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日蓮大聖人・池田大作

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アーリア人の宗教的発展  

「内なる世界 インドと日本」カラン・シン(池田大作全集第109巻)

前後
1  池田 先の問題と同じ領域に属するかと思いますが、わが国の一部の学者が指摘するところによりますと、『リグ・ヴェーダ』に代表されるヴェーダ文献群を読んでいくにつれ、一般の宗教史の流れのうえから見て、逆行しているように思われる展開があるといわれております。すなわち、宗教思想の一般的な展開は、
 だいたいにおいて、部族的・血縁的信仰から呪術的信仰に移り、その後、多神教的な神話の時代に入るのが、世界のどの地域でも通例といえるのに対し、インドにおいてはまず『リグ・ヴェーダ』に謳われる多神教的な天神地祇への讃歌があり、その後に、呪術に使われる文句を主たる内容とする『アタルヴァ・ヴェーダ』が続き、さらに、ヴェーダ時代第二期とされる『ブラーフマナ』文献においては、祭祀至上主義が宗教界の主流を占めるというのです。
 この通常の宗教史に逆行あるいは逸脱するともいわれる初期アーリア人の宗教が、なにゆえに形成されたかについては論議の余地があるところですが、その理由の一つとして、アーリア人が西北インドからガンジス川の下流地域へ東漸するにしたがって、それまで経験したことのない厳しい気候・風土の影響を受けたためではないかとされています。
 なぜなら、呪術的信仰は、人をして災いを逃れしめ、福を得させるという現実生活の直接的な欲求に応えようとするところに生まれるものです。インドの場合、東漸により、新しい環境・風土の厳しさが、いやましてアーリア人に襲いかかってきたことを示しています。
 ガンジス川流域のジャングルを切り開き、開墾しつつ、東漸していくアーリア人の前途は多難であったでしょうし、予期せぬ災厄や病気がいつ降りかかるかもしれぬ危険にさらされていたであろうことは容易に想像できます。そのような状況下では、人間に恵みと喜びをあたえる自然の諸現象を人格的な神として崇め讃える、多神教的なおおらかで明朗な信仰は維持しえなくなることは必然の成り行きでしょう。それよりも、いかにして予期せぬ災厄や病気が降りかかるのを防ぎ、
 生活上の直接的な福徳を招くかが課題となったに相違ありません。
 この、未知の自然を開拓しつつ東漸していった初期アーリア人の切実な願望が、一般の宗教史に逆行する、多神教的信仰ののちに呪術的信仰が勃興する流れを形成したように思えてなりません。
 逆行の原因として、アーリア人の東漸の過程で、その地に土着していた住民の信仰を取り入れたことを挙げる学者もいますが、博士はどのようにお考えでしょうか。
2  カラン・シン 地理とか気候とかの要因がアーリア人に大きく影響していったことは間違いないと思います。しかし、私の見解では、アーリア人の宗教が多神教から呪術信仰へと移行したというのは正しくないと思います。事実、先にも申し上げましたように、彼らの宗教はさまざまな神々に象徴される諸現象・諸力の背後に、それらを統合する存在のあることをなによりも強く認識しておりました。したがって、彼らの宗教を多神教と呼ぶことはまったくできないわけです。
 あなたが“呪術的信仰”と呼ばれたものは、おそらく、アーリア人が、当時インド原住民の間に栄えていたにちがいない多数の土着信仰から吸収したものに源をもっています。つまりアーリア人やインダス川流域住民のほかにも、どちらかというと原始的で、文化水準の低い多くの部族集団が住んでおり、これが何世紀かの間にアーリア文明に吸収されていったにちがいありません。
 彼らはさまざまな種類の災厄、たとえば天然痘のような悪性の疫病や、その他、当時、治療法の知られていなかった諸々の病気を避けようとして、多くの呪文やまじないを唱えたにちがいありません。『リグ・ヴェーダ』よりもずっと後代に編纂された『アタルヴァ・ヴェーダ』には、まじない文句が豊富に見られますが、これはたんなる偶然とはいえないことです。

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