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人生の四段階観  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

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1  池田 さて、古代インド人は「ブラフマン」との合一を得ることのできる霊力と智慧に到達するため、老年になると隠遁する生き方をとったと聞きます。もちろん、それはバラモン階級などの限られた人々だったでしょうが、こうした人生への取り組み、つまり物質的欲望の追求や感覚的快楽だけにとらわれまいとする生き方は、とくに現代人に対して示唆するところがあると私は思います。
 彼らは、人生を四つの段階(アーシュラマ)に分け、一説には、それぞれに約二十年の年月を配しました。
 第一(ブラフマチャーリン)は、道を教えてくれる教師のもとに住みこんで、ヴェーダを学習する期間です。ここでは、畏敬の念と勤勉さと誠実さを身につけることが求められました。
 第二(グリハスタ)は、結婚し、子をもうけて、家長として働き、また、社会の成員としての義務を果たす期間です。
 第三(ヴァーナプラスタ)は、息子たちが成人すると、家庭のこと、社会での任務を譲って、自分は妻とともに人里離れた森林に住む期間です。
 そして、第四(サンニヤーサ)が、一切の財産を放棄し、妻とも離れて、托鉢をしながら放浪して歩く期間です。
 私は、これは、あくまで理想型として示されたものであると思います。実際には、これらをすべて実行するには八十年かかりますから、それだけ長生きできない大多数の人々は、それをまっとうすることができません。
 また、おそらく貧しい家庭では、子どもも家業の手伝いをしなければならなかったでしょうから、教師のもとへ住みこみで学問させるなどということは不可能だったでしょう。
 さらに、結婚しても、跡を継ぐ息子のできないこともありましょうし、老夫婦で森林に隠遁するといっても、必ずしも皆ができることではありません。
 そのさいの生活の支えをどうするか、息子たちが支えてくれるか、夫婦が健在かどうかなど、現実化の条件はきわめて厳しいといわなければなりません。
 まして、最後の放浪の段階で、たとえば妻が病気で倒れているのを、それでも捨てて一人で放浪できるかどうか――。すべては仮にすぎず、病んでいる妻もいつかは死んでいくのだと理屈では割り切っても、人間の感情としては、そのように割り切れるものではありませんし、そうした割り切り方が正しいかどうかさえ疑問視せざるをえません。
 したがって、私は人生をこのように年齢によって段階に分けて、これらに生き方を配分することが重要なのではなく、日々の人生のなかに、これらが均斉を保っていくように心がけることが大切であると思います。
 すなわち、第一段階の勉学もつねに心がけるべきことですし、人生は生涯が学習の連続でなければなりません。第二段階の家庭および社会における義務も、生きているかぎり、どこまでもつきまとうものでしょう。しかし、こうした現実社会へのかかわりだけに没入してしまうのでなく、人生とは何か、いかに生きるべきか等、人生を客観視できる視点をもつことも不可欠です。なかんずく、究極的・永遠なる真理へ迫ろうとする信仰の姿勢は、人間としての成長と向上にとって、もっとも深い基盤と支えになるものでしょう。それは、現実の人生を離れてあるものでなく、その基盤となるものですから、遁世してしまっては、真実のものをとらえることはできなくなってしまいます。
 このように考えるならば、こうした人間の生き方は、あらゆる人に通ずると思いますが、それは、今も、インドの人々によって受け継がれているのでしょうか。
2  カラン・シン 人生の四段階説は、たしかに初期のインド社会によって受け入れられた理想でした。もっともこれは、少数の人々以外には、たんなる理想にとどまっていたようです。私の意見を述べる前に明らかにしておきたいのですが、四つの段階にそれぞれ配する年月は、二十年ではなく二十五年であり、これらをまっとうすれば人間の寿命はちょうど百歳になります。実際、ヴェーダのなかには、百歳までの長寿と健康を祈る讃歌がいくつかあります。
 四段階説の形式化は、ヴェーダを信奉する人々の生活のなかで後世になって発展したものと思われます。しかし、この立て分けの重要性は、最初から明らかでした。
 学習期(ブラフマチャーリン)が大切なことは明白で、複雑なサンスクリットと伝授されるべき広範な知識を考えると、教師のもとで少なくとも十四年間の学習をすることが必要でありました。仮に、子どもが十歳のころに教師のもとに行ったとすれば、教育を受け終えるころには二十五歳ぐらいになります。
 第二の“グリハスタ”という家庭の段階では、若者たちは当然結婚し、社会の有用な成員となり、家族を養っていくことになります。
 第三の“ヴァーナプラスタ”期では、子どもたちは成人し、家長は物質的財産を徐々に子どもたちに譲り、偉大な死への準備にとりかかることになります。
 “サンニヤーサ”という遁世遊行の段階も定着していました。ただおもしろいことに、これは年齢には関係ありませんでした。人々が遁世したいという強い内的欲求を感じたならば、人生のいかなる時点においても遁世できたのです。これは、今日のヒンドゥー社会でいまだに行われていることです。
 しかしながら、古代インドの四段階説では、遁世遊行は、高齢に達し、子どもたちが皆家庭をもち、孫たちも成人した後に行われるものとされていました。そのころには人は社会的責任から解放されていますから、最後の段階として隠遁生活に入ることができたのです。妻が生きていたとしても、子どもや孫たちがよく面倒をみてくれることになっていたので、妻の遺棄という問題は起きませんでした。
 忘れてならないのは、ヒンドゥー社会の秩序はすべて、年齢や職業に関係なく、家族全員に経済面やその他、物心両面で援助を与え続ける複合家族にもとづくものであったということです。
 四段階制度は、ヒンドゥー社会の活力を保ち、指導者たちの更新と交代が絶えまなく確実に行われるための、広大な体系であると考えられていたように思われます。他のいくつかの社会で勢力を保っている老人政治に対して、四段階制度は、高齢者に優雅で社会的に容認される生き方を勧め、指導者たちの交代が自然のうちに容易になされるようにするものだったのです。

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