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二十一世紀を担う世界宗教の条件 ″人生の再生″と新しきルネサンス

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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1  歴史的惨事を免れることができた日本
 池田 二十一世紀に向かって、ゴルバチョフ総裁と価値ある対話を行うことができ、感謝にたえません。
 ゴルバチョフ 本当にうれしいことです。池田会長は、ヒューマニズムの価値観と理想を高く掲げて運動されています。私は、あなたの発言を、″真の友人″の言葉として受けとめています。
 池田 あたたかいお言葉、恐縮します。
 今、世界がこれだけボーダーレスの時代になっても、貴国と日本は、隣国でありながら遠い国というのが、両国民の率直な印象ではないでしょうか。
 あなたは、一九九一年四月、ソ連の国家元首として、初めて訪日されました。そのとき、「お互いの国民が歩みよるスピードが速まっていけば、新しい形態の協力が可能になり、深い信頼と友情を育んでいけるものです」と、私に語ってくださったことを覚えています。
 長年、両国の繁栄のため、民衆の交流が促進されることを望んできた一人として、まったく同感です。私は、この対談が、そうした相互理解の一助になればと願ってやみません。
 ゴルバチョフ 私の信念も、両国は隣国同士として、協力関係を深めていくべきであるということです。
 池田 よくわかります。ここでは、これまで四回来日された総裁の日本への印象なども交えていただき、平和、文明、歴史など、幅広い次元から語り合えればと思います。宗教を論ずるためにも、文化の違い、民族性の違いを知っておくことは、たいへん重要です。
 ゴルバチョフ そうですね。前に、東洋的発想と西洋的発想が話題になりました。私は、日本の精神性について、あなたにうかがいたいことがあります。
 日本が、さまざまな歴史の断面で、比較的うまく狂信を回避し、論争などにおいても、穏やかな平衡感覚をもって対処できたのはなぜか、という点です。
 日本の歴史を振り返るとき、私たちのような素人には驚くことばかりです。というのも、私たちは、マルクス主義の″イロハ″として、人類の歴史は、絶えず″革命″と″階級闘争″の歴史だったと教えられてきましたから。
 池田 そうですね。有名な『共産党宣言』の冒頭が示しているように、それが、史的唯物論の大前提だったわけです。
 ゴルバチョフ このテーゼ(命題)は、ロシアやフランス、中国の歴史をみるかぎりにおいては、正しいといえると思うのです。
 それが、なぜ日本では、社会的破綻、歴史的惨事を免れることができたのか。
 貴国の唯一の革命は明治維新ですが、それとて上からの革命であって、広範に大衆を巻き込んだものではなかったと考えるのですが。
 池田 あなたがおっしゃるように、日本の社会の変遷には、貴国のようなドラスチックな革命や階級闘争的なものがほとんどなかったことは、事実といってよいでしょう。ただし、狂信ということについては、かつての軍国主義の暴走をあげるまでもなく、決して無縁とはいえません。
 ゴルバチョフ 日本文化においては、たとえば中国と比べてみても、「継承性」「斬新性」「改革思想」が、比較にならないほど大きな役目を果たしてきたと思います。
 一九九三年、創価大学において講演の機会をいただいた折、私は、日本文化の特色についても注目しました。
 貴国は、つねに″新しきもの″に対して開かれていると同時に、決して″古きもの″との断絶をつくらないのです。政治制度では、古くからある天皇制と議会制度とが、上手に折り合っているのもその一例でしょう。
 私たち外国人は、古いものを切り捨てずに前進するという″才能″をもった日本を、とかく理想化しているのかもしれません。もしそうだとしても、私にとっても、またロシアの読者にとっても、あなたの日本史観をうかがうことは、たいへんに興味深いことなのです。
 池田 たしかに、日本文化の根底には、ある意味での「寛容性」や「漸進性」の伝統が、一貫して流れていると思います。
 あなたが指摘された日本文化の特色――「つねに″新しきもの″に対して開かれていると同時に、決して″古きもの″との断絶をつくらない」という点について、以前私は、貴国の「文学新聞」のインタビューに答えて、日本における「伝統と近代化」の問題として論じたことがあります。
 わかりやすい例で言えば、和風と洋風の双方の様式を生かした日本の住居や、最先端のファッションに身を包んで、さっそうと街を行く若い女性が、正月になると伝統的な和服を着こなしている事実などは、日本文化を象徴しています。そうした、古いものと新しいものの融合をとらえて、「日本文化の重層性」と特筆する学者もいます。
 ゴルバチョフ 日本の人々は、科学技術革命の優れた成果を取り入れて、生活を近代化しましたが、それでも生活様式の基本的な根っこの部分は変わっていないとうかがっています。これは、何に起因しているのでしょうか?
