Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

人間の尊厳の危機を超えて 池田大作

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
1  一年有半という長いといえば長く、それでいてあっという間に過ぎ去ってしまったこの対談の道のりを振り返ってみると、まことに感慨ひとしおのものがあります。ひと昔前までは、宗教否定のイデオロギーを″官許かんきょ″の哲学としていた国のトップの座に位置していた人と、このように幅広い、何のタブーもなく自由で、突っ込んだ――宗教の内実にまで踏み込んだ対話を交わすことができたことに、あらためてパノラマを思わせるような劇的な時代の展開を痛感しております。
 もとより、それ以上に、「新思考」の体現者であるM・ゴルバチョフという稀有なキャラクターを対談相手に得たということが大きいことは、十分に承知しております。三年前の創価大学での語らいのさい、二十一世紀について考えるさいには、世界宗教を視野に入れることが不可欠です、とのあなたの言葉が、儀礼的なものでも何でもなく、偉大な改革者のやむにやまれぬ問いかけであったことを、この対談を通して、しかと確認させていただきました。
 ひるがえって、ここ数年の世界の動向は、心ある人々が眉をひそめ、意気を阻喪させてしまいかねない、暗い出来事が相次ぎました。何をもって歴史の進歩とするかは、論議の分かれるところですが、この対談を通して私が何回か申し上げてきた″結合は善″″分断は悪″とのメルクマール(指標)に照らしてみれば、″ベルリンの壁″崩壊以後の「ポスト・ヤルタ」の歳月は、明らかに世界史の退行現象以外のなにものでもないでしょう。
 五、六年前のそのころ、F・フクヤマの『歴史の終わり』が、そのペシミスティック(悲観的)な色調にもかかわらず、あたかも社会主義に対する資本主義の″勝利宣言″であるかのごとく、流行語さながらにもてはやされました。とくに日本においては、ドミノ現象を思わせるような全体主義的社会主義の崩壊を、手放しで歓迎する風潮が強く、そこから一瀉千里に″民主″の流れが加速していくかのような楽観論が、数多くとびかっていました。
 日本に限らず、楽観論の多くは、冷静な分析というよりも、時流におもねた、淡い希望的観測にすぎませんでした。自由主義社会があげた″得点″は、みずから勝ち取ったものではなく、もっぱら″敵失″によって転がり込んできたものであるのが明らかであるにもかかわらず、自分の手柄であるかのごとく錯覚し、足元を見つめずにはしゃいでいたのが実情でしょう。情け容赦のないその後の世界史の進行は、そうした観測を生む薄弱な根拠を、無残なまでに打ち砕いてしまいました。″湾岸戦争″の赫々たる成果を背景に打ち上げられた「新世界秩序」と称するビジョンなども、あっという間に時流に押し流され、流れに浮かぶうたかたのように、あとかたもなく消え去ってしまいました。
 おっしゃるとおり、旧ソ連・東欧の社会主義諸国を襲った″雪崩現象″は、欧米流の自由主義や民主主義の勝利などという表層的なものではありません。そのように近視眼でとらえてはならず、もっともっと深い次元から、また長期的なスパンで判断しなければならない、世界的な大事件でした。″対岸の火事″でも眺めるように、やれ勝利だ敗北だと早とちりしたり、白と黒とを区分けするような、単純なだけに俗耳に入りやすい″善悪三分論″で割り切ってしまえるような性質の出来事ではなかったのであります。
 そうする前に、こうした大事件がなぜ起こったのか、世界史的にどのような意味をもっているのか、対立する陣営を襲った″雪崩現象″から己が陣営は無関係でありうるのか等々、冷静かつ慎重に受けとめ、対処すべきでした。そして、M・ゴルバチョフをはじめとする勇気あるリーダーたちが、なぜ、ペレストロイカや新思考など、やむにやまれぬ選択をせざるをえなかったのか、もっと謙虚に耳をかたむけるべきでした。そのうえで、民族性や歴史的経緯など、自他の相違を十分に考慮しながら、アドバイスすべきはし、協力すべきはするという適切なスタンスで臨むべきでした。
