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日蓮大聖人・池田大作

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第五章 政治と宗教のあるべき関係――人…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

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1  池田 ここでは、「政治と宗教」についてお聞きしたいと思います。
 ガンジー研究の権威で、私の友人であるインドのN・ラダクリシュナン博士は、次のように述べております。
 「ガンジーはみずからの実践、闘争を通し、一国の政治の質は、その国のリーダー、あるいはその国の大衆によるのではなく、その国の国民の哲学性、精神性によることを証明しました。……こうした精神性といったものは、すべて宗教によってのみ触発されるものです。宗教的価値にもとづく倫理、モラル、精神性に触発を受けた政治があって、初めて人々がめざす理想的な社会、理想的な国家が獲得できるのです」
 宗教的価値にもとづく精神性に触発を受けた政治、それは、あなたを中心とするキリスト教民主党の理想とも、軌を一にするものでしょう。そこでまず、チリの宗教的な現状からうかがいたいと思います。
 エイルウィン チリは他のラテンアメリカのほとんどの共和国と同様、伝統的にカトリックです。最近の人口調査によると、十四歳以上の七五パーセント以上がカトリック教徒であると表明しています。約一五パーセントが他のキリスト教の会員で、約四パーセントが他の宗教の信者、そして五パーセントが無関心、あるいは無神論者です。
 しかしながら、このようなデータが国の宗教の現実を、忠実に表しているわけではありません。なぜならば、カトリック教徒だと表明した人たちのわずか三分の一の人たちのみが、礼拝形式への忠実な遵守者である一方、プロテスタントだと表明した人たちの大部分が、所属する教会の活動に積極的に参加しているからです。
 池田 チリにおける、政治と宗教の関係と、その歴史はどうでしょうか。両者のあるべき関係や、原則とすべき点について、どうお考えですか。
 エイルウィン スペインやポルトガルの植民地だったラテンアメリカのあらゆる国々と同様、チリ社会でもカトリック教会が多大な影響力をもっており、長期間にわたってカトリック教は国教でした。十九世紀末から二十世紀にかけての自由主義、合理主義、実証主義などの思想の興隆により、大きな政治・宗教紛争が起こり、その結果、一九二五年、国家と宗教が分離されました。その後、チリでは宗教上寛容な風潮が強まり、憲法が信教の自由、全信仰の自由な活動を保障して、宗教信仰は個人のプライベートな領域に属するものとみなされるようになったのです。
 この二十世紀中頃まで、カトリック教会は、公式にカトリック教徒たちの政党であると宣言していた保守党を通して、国の政治に介入していました。しかしその後、状況の急激な変化がありました。第二バチカン公会議で世俗分野の問題に関する多様な意見の容認がはっきりと打ち出されたことにともない、現在ではほぼ全政党にカトリック教徒が参加しています。
 現在チリでは、政治と宗教が相互にかなり独立しあっています。だからといって、カトリック教会や他の小規模な宗派が、きわめて精神的あるいは倫理的課題に対する世論の形成に重要な影響力をもつことを、妨げているわけではありません。軍事政権下でカトリック教会は自由に表現できない人々の声であろうと努める一方で、迫害されている人々の擁護にたいそう重要な役割を果たしました。
2  基本的人権は「信教の自由」の保障から
 池田 なるほど。日本でも長く信教の自由が抑圧されてきた歴史があります。
 エイルウィン 基本的人権は、なによりも信教の自由に裏打ちされるものです。自分の信仰を自由にもてること、そして、自分の信仰の儀式を自由に障害なく実践できること、これが信教の自由です。
 かつてチリにおいて、カトリック教会における結婚以外は無効であり、またカトリックの墓地ばかりでしたから、カトリックを信仰していないで亡くなった人は、お墓を手に入れることが困難でした。
 やがて大きな論争が巻き起こりました。これが、かの有名な世俗の法律制定論争と呼ばれ、一八八〇年代に民事婚姻法ならびに非宗教的墓地法が定められ、婚姻制度と墓地を、カトリックから独立させました。これによって、どんな宗教をもっている人にも開放された、国家が維持する墓地の存在が認可されたのです。
 このプロセスは、チリにおいて一九二五年、憲法の公布をもって終わったのです。この憲法で政教分離がうたわれ、他の宗教を信じることも自由になりました。もちろんそれは、良い習慣、公安を維持できるうえでのことです。
 池田 よく分かりました。ところで、あなたは初めての出会いのとき、言われました。