 池田 明治維新以来、日本は西欧文化の輸入に努め、とくに科学技術の模倣・改良にかけては、優れた能力を発揮し、近代化を推進してきました。
 それが一応の成功をみた要因として、私は先のインタビューで、
 (1) 近代化が始まる前の江戸時代末期、すでに民間の教育水準がかなりの向上をみていた。
 (2) 島国という地政学的条件もあって、他のアジア諸国を席捲した列強諸国の植民地主義の犠牲となることを免れた。
 (3) 勤勉な国民性。
 (4) とくに第二次世界大戦後は、「平和憲法」のもと、軍備に金を使わず経済復興に専心できた。
 (5) 日本語の優れた造語力が、近代西欧の諸学を学ぶうえで便利であった。
 ――等の諸点をあげました。
 さらには、過酷な自然との対決・克服を基調としてきた西欧文明とは対照的に、四季の彩りに恵まれた比較的温和な自然環境のもとで暮らしてきたことが、協調や融和を重んずる日本人のメンタリテイー(精神性)の形成にあずかってきた。このことも、ゆるやかで弾力性に富んだ近代化を支える素地となってきたと思います。
 ゴルバチョフ 日本人は、自然とのハーモニー(調和)のなかで、社会を形成してきたということですね。
 日本人には自然を愛する心があります。自然の美しさを感じる心がすばらしい。私も自然を愛していますから、その意味では日本人の一人です。(笑い)
 池田 私としては、大らかに自然を謳い上げたロシアの詩心のほうに、より魅かれます。(笑い)
 日本の社会構造の面においては、古来の伝統である天皇制と家父長制が支えあいながら、ある種の家族的な一体感をかもしだすことによって、人々が″いわずもがな″″以心伝心″の絆で結びつけられてきたことがあげられます。
 明治維新が、いわゆる″無血革命″であったことも、それが西欧的な意味での″革命″ではなく、本質的にはむしろ、家族的な共同体への″回帰″であったことによるとみることができます。
 このことは、明治政府が国民を天皇の「赤子」とする天皇制イデオロギーを推進していく過程からも明らかです。その象徴が「我カ臣民克ク忠ニ克ク孝ニ……」に始まる、有名な「教育勅語」です。
 家庭から地域、企業、国家にいたるまで、暗黙の家族的紐帯によって支えられてきた「イエ社会」。これが、よい意味でも悪い意味でも、「ソト」に対しては残虐であっても、「ウチ」と認識された狭い枠のなかでは、あらゆる社会的な破綻や歴史的な惨事を回避するクッションの役目を果たしてきたというのが、私の一つの見方です。
 一方、ロシアの場合、トルストイの小説などには、ツァーリ(皇帝)に対する、貴族たちのひたむきな献身と親愛の情が描かれていますが、どう思われますか?
2  ″第三の開国″と日本人の精神性
 ゴルバチョフ アンドレイ(トルストイの小説『戦争と平和』の主人公の一人)のアレクサンドル一世に対する敬意はその一例ですね。ただこれは、文学上のメタファー(暗喩)でしょう。
 ここで「皇帝」というと、それはむしろ「ロシア国家」を意味したのです。君主に対する忠誠心は、ほとんどの場合、愛国心の異名でした。祖国の独立のために、生命を賭す覚悟を意味していたのです。ただし、これは過去のことです。
 正直いって、この問題について、真剣に考えたことはありませんでした。ロシアの専制君主制は過去の遺物です。
 ロシアの専制君主制は消え、日本の天皇制が、日本民族と切っても切り離せない一部となったのは偶然ではありません。ロシア君主制は、それ自体が流血革命の下地をつくり、ボルシェビキが権力を握る可能性をつくりました。ロシアの専制君主制に関しては、レーニンの考えに同調したいと思います。
 現在のロシアの多くの政治家とは異なり、わが国に君主制が復活する可能性はないと、私は考えています。歴史は後戻りしないものだからです。″同じ川″に二度入ってはいけません。
 池田 なるほど、今ロシアでは、ニヨフイニ世の肖像を掲げ、帝政の復活を叫ぶ勢力もみられるようですが、やはり例外的な現象なのですね。
 ところで、日本文化の特質の一つとしていえること――それは、歴史的にみて、日本からの″発信″はほとんどなく、諸外国からの″受信″が圧倒的に多かったという点です。
 その受信のしかたを通じて、独特の″日本的なるもの″を形成していったといえるでしょう。
 さまざまな学問や技術、制度、風俗などを、外から精力的に取り入れつつも、その底流には、「ロゴス(言語)よりも情緒」「変革よりも適応」「対立よりも融和」「個人よりも全体」という、日本的な心性が生きつづけてきた。そのことが、あなたの指摘された「平衡感覚」や「継承性」「漸進性」につながっているのだと思います。
 ゴルバチョフ もちろんロシアも、日本と同じく、諸外国から多くのものを取り入れてきたわけですが、ロシア人からみて、日本人は極端に走らず、節度を保ってきたようにみえます。