 ですから、私は、「新思考」という道徳的アプローチに道を拓くためにイデオロギー的アプローチを放棄したのであって、もう一つのイデオロギー的アプローチの奴隷になるためではない、とのアメリカヘのある種のいらだちにも似たお気持ちは、よく理解できるような気がします。
 よく指摘されるように、アメリカは、物事の善悪を判断するにさいし、イデオロギッシュになりやすい傾向と体質を伝統的にもっております。よい意味でも悪い意味でも「自由」や「民主主義」「人権」などの理念に″熱く″なりがちで、それが、理念の「守り手」であると同時に「世界の警察官」であるという、使命感につながっていったのが、アメリカ革命以来、とくに今世紀に顕著になってきた伝統でしよう。しかし、物事を単純明快に割り切っていくイデオロギッシュで直線的な思考は、複雑な現実に直面したとき、往々にして適応異常を起こしがちです。二十世紀後半の彼の国の外交が、とくに伝統を異にする第三世界などで、錯誤を犯し、嵯鉄を味わってきたゆえんであります。申すまでもなく、ベトナム戦争は、その典型的な失敗例であります。俗に言う″カウボーイ的思考″(インディアン=悪玉、騎兵隊=善玉と単純に三分するイデオロギッシュな思考)も、古典的な西部劇映画が国内ではやらなくなってから久しくなるにもかかわらず、精神世界を色濃く染め上げてきただけに、なかなかめることはむずかしいようです。
 市場経済への移行期に試行錯誤していたソ連を、教科書どおりの鋳型にはめこもうとするイデオロギー的アプローチに比べれば、たとえば″冷戦″終結のころ「一九八九年という年が描き出したのは、レーニン主義の死滅のみにとどまらず、二十世紀における二大対立イデオロギーであるウイルソン的終末論とレーニン的終末論の双方の終焉なのである」とする、一見唐突のようにみえるアメリカの社会学者ウォーラースティン氏の指摘のほうが、よほど的確に事態の本質を見抜いていたように思われます。
 (ちなみに、ウォーラースティン氏は、湾岸戦争直後の戦勝気分に沸き立つなかで、「六カ月後には、凱旋の紙吹雪は、職を失った帰還兵にとつて苦い記憶になるかもしれない」という、まことに適切にして不気味な″予言″をしていた人物です)
 ともあれ、資本主義や自由主義の″優越″に酔いしれていた傲慢さが、歴史の痛烈なしっぺ返しを受けるのに数年を要しなかったという赤裸々な現実ほど、世紀末という時流の淘汰作用の速さと激しさを示しているものも少ないでしょう。閉塞状況から脱け出し新しい時代への熱気が沸騰していた旧社会主義国は、今″西側的なもの・価値″に裏切られ、等し並みに歴史のリアクション、それも行く先に何の展望も開けてこない絶望的なリアクション、袋小路に追い込まれているといっても過言ではない。無理もありません。あふれ返るモノの豊かさとは裏腹に、欧米諸国や日本などの自由主義社会に蔓延し、人々の心を蝕んでいる病理――一言でいえば拝金主義、快楽主義、現世主義ともいうべき風潮は、人間の真実の幸福や生の充実感、万人を魅了してやまない社会の本来の像の実感などとは、ほど遠いものであったにちがいないからであります。自由や民主主義などの自明とされてきた価値の空洞化もいちじるしく、根底から問い直さなければ、それらの復権はとうてい不可能視される危機的状況に置かれているのが、自由主義社会の偽らざる現状であるからであります。
 十九世紀の主役がイギリスであったのに対し、二十世紀の主役はアメリカであったという現実を踏まえて言うならば、まばゆいばかりの光彩を放っていた「アメリカン・ライフ」「アメリカン・マインド」「アメリカン・ドリーム」「アメリカン・デモクラシー」などの言葉が、世紀末の暗雲のもとでは、色褪せた感は否めません。
 私の周囲を少し見回してみただけでも「アメリカン・マインドの終焉」「何がアメリカを衰退させたか」「幻想の超大国――アメリカの世紀の終わりに」「アメリカニズム』の終焉」「アメリカの分裂」「ポスト・アメリカ」等々、この超大国の衰退を指摘する論者が数多くおります。それに象徴されているように、総じて現代社会、現代文明が直面している危機の深さは、自由主義と社会主義との対立や優劣といった次元と、もとより無関係ではないにしても、それよりはるかに深い次元、少なくとも近代文明総体を視野に入れた数百年単位でみなければならない次元に根ざしているようであります。