 「私は、キリスト教徒として、人間は神と人間に奉仕するために生まれたと信じています。この考えを、政治の世界で生かすならば、政治とは人々のため、公益のためにこそあると、私は思います。この信念は、たんにキリスト教をベースにした者のみの政治思想とは思いません。他の宗教的信念をベースにしても、『正しい政治』については、同じ考え方になると信じます」(九二年十一月十九日の会談)
 「対話」と「人権」を徹底して尊重するあなたの政治活動が、確固とした宗教的信念にもとづいていることがよく分かります。私は、一人の信仰者として、生き方の面で深く共鳴をおぼえました。
 エイルウィン 感謝します。私が参加し、長年にわたって指導者を務めてきたキリスト教民主党は、宗派に属した政治組織ではありません。その指針は、キリスト教のヒューマニズムの道義や価値観に着想を得ていますが、党員に宗教的同一性を要求していません。キリスト教民主党の大部分はカトリック教徒ですが、そうでない人も多くいますし、宗教的権力組織とは明確に一線を画して政治的指針を決定します。
 私はこのようなやり方が適切であり、このようでなければならないと考えております。これは、宗教・政治間にある本質的相違に対応しているのです。宗教が人間の精神的尊厳に重大な関心をはらっている一方で、政治は国の統治に専念するのですから。
 キリストはユダヤ人たちがローマ皇帝に税を納めるべきかどうかをたずねられたとき、このような差異についてはっきりと答えています。
 “シーザーのものはシーザーに、そして神のものは神に”と。
 私の考えでは、そのことが政治運営上、宗教的・精神的信念が影響をあたえない、ということを意味していないと思います。これは最終的に社会において支配的で、その社会の文化を構成している思想や価値観の表出なのです。
 国で個人主義、あるいは共同利益、物質主義、あるいは精神性、攻撃性、あるいは平和主義が支配的であるかという事実が、必然的にその国の政治活動に反映されるのです。
3  “人のふるまい”に現れてこそ真実の評価
 池田 政教分離は、近代社会が多大な代償をはらいながら獲得してきた英知であります。これは当然のこととして、宗教をたんに個人の内面的私事として閉じ込めておいたのでは、人間にとっても社会にとっても、生産的ではありません。また、それでは真実の宗教とはとうていいえない。
 ソ連崩壊後のロシアで、今いちばん人気のある哲学者といえばニコライ・ベルジャーエフでしょう。彼は、ますます世俗化を強めつつある近代社会の精神的貧困を嘆きながら、大胆にも「新しい中世」といった、豊饒なる精神性の横溢する時代をも展望しています。
 宗教的雑居性、シンクレティズム(諸教混交)の傾向がいちじるしい日本などは、政治と宗教についての正視眼の思潮がなかなか育ちにくい土壌ですが、あなたはどのようにお考えですか。
 エイルウィン 先ほど述べましたように、現実に照らしあわせて見ますと、政治の質には、その国の国民の精神性、宗教性、およびそれらにともなう道徳性が重要な関連性をもつとの点で、あなたがあげられたラダクリシュナン博士の考えに、私は同意します。
 インドにおいてガンジー自身が行った、かくも豊かで人間性に満ちた刺激をあたえる模範も、おそらく文化的特性が本質的に異なる国においては、同様の成果を生みだすことはなかったでしょう。
 結論を申し上げますと、宗教が人間の精神性の向上をうながして、道徳的克己や人間同士の理解や団結や平和の意義を高めているかぎり、政治の質を向上させることに明らかに貢献しています。反対に現在のイスラム圏のいくつかの国で見受けられるように、狂信的行為や宗教的旧体制保護主義のセクト主義そのものをもたらすならば、文明化された政治的共存を危機的状況におとしいれる脅威となるのです。
 池田 宗教というものは、人のふるまい、現実の行動に現れてこそ、真実の評価をくだせるものです。また、日々の生活態度や人生への取り組みに反映されない宗教は、宗教として機能していないと言えるでしょう。仏典に「釈尊の出世の本懐は人の振舞にて候けるぞ」というのも、そうした宗教の本質を説いたものです。
 エイルウィン あなたがおっしゃる基準に同感しますし、共感をおぼえます。キリスト教の福音書の中にも「木の良し悪しは、その結ぶ実で分かる」、つまり人はその行動によって判断される、とあります。神よ神よ、と言いさえすればよいのではありません。または大げさな身振りをしたり、宗教的な行為あるいは厳粛な言明で十分とするのではなく、本当の宗教性は人のふるまいと、その人が信奉する宗教との間にある首尾一貫性で評価すべきものです。キリスト教の世界では、私たちは信仰心を標榜していても、そのふるまいが、言っていることと首尾一貫していない人のことを、偽善者と呼んでおります。

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