Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

楽観主義という美質  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
1  人間化ヒューマナイゼーション」こそ来るべき時代の焦点
 ゴルバチョフ 尊敬する池田会長、この章では哲学者であり、宗教指導者であるあなたに、今世紀と来るべき二十一世紀における宗教の役割とは何か、また宗教の地位はどうなるのか、さらに新たな文明創造の座標軸となるべき価値体系とはいかなるものか、私のほうからいくつか質問をさせていただきたいと思います。
 池田 わかりました。それぞれたいへんな難問ですが、二十一世紀を考えるうえで、宗教というテーマはさけて通れないのが世界の現実です。そのために宗教をどうとらえるか、宗教は変動の時代にいかなる貢献をなしうるかが、大きな焦点になると思います。
 ゴルバチョフ 私もまったく同じ気持ちです。
 私が申し上げたいことは、すでに私たちのなかに成熟しつつあり、次の時代の基調となっていくべき理念と精神性について、いかに語るのか、そのための適切な言葉をどのように発見するのかということです。
 池田 重要な視点です。その方向に沿って、この章を進めていきましょう。宗教においても、人類の新しい″創造力″を刺激し、平和への連帯を広げることが、最重要の課題だからです。
 ゴルバチョフ 一九九三年、私は、イタリアのミラノで、「変化する世界における人間」と題し、世界のあらゆる宗教の代表者たちの前でスピーチを行う機会を得ました。
 このような会議が開催されたこと自体、壮挙といってよいでしょう。一つの会場にカトリックの大司教と正教会の大主教が隣同士、肩を並べて座り、ラビ(ユダヤ教の聖職者)の隣にムッラー(イスラム教に深く通じた人)が座っている光景を想像してみてください。
 池田 わずか数年前までソ連共産党書記長であったあなたが、そうした席で講演するとは、だれが予想したでしょうか。
 ゴルバチョフ ええ。これまでのあらゆる時代とあらゆる民族を和解させ、ふたたび人類を一つにしょうとして、″人類史″がそっくりそのままホールに集まったようでした。
 会場は、これまでの人間観、歴史観を根底から改めざるをえないような、非常に重要で奇跡的な出来事を前にしているのではないかという期待につつまれていました。
 このような時代の趨勢と人類の運命に対する責任の自覚は、二十世紀と二十一世紀の狭間に生を享けて、今日の課題に取り組む人々にとって、共通のものとなっています。
 池田 そのとおりです。あらゆる営みは、「人間」や「人類」といった普遍的価値を目的として、そのために協力もし、切磋琢磨していかねばなりません。
 目的と手段を絶対に混同してはならない――。これは、「二十世紀の精神の教訓」の重要な一つでしょう。あなたが新思考外交を推進されたとき、痛切に意識されていたのも、このテーマのはずです。
 その意味では、宗教であれ、政治・経済であれ、イデオロギーであれ、「ヒューマナイゼーション(人間化)」こそ、これからのポイントになってくるでしょう。
2  人類を待ち受けている「試練」は何か
 ゴルバチョフ しかし、世界の実情は、多くの矛盾をはらみ、言葉では言い表しがたいものになっています。
 二十一世紀に対する恐怖と懸念は遠のき、影をひそめたという人もいるでしょう。たしかに、四十年間にわたって、人類を戦争の瀬戸際に立たせてきた二つの超大国による核の対立は、すでになくなりました。
 また、アジアとアフリカの多くの民族の運命をもてあそんだ共産主義的メシアニズム(救世主待望論)も、忘却の彼方へと押しやられた感があります。人間同士を憎しみへと駆りたてたさまざまな欲情、熱狂も収まったかにみえます。
 それにもかかわらず、完全にして″究極の知恵″を得られない人類は、依然として不安と不透明のなかにいるといってよい。
 そこで私は、ぜひあなたに尋ねたいのです。来るべき世紀にとって、最大の危険はどこにひそんでいるのでしょうか? いかなる試練が人類を待ち受けているのでしょうか?
 池田 よくわかりました。
 ゴルバチョフ総裁の問いかけだけに、私はたいへんな重みを感じます。
 ゴルバチョフ わずか五年前(一九九〇年)、あなたと初めてお会いした当時は、このような難題について考えることになるとは、じつは考えてもいませんでした。
 ソ連でも東欧でも、民主的変革が加速していくなかで、冷戦時代は終わり、分断されていたヨーロッパが統一への第一歩を印しました。もうわれわれは″天国の入り口″にたどり着いたのだと、だれもがロマンチックに考えたものでした。今は亡きわが友人で元西ドイツ首相のウィリー・ブラントなどは、全東欧の社会民主化を夢見るほどでした。
 ところが、あの″ビロード革命″の喜びからたった一年足らずで、ユーゴスラビアの破局が始まり、ポスト共産主義の広範な地域で、戦火が燃え広がりました。それにつづいてドイツや西ヨーロッパでは、人種差別と民族主義が噴き出してきました。
 池田 チェチェンの紛争も、痛ましい傷跡を残していますね。
 ゴルバチョフ ええ。チエチェン戦争の惨事は、私たちの眼前の出来事です。ロシア政府は、民主主義への忠誠を口にしながら、自国民であるチェチェン民族に対して、血生臭い戦争をしかけたのです。このような試練がやってこようとは、三、四年前はだれも思いもよらぬことでした。
 そして、最も恐ろしく危険なのは、人々がふたたび暴力に慣れてしまい、この平和な時代に、政治家の冒険主義のために、幾千もの人々が死んでいくことに、何も感じなくなってしまったことです。亡くなった兵士や子どもたちの遺体を納めた鉛の棺は、現代ロシアのシンボルとなりつつあります。
 池田 あまりの悲劇です。ゴルバチョフ総裁の故郷であるカフカス地方や山岳民族の気質については、この対談でも、縷々愛情をこめて論及してくださっているだけに、私も心が痛みます。ロシアの民主主義が深い泥沼に落ち込まないことを願うばかりです。
 ゴルバチョフ 私たちは、来るべき世紀の訪れをすでに感じ始めており、実際、私たちのなかで、未来は鼓動を始めているといえます。
 未来には、いったいどのような出来事が私たちを待ち受けているのでしょうか? 新たな試練を乗り越えていくだけの精神力と体力、そして英知を、はたして人間はもっているのでしょうか?
3  「分断」は悪、「結合」は善
 池田 日前に迫った二十一世紀に、人類を待ちかまえている最大の危機とは何か――やや抽象的な言い方になりますが、それは人々がたえず「分断」の力に翻弄され、ばらばらに孤立したまま、歴史の奔流の中をあてどもなく漂流していることだと、私は思います。世紀末のあまりに荒涼たる、そして喧騒をきわめる現実は、そのことを十分すぎるほどに証拠立てているのではないでしょうか。
 隣人同士や民族間の「分断」、自然・宇宙と人間との「分断」、なによりも本来、幸福のハーモニーを奏でるはずの人間の心の「分断」。まるで中世のペスト(黒死病)のように蔓延し、ところかまわず猛威を振るうこれら「