 世紀末の現代が直面している最大の課題は、端的にいって″体制の危機″ではなく″人間の危機″であり、″人間の尊厳の危機″であると要約できるのではないでしょうか。「新思考」を掲げたゴルバチョフ・チームが、イデオロギー的アプローチを捨て、道徳的アプローチを取ったのも、そうした時代的要請を鋭く感じとっていたからだと推察します。
 とはいっても、私は、現代が直面している地球的問題群を軽視しているわけでは決してありません。
 一方で地球環境の悪化、他方では経済発展の要請、そのまた一方ではエネルギーや資源、食糧の枯渇――こうしたジレンマならぬトリレンマと呼ばれる窮状を打開せずして、二十一世紀の地球文明の構想など、″絵に画いた餅″に終わってしまいます。しかし、というよりもそれゆえにこそ、私は、そうした抜き差しならぬ状況を認識し、取り組んでいく人間の足元を固める必要性が痛感されてならないのです。肝心の足元がふらついていては、いくら一生懸命に努力していても、事態はいっこうによくならない――俗に言う″船頭多くして船山に上る″になりかねないからです。仏法者としての立場もありますが、私の眼が、人間の内面へと、″内なる精神汚染″へ向かわざるをえないゆえんであります。
 それにしても上辺だけは華やかな現代の文明社会を徘徊している人間群像のなんとみすばらしく、矮小化されてしまっていることでしょうか。みずからの欲望のおもむくままに、快適さや利便、効率性を至上命題として追いつづけた結果、エゴイズムのみを思うさま増長させ、拝金主義、快楽主義のワナにはまり、自縄自縛におちいっている人間、そして、有限な自己を超えた″永遠なるもの″″大いなるもの″への畏敬の心を失い、現世主義という視野狭窄症にかかってしまい、悠久なる大宇宙、大自然から切り離された閉ざされた空間のなかで独り呻吟している人間――そうした現代人には、あのホイットマンが「ぼく自身の歌」で「――ウォルト・ホイットマン、一つの宇宙、マンハッタンの子」等々と雄渾に謳いあげたおおらかな人間讃歌など、思いおよぶべくもないことでありましょう。
 ホイットマンが、あまりにも突出したスケールの存在であるとするならば、人間の利己心を肯定したうえでみずからの経済学を構築したアダム・スミスの言う「経済人」(ホモ・エコノミクス)にしても、昨今の「経済人」のイメージとは似て非なるものでした。周知のようにスミスは、利己心や自愛心にもとづく「経済人」の営利追求が予定調和的合理性をもって、公共の福祉の増進をもたらしていくであろうこと、すなわち「富への道」が、神の「見えざる手に導かれて」、結局は「徳への道」につながっていくであろうことを力説してやみません。そして、そうした「経済人」が属性として身につけるべき徳目として「質素」「勤勉」「節約」「慎慮」「周到」「敏活」「一貫性」「堅実」などが挙げられております。
 そこから形成される人格のイメージは、もつぱら利害にさとく損得勘定にのみたけている現代の「経済人」(必ずしも財界人を意味しないことはいうまでもありません)のような限定されたものではなく、格段に倫理的な緊張感と広がりをもっていたといってよい。このことは、スミスが利己心や自愛心を本能の衝動のままに委ねるのではなく、教育による人間性の陶冶と民度の成熟を、きわめて重視していたことからも明らかでしょう。スミスの言う「経済人」とは、ともかく、現今の快楽主義、拝金主義の徒が帯びている貧寒なイメージとは、いちじるしくニュアンスを異にしていたことは間違いありません。
 数年前、冷戦構造の崩壊に世界が沸き返っていたころ、私が、「民意の時代」「民主の流れ」を基本的に歓迎しながらも、それを定着させていくために、ただ一点強い危惧の念をもっていた理由は、民主主義の進展のために欠かすことのできない民衆の内面的な陶冶、鍛えという点で、まったく先が見えていなかったからです。
