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日蓮大聖人・池田大作

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第二章 和解の大統領――真実のみを話す…  

「太平洋の旭日」パトリシオ・エイルウィン(池田大作全集第108巻)

前後
1  池田 エイルウィンさん、あなたは、晴れて一九九〇年三月に大統領に就任されました。じつに十六年半におよんだ軍政が、ついに終わりを告げたわけですね。
 エイルウィン そのとおりです。運命の時がまわり始めたのです。
 池田 当時の外電は、ピノチェト大統領がエイルウィン次期大統領の自宅を表敬訪問したと写真入りで伝え、「平和的な政権移行を予感させるものとして国民は好感を持って受け止めている」「国会の復活を含めた民主的な政体が出現することは、中南米が新たな民主化の時代に入ったことを物語っている」(「朝日新聞」九〇年三月十一日付)と報じました。
 長い間の不毛の対立に終止符を打って、あなたは「後世の人々に『和解の大統領』として思い出してほしい」と言われました。この事実に、深く感銘を受けました。
 エイルウィン 私は、大統領に就任したときに、五万人の人々を前に行った演説の中で、表明しました。私たちの最大の課題は「あらゆるチリの人々が、和解の道を歩み、相互尊重、真理の統治、法治、たゆまない正義の探求、これらを礎として、国民的団結を確立すること」である――と。このように述べたのは、私は、十数年にわたる反目、憎しみ、暴力の歳月にくたびれきっているチリの大部分の人々の、心の奥底にある気持ちを受けとめたからです。
 池田 まさに双肩に、重い責任を担われたわけですね。
 エイルウィン 平和という課題と取り組むなかで、私が望んだことは、――あらゆる同胞たちにとって、一家の良き父のような存在になり、誠心誠意の熱意と献身で、あたえられた権限を駆使し、国民の健康と幸福を築きあげたい。とりわけ緊急にその必要に迫られている極貧層の子どもたちを優先的に配慮したい――ということでした。
 池田 そのような姿勢が、民衆の広範な支持を得られたのでしょう。これは、万般の道理です。私がいつも創価学会のリーダーたちに強調していることも、「会員第一」「会員への奉仕」ということです。ところで、就任時に、具体的に最大の課題として、もっとも心をくだき、取り組まれたことは何でしたか。
 エイルウィン 私たちの目の前にあった課題は、じつに大きなものでした。少なくともそれは、五つの局面に分けてとらえることができます。
  (1)チリ国民が和解するためには、独裁政権下で侵された深刻な人権蹂躙について真実を解明し、可能なかぎり裁きをくだす必要があった。
  (2)民主主義を強化するために、軍事政権が私たちに残した体制上、および司法上の制度に関して、大幅な改革を行う必要があった。
  (3)国家の発展促進のために、必要不可欠な安定性を保持しながら、経済成長、貯蓄、投資、輸出をうながす経済政策を採択する必要があった。
  (4)社会秩序を確保し、貧困層の逼迫した問題に対応するには、効果的な社会政策を実行する必要があった。とりわけ健康、教育、住居などの面で。
  (5)国際的なチリの信望を回復するには、国際共同体のなかに復帰する必要があった。
 ――ということです。
2  指導者像は時代と人々とが決める
 池田 軍事独裁政権のあと、和解をはかりながら、国民主役の政策を実行する。荒海にあえてこぎ出すような困難な作業だったがゆえに、信望のあるリーダーと、公平無私なリーダーシップが求められたと思います。その意味では、指導者像というのは、時代と人々が決めるのかもしれません。
 エイルウィン 恐縮です。当然のことながら、あまりにも大胆な試みですから、私たちは、多くの危惧の念をいだきました。
 私が不安に思ったことは、まず、貧しい人たちが、「適正をたもった成長」という、私たちの政策を実施するための十分な時間をあたえてくれるだろうか、ということです。あるいは、独裁政権下であまりにも無視され苦労した末に、自暴自棄になった人たちが、ストライキや土地占拠、暴力行為などに訴えて、力ずくで彼らの主張を強要するポピュリスト(人民主義的)政策を、私たちに採らせるのではないか、ということです。
 池田 よく理解できます。
 エイルウィン 次に、独裁政権下で行われた多くの人権侵害の解明、および人権侵害の犯罪に対する臨時裁判を実現できるか、ということでした。さらに、ラテンアメリカの多くの近隣諸国では、独裁政権から抜けだしたものの、インフレにおちいってしまいました。インフレにおちいることなく、前政権下で長期間ないがしろにされてきた低所得者たちの、社会・経済的な生活必需品を調えられるだろうか、ということです。
 池田 改革を急ぐあまり、かえって混乱の度をますというのは、東欧の例を待つまでもなく歴史の常です。新体制への期待が大きいだけに、改革が遅々として進まないときの幻滅は、それだけ大きくなりがちです。
 エイルウィン そうです。私としては、これら三つの危惧が現実のものとならなかったことに、とても満足しています。国民間の団結と理解を求めた呼びかけは、ほぼ全党派に受け入れられたのです。労働者や企業家、民間人や軍人、政府支持者や反政府支持者……程度の差はあれ、すべて、呼びかけを受け入れてくれました。おかげで私たちは、多くの課題に首尾よく取り組めたのだと思います。そして、このことが、私たちにとって最大の喜びの源であることは確かです。
