしてのバラモンではなく、高貴な人という意味であることは明らかです。逆に、シュードラ(隷民)の出身であっても、下賎であるとはいえないわけです。
 この平等思想は、とくに仏教教団内では徹底されており、そこでは、出家以前の階級とか身分上の差別はすべて除かれ、等しく「釈子」として扱われたといわれています。
 次に、仏教は、人間の現実の経験を直視した点で、当時の革新思想であったと思います。それは、人間を生、老、病、死の四苦を背負った存在としてとらえ、この「苦」からの解脱を志向した点に特徴的に現れています。
 それまでの宗教が、人間の力を超絶した創造主としての神や、超自然的な力が存在するとして、祈祷、呪術、魔力を使って、それらの恩恵にあずかろうとするいき方をとってきたのに対し、釈尊は、これを否定し、まず、人間そのものの現実を直視したのです。この人間の現実実存に着目したことから、西欧の思想家たちは、釈尊を「歴史上、最初の実存主義者」と呼んでいます。
 こうしてとらえられた人間の現実はまさに「苦」であったわけですが、釈尊はその「苦」を解脱する道として、人間の力を超絶した神、絶対者、超自然的なもの等に頼るのでなく、あくまで、人間自身および万象を貫徹している“法(真理)”に目覚めるべきことを教えました。そして、この苦に覆われた生命をさらに掘り下げた奥底に「常、楽、我、浄」の大生命が存在していることを覚らせようとしたのです。
 この点でも、仏教はどこまでも人間主義的であったといえます。たとえば、釈尊の遺言とされる「それ故に、この世で自らを島とし、自らをたよりとして、他人をたよりとせず、法を島とし、法をよりどころとして、他のものをよりどころとせずにあれ」(『ブッダ最後の旅―大パリニッバーナ経』中村元訳、岩波文庫)の言葉は、よく知られるところです。これは東洋のヒューマニズムの原点ともいうべきでしょう。
 第三に、実体主義を否定し「縁起」の思想に代表される“関係主義”を立てたことが挙げられます。仏教のこの関係主義は、それまでのすべての宗教・思想にはなかった新しい独創的な立場を開いた考え方であり、これも、仏教の革新性の一つといえると思います。
 以上、三点にわたり、私が考える仏教の革新性を指摘しましたが、同時に、この革新性のゆえに、仏教は、たんにインド民族にとどまらず、東アジアや東南アジアの多くの異民族にも迎え入れられたのでしょう。すなわち、ここに世界宗教としての仏教の普遍性があったと考えます。
2  カラン・シン ブッダの教えが、いくつかの点で既存の思考方法とまったく異なっていたことは事実です。「革新性」という言葉についてはいくつかの解釈がありますが、お説のとおりブッダのもっとも進んでいた点は、諸宗派の硬直したカースト制を否定したこと、とくにバラモンが精神的救済をあたえる特権を事実上独占するという主張に抵抗したことです。
 しかし、これは前にも述べたことですが、次のことを忘れてはならないでしょう。つまり、たしかにカーストによる区別は古代インドの社会秩序のなかで重要な要素ではありました。しかし、哲学的・精神的な次元に限っていえば、ウパニシャッドの聖典は、万人に内在するアートマン(我)が神性の顕現した一形態であり、したがって万人は平等であると教えています。ブッダの平等主義の教えは、たしかに価値のある、尊い貢献をなしたといえます。
 インド思想史をさらに下ると、とくに中世のバクティ運動における偉大な吟詠僧たちの登場とともに、硬直したカースト制への反抗運動がインド全域に広がりました。
 ご指摘の二点目ですが、ブッダが人間の現実の苦悩に深くかかわり、そうした苦悩を除去するためだけでなく、個人が自力でそのカルマ(業)を解決するための有効な手段として奉仕と慈悲の福音を弘めたことは事実です。しかしながら、苦しんでいる人を助けるという考え方は、つねにインド哲学の伝統の底流をなしており、
 善行によって得られる功徳が、精神的成長のための重要な要素であると受けとめられています。
 ブッダとインド哲学諸派の覚者たちの主な相違点は、アートマンの考え方にあるのではないでしょうか。ブッダにとってその世界観は、四諦の法門の第一、ドゥフカすなわち苦の存在に由来するものでした。彼は、存在の根本的な特徴を苦と見たわけです。この見方とはいちじるしく対照的に、ウパニシャッドの覚者たちはすべての存在の基本がアーナンダ(歓喜)であるととらえました。その点では、ブッダの覚知は、当時のインドのみならず、全世界の庶民の境遇を正しく反映していたといえるかもしれません。
 しかし、人間の存在をまったく苦悩という観点からしかとらえない考え方には、明らかに否定主義的な要素が見受けられます。事実、ウパニシャッドの聖者たちは、みずからが住する苦悩の大海を考察しつつ、人間存在の中核がドゥフカではなくアーナンダであると想定したのです。
 三点目の「実体主義」ですが、この点に関するかぎり、インド哲学諸派と仏教の基本的な見解の相違が見られます。ブッダは、外的な現象の背後に実態的存在があるとする教義を明白に否認しました。これに対してインド哲学諸派は一貫して、物理的な現象は、深遠で不滅の輝かしい実在、すなわちブラフマンの顕現にすぎないと考えてきました。
 どちらがより「革新的」な教義であるかは人々の考えしだいですが、森羅万象の背後により深遠な実在を想定しなければ、宇宙全体が本来起こるべきではなかった恐ろしい過失の結果生じたことになり、人間意識の輝かしい開花もバートランド・ラッセルのいう「原子が偶然寄り集まったもの」にすぎなくなってしまうのは明らかでしょう。
3  池田 これはきわめて説明のむずかしい点ですが、先に諸法が実相であるとする『法華経』の教えを紹介しましたように、『法華経』では、一切が縁によって生起していることを認めつつ、その生起している現象自体が常住不変の法(実相)のあらわれであるとするのです。したがって、そこにあるのは偶然ではなく、厳然たる“法(ダルマ)”なのです。

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