2  それゆえ、一九九〇年初頭の「SGIの日・記念提言」の中で、私は、プラトンの民主主義批判に論及しながら、民主主義のかかえる永遠の、最大のアポリア(難問)ともいうべき確たる内面世界の構築に目を向けよう、そこの陶冶を怠ると民主主義そのものが累卵の危うきにおちいりかねない、と強く訴えました。一世紀半も前にアメリカン・デモクラシーに関する比類なきルボルタージュを著したA・トクヴィルなどが鋭く警告していたように、社会が固定化していた封建時代と違い、自由や平等を標榜する民主主義の時代にあっては、すべてが流動化し、揺れ動くなかで、最も揺れ動くのがほかならぬ人間の心であるからです。そして、その揺れ動く心を放置しておいたのでは、安定した健全な民主政治など期待できず、エゴイズムのまにまに翻弄され、流転しゆく、衆愚政治へと堕してしまうことは火を見るよりも明らかであるからです。
 アテナイの民主政治に名を借りた衆愚政治によって、敬愛する師ソクラテスを奪われたプラトンは、民主主義というものに対し、強い懐疑をいだいていました。大著『国家』の中で、彼は政治制度のあり方を、(1)王制(2)名誉制(3)寡頭制(4)民主制(5)僣主制の五つに分類していますが、この順番のごとく、民主制のランクは、全体のなかの四番目にすぎません。そして、民主制というものは、それがはらんでいる宿命的な内部矛盾、内的必然性によって、五番目の最悪の全体主義的な僣主制へと移行していってしまうであろうと、あくまで否定的な位置づけしかされていないのであります。このへんがB・ラッセルなどの近代民主主義の擁護者の激しい反発をかっているところですが、私は、プラトンの懸念、懐疑は、二千年後の今日も決して杞憂ではないと信じています。それを裏づけるかのように、その後の「民意の時代」「民主の流れ」の逆行、私の言う世界史の退行現象は、プラトンの分析の正しいことを、鏡にかけて映し出しているかのようです。
 ゴルバチョフさん、重ねて申し上げますが、私は、あなたと違って政治家ではありません。したがって、どうしても人間の内面世界が第一義的な関心事であり、そこへのアプローチを優先せざるをえないのです。その意味からも、グラスノスチのところでの論及と若干重複するもしれませんが、あえてプラトンが民主制が僣主制へと移行していくくだりをどう描出しているかを私なりに要約した一文を紹介させてください。
 「――そこで浮き彫りにされるのは、人間にとって永遠のアポリア(難問)である『自由の背理』というテーマであります。民主制――『自由こそその国のもつ最も美しいものであり、それゆえに本性において自由である人間が住むに値するのはこの国だけである』を標榜する民主制は、その表看板である自由のあくなき追求のあまり『欲望の大群』を生みだし、それによって『青年の魂の城砦は、徐々に占領されていく。そこから、次第にはき違えが生じてくる』『慎みをお人好しと名づけて』『思慮を女々しさと呼んで』『ほどのよさやしまりのある金の使い方を、やぼったいとか自由人らしくないとか理由をつけて』それらの美徳を追放してしまう。逆に『傲慢を育ちの良さと呼び、無秩序を自由と呼び、浪費を気前良さと呼び、無恥を男らしさと呼び』悪徳群に『花冠をかぶらせて、盛大な合唱団とともにはなばなしくつれもどす』」と。
 留意していただきたいのは、ここでプラトンが人間の「美徳」として挙げているものが、先のスミスの「経済人」――利己心や自愛心に突き動かされる「経済人」の属性とされていた徳目と、驚くほど親近しているということです。このことからも、スミスの言う「経済人」という言葉が、強い倫理的響きを有しており、むしろプラトンの言う「悪徳群」の体現者さながらの今様「経済人」とは似て非なるものであることが、判然としてくるでありましょう。
 要約を、もう少しつづけます。
 「その結果、混乱は時を追って手のつけられないものになっていくだろう。そこで事態収拾のため強い指導者が待望される。『針のない雄蜂』の群から押し上げられた『一匹の針のある雄蜂』たる彼は、最初はたしかに民衆の指導者であるかもしれない。しかし、抗しがたい権力の魔性が彼を操り、早晩『僣主への変化』をうながすことも、また必然である。詮ずるところ『過度の自由は、私人においても国家においても、ただ過度の隷属へと変化する以外にない』。かくして、民主制という『最も高度な自由』は、僣主制という『最も野蛮な隷属』へと堕し、独裁者の支配下に入っていく」