 もちろんお分かりと思いますが、私たちは願っていたことすべてを、なしとげたわけではありません。いかなる国にとっても大胆な試みは、とりわけ発展途上国では四年間で完全に遂行できない課題があります。
 チリは民主主義を回復し、国民は自由と平和のうちに生活しており、その事実は国際的に認められています。経済は成長しており、貧困は壊滅しつつあります。私が任務を終えたとき、百三十万人もの国民が貧困から脱出していました。しかし、まだ四百万もの貧困層が存在しています。これが私にとって、いちばん悲しいことです。
 池田 深く国民を思う言葉に、胸打たれます。一つ一つの政策の実行にも、たいへんなご苦労があったと思います。
 エイルウィン 私の大統領選への立候補を支持して、就任後の政権を支えてくれた「民主主義をめざす政党連合」は、当初、十七政党からなっていました。しかし、実際のところ、それらの政党の多くは、軍政下で生まれた政党の一分派であり、分裂や対立の産物だったのです。そのうちにグループは再編成され、八政党に縮小されました。そのなかで、もっとも重要な党を得票順にあげれば、キリスト教民主党、社会党、民主主義をめざす党、急進党、中道同盟党(PAC)となります。
 一方、野党は、国会議員代表団をもつ三政党となりました。国家革新党、独立民主連合、中央中道連合野党です。左派として、共産党が存続していますが、大幅に縮小されてしまい、国会議員を送りだせませんでした。私の政権に対しては野党の立場をとりました。
3  複雑化する国民の合意は「対話」から
 池田 ともかく国民的和解と合意をめざされたわけですね。
 エイルウィン 実際のところ、政策の実現は困難ではありませんでした。共同綱領の合意、私たちに寄せてくださった忠誠心、おのおのの党の指導者の方々の一貫性と責任感が全政党を一丸とし、政権を支えたのです。閣僚やその他の直接的に接触した協力者の
 方々と団結して、重要な課題をこなすことができました。これも、私たちにとって、うれしかったことの一つです。
 しかし、一国を統治するということは、政府、および支持してくれる政治団体の団結のみで行えるわけがありません。私が長い政治活動の道程を通して学んだことは、そのような団結は必須のものであるが十分ではない。なぜならば政党間の提携がどんなに強力であろうとも、国家というものはさらに広範で複雑なものであるということです。
 池田 そうですね。国家というものが広範で複雑なもの――というご指摘はまさに、そのとおりです。
 エイルウィン 当然のことながら、政府に反対の立場をとる、あるいは距離をおく政党の存在があります。さらにいえば、全国民が政党と合意しているわけでなく、無党派であったり、独自の考えをもっていたりします。もう一方には、農業、鉱山業、工業、商業、サービス業など、さまざまな経済部門の人たちがおります。社会階層でいえば、企業家、サラリーマン、自営業者などが存在しますし、それらの人たちが、政党によって代表されているわけではありません。しかし、国の構成員であり、世論形成に貢献しています。
 池田 人間の社会ですから、百人百様です。政治的立場の違いは、純然たる政治姿勢の違いからくる場合もあるし、利害の対立からくる場合もある。一般的な傾向として、多くの国で無党派層がふえています。価値観の多様化とともに、複雑化の傾向は、より強まると思います。
 エイルウィン 民主主義を信奉する統治者ならば、そのような多様性は無視できません。むしろ多様性をふまえて政策を立案すべきだと思います。ですから効果的に職務を果たすためには、まず絶対的に必要な支持を得ることのできる基本的、あるいは本質的なコンセンサス(合意)を求めて、それを成り立たせる必要があるのです。
 このような観点のもとに、私は任期中、企業家と労働者間の社会経済領域と同様、政府と反政府間における政治領域においても、重要な国民的コンセンサスの形成を促進いたしました。
 だからこそ四年間で、法律が制度化されたチリにおいて、さほどの代償を強いられることなく、経営者側の生産・商業連合(企業家組合)と労働者統一組織(国内最大の労働組合組織)が、合意にいたるという成果を得ることができたのです。同様に税制改革その他の重要な法案を、政府と反政府のいくつかの政党間で、合意にこぎつけることができたのです。
 池田 粘り強いご努力だったのでしょう。対話の有用性について、意を強くいたします。私はこれまでも、問題の解決には「対話」しかない、指導者は胸襟を開いて徹底的に話しあうべきである、と主張してきました。幸い、時代の推移はそのようになりました。エイルウィンさんがなさったのも、結局はそこがポイントだったと思います。
 エイルウィン ありがとうございます。国民的コンセンサスの形成こそが、私の仕事でした。私のそのようなふるまいが、連合政権成功の鍵であったと考えています。
 そして今、振り返って、さほど困難であったとの感想はもっていません。私にとって、必要とされたことは、あらゆる人々に敬意をもって接し、あらゆる人に真実を――だれにとっても同じ真実のみを話す誠実さと根気でした。
 だからこそ私を信用してくださり、好意をもって、私が必要とした合意にいたるよう、皆が努力してくださったのだと思います。                             

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