 池田 日本は現在、″第三の開国″を迎えているといわれます。
 明治維新が″第一の開国″、太平洋戦争の敗戦が″第二の開国″、そして、現在の脱冷戦構造への対応が、第三にあたります。
 その間、一貫して変わらない特徴は、日本の対外的な意思決定が、″外圧″によってなされるのがつねであった、ということです。
 日本人には、国家や世界の進歩に主体的にかかわるというよりも、つねに大状況の変化に追従し、うまく適応するなかで自分を形成していこうという、
 生き方のスタイルがあります。よく言えば、過去にこだわらず現実に素早く適応する能力は、ここから培われたものでしょう。
 しかし反面、こうした日本人の性向が、自己の置かれた社会的な状況に対する″一貫性のなさ″″無責任の体系″をつくりあげてしまっている、と厳しく指摘する人もいます。
 ゴルバチョフ 率直に話していただき、感謝します。日本はすばらしい国です。ただもちろん、このままの日本であってよい、ということではありません。日本も今後、さまざまに変化していくことでしよう。
 池田 今年(一九九五年)は、終戦五十年の節目にあたっています。悪夢のごとき第二次大戦中の日本で、個人においては「滅私奉公」、国家においては「大東亜共栄圏」といったスローガンが表現していたもの――それは、個々の人間の尊厳を消し去り、茫漠とした全体性に自己をゆだねて顧みない、″無責任の体系″そのものではなかったか。
 昭和天皇の側近で、太平洋戦争回避のために腐心しつづけたある人物は、「私は、昭和の歴史を顧みて、一口でいえば″あれしか仕様がなかった″と考える」と述懐しています。そこには、個人の主体的な努力など飲みこんでしまう、日本社会の一種の度しがたさのような虚しさが感じられます。
 こうした状況下で、牧口常三郎初代会長は、平和への断固たる使命に殉じたのです。
 個の主体性を放棄することに″美″を見いだす日本的な生き方は、敗戦とともに決定的な破局を迎えました。にもかかわらず、それははっきりと自覚されず、現在もなお、日本人のメンタリテイーの底の部分に、根強く生きつづけているようです。
3  さまざまな「日本人論」の背景
 池田 たしかに日本は、戦後、奇跡的な高度経済成長をなしとげました。しかし、企業の利益のために、″われを忘れ″″己を空しくして″奔走するジャパニーズ・ビジネスマンあればこそ――という指摘が、国内外でなされています。
 今日なお、日本の戦争責任に関するあまりに無責任かつ不見識な発言が、政治家の口をついて出てくるのも、そうした「没我的な」メンタリテイーの表れなのかもしれません。
 同じ敗戦国でありながら、ドイツはみずからの手で戦争犯罪を裁いているのに、日本は一つも行っていません。否、そうした″無責任の体系″のなかでは行えないのでしょう。戦後何回も言論界で繰り返された戦争責任論も、みるべき成果を生んでいるとはいえません。
 そうしたところが、各国から、「日本人には歴史意識が欠落している」「歴史的健忘症である」と批判されるゆえんではないでしょうか。
 ゴルバチョフ それは、私がうんぬんすべき問題ではないでしょう。ただ、私は日本人の英知を信じます。自国の歴史上、最も悲劇的なこの問題に対して、日本人はみずからの力で、解答を見いだすことができると信じます。強制的に、だれかを懺悔させることなどできないのは明らかです。
 ましてや第二次世界大戦後、悲惨な出来事が数多く起こったことを考慮すれば、どの国の人々に罪と責任があるのかという問題は、より幅広い歴史の文脈のなかで検討する必要があります。
 たとえば、独裁的権力をふるったフランシスコ・フランコの死後、スペインの人々によって民族対立が解決された事例は、私たちロシア人にとっては、じつに魅力的なのです。それは、鞭を振るわず、刑に処さず、民主的和解の道を探ることです。
 もちろん、繰り返しますが、日本の場合は特殊です。したがって、ここでは、日本人自身が解答を見つけるべきでしょう。
 池田 近年、アメリカなどでは、多くの「日本人論」が試みられています。そこでは、日本人の特質を高く評価するものから、逆に日本人異質論を唱えてバッシングの材料にするものまで、さまざまに振幅があります。いずれにせよ、不可解な国、とっつきにくい国民というイメージは、なかなか拭えないようです。
 たとえば、人生観の根幹にすえるべき宗教についても、日本人は、元日には神社に参拝したかと思うと、葬式は仏教で行い、結婚式は教会というように、その場その場で、都合のよいものを選んでいます。これなども海外の人々には、非常に理解しにくい現象ではないでしょうか。

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