 なにやら、身につまされるような話であります。私は『国家』を著したプラトンの第一義的な関心事が、制度論よりも人間論、制度的統治よりも人間の内面統治にあったということを、決して忘れてはならないと思います。人間という永遠なる謎の解明に、類まれな手腕を発揮しているからこそ、その著作は今に新しく、あたかも今日の政治情勢を分析しているかのような迫真力を有しているのであります。
 プラトンが活写するところのソクラテス的対話が、今なお多くの人々を魅了し、ときに惑乱させながらも、日常の茶飯事から始まり、真の幸福とは何か、人間いかに生くべきかといった、人生根本のテーマへと誘ってやまないのであります。
 あなたは、アメリカにおけるマスコミという第四の権力に言及されました。そのマスコミが主導する世論が決定的な役割を演ずるアメリカ社会、アメリカン・デモクラシーの長所と短所を知悉していた人に、今世紀最大のジャーナリストといわれるW・リップマンがいます。彼は名著『世論』の中で、マスコミがつくり上げるさまざまなステレオタイプ(固定観念)によってミス・リードされやすい世論に警鐘を鳴らしながら、それを防ぐために「証拠による吟味」の必要性を力説しております。そして、それを可能ならしむる「ソクラテス流の対話」「ソクラテス的人間」が民主主義の成熟と発展のために急務なることを訴えております。
 以来、七十年以上が経過しましたが、アメリカに限らず、総じてデモクラシーの活力の衰退をみるにつけ、民衆よ、賢明であれ! とのリップマンの警鐘の意義は増しこそすれ、決して減ってなどいません。
 仏典に「一丈のほりを・こへぬもの十丈・二十丈のほりを・こうべきか」とあります。また、一般にも「千里の道も一歩より」といわれるように、眼前の課題を克服しなければ、いかなる努力も対策も空転していってしまうであろう「一丈のほり」「一歩」があるものです。ソクラテス的対話がまさにそれであり、それをさけて通っていては、民主主義の活性化もありえないし、希望の二十一世紀も決して拓けてこないのであります。
 おびただしいソクラテスの対話のなかから一つだけ、その″肉声″に耳をかたむけてみましょう。今日の薄っぺらな、それでいて傲慢な拝金主義者や快楽主義者と対面したら、彼は悠揚迫ることなく、こう応じたにちがいないからです。
 対話論『ゴルギアス』の中に、カリクレスというアテナイの気鋭の政治家が出てきます。若く自信満々の彼は、ソクラテスが「節制してよく己に克ち、自分の内にあるもろもろの快楽や欲望を支配する」ことの大切さを説くのを嘲笑い、「おごりと、放らつと、自由とが、ひとたびそれを裏付ける力を獲得するとき、それこそが人間の徳というものであり、幸福にほかならない」と、訳知り気に言い放ちます。
 ソクラテスは、このような血気に走った大言壮語を柔らかに受け流しながら、例の″産婆術″を駆使しながら、快楽主義の矛盾を突きます。
 「――まず手はじめに聞くが、ひとが芥癬にかかって、かゆくてたまらず、思う存分いくらでも掻くことができるので、掻きつづけながら一生をすごすとしたら、これもまた幸福に生きることだといえるのかね」
 たちまちカリクレスは惑乱され始め、快楽と幸福とは同じなのか違うのか、快く生きることは善く生きることなのかといった問題にいやがおうでも直面せざるを得ず、対話はソクラテスペースで進んでいきます。現代の拝金主義者や快楽主義者は、カリクレスほどにも″率直″に、賢者の声に耳をかたむけることができないでしょう。
 仏法者の立場から、もう一人の″人類の教師″釈尊にまつわるエピソードを紹介してみたいと思います。
 病気で愛児を失った若い母親が、死者を蘇らす薬はないかと、狂ったように走り回る。やがて、釈尊の存在を教えられた彼女は、駆けつけ礼拝していう。
 「お釈迦様、あなたは、わたしの子どもを元どおりにする薬をご存じということですが……」
 「その通り、わたしは知っているよ」
 「教えてください。どうしたらよいのでしょう」
 「一人でも死人の出たことのない人の家から白いケシの実をもらうのだよ」
 彼女は死んだ愛児を腰に抱えて、死人の出たことのない家を探し求める。しかし、どの家もどの家も必ずだれかが死んでいた。なんとか白いケシの実を得ようとしたが得られずついに夜になってしまう。
 「ああ、なんと恐ろしいこと。わたしは今まで、自分の子どもだけが死んだと思っていたのだわ。でもどうでしょう。町中を歩いていると、死者のほうが生きている人よりずっと多い」
 こうして、彼女の子どもに対する執着の心はだんだん薄れていった。そして、釈尊のもとへ帰りつき、人生の″無常″、生あるものは必ず死ぬという″生老病死″の根本の理について、何事かを悟ることを得た、という。いかにも釈尊らしい、慈悲と知恵を二つながら縦横に行使した、慈愛あふれるエピソードであるといえましょう。
 このような″ソクラテス的対話″″釈尊的対話″を復活させ、その輪を幾重にも幾次元にも広げていくことを、私は、生涯の課題とし、また夢ともしてきましたし、今後も、その道をひた走っていくつもりです。どんなに迂遠な道に見えようとも、そこにこそ、時代の閉塞状況に風穴をあけていく王道があり、正道があると信じているからです。それはまた、あなたのおっしゃる「みずから考える市民を創出していく、人間一人一人の内なる新たな文化的革命を世界的規模で展開していく」ための確たる一歩となっていくにちがいありません。
 もとより、そこに徹することが、生やさしいものでないことは、十分承知しているつもりです。名聞名利を追うための人気取りの言論や、物事のつじつま合わせのためのおざなりな対話は、言論や対話の名に値しません。ソフィストの言論活動は、彼らに富と名声をもたらしましたが、ソクラテスの言論活動は、青年を毒するものであるとの誤解や非難、中傷、結句は死の運命に彼を追いやりました。しかし、歴史の淘汰作用は正直で、容赦のないものです。ソフィストたちとソクラテスのどちらの人間洞察が深かったか、言葉が人間の証であるとすれば、どちらの言葉が言論・対話の名に値したか、あえて言挙げする必要もないことでしょう。どんなに非難・中傷を浴びようとも、たとえ死に直面しようとも、己が信念に従って、黙することを肯じないのが、まことの言論の発露であります。私の恩師は「信なき言論は煙の如し」と喝破しました。この不朽の言葉は、あなたとこうして、ゆくりなくも信念の対話をつづけている間、つねに私の胸の中にこだまし、響きつづけてきた″通奏低音″ともいうべきものでありました。
 最後に、国連の役割、めざすべき方向性についてのご提案には大賛成です。それらは、多くの点で、私がかねてから「提言」等で強調してきた点と共通しております。
 私は、国連の未来像を輝かせていくためには、″ソフト・パワー″としての国連の性格をどう強めていくかにかかっていると信じております。その意味では、現在の国連は、安全保障理事会を中心とする″ハード・パワー″にウエイトが置かれすぎています。もちろん、国際紛争を解決するためのやむをえざる手段として、武力を軸とする″ハード・パワー″も欠かせないでしょうが、それに偏向して真の秩序回復がなるかどうかは甚だ疑問であります。「湾岸戦争」後の世界情勢は、それを物語っていますし、まして、ポスニア問題などは″ハード・パワー″の限界をまざまざと見せつけております。
 そうではなく、国連は″人類の議会″にふさわしく、対話や討論を機軸に、システムやルールなどの″ソフト・パワー″を活性化させることを第一義とすべきであります。私どもも、国連のNGO(非政府組織)の一員として、微力ながら、その一端を担っていきたいと念じております。
 追記 本全集の制作が最終段階に入っていた一九九九年九月二十日、ゴルバチョフ総裁を支えてきたライサ夫人が逝去されました。心よりご冥福をお祈り致しますとともに、総裁並びにご遺族に衷心より哀悼の意を表します。これからも総裁と共に、平和のため、人類のために尽力していく所存です。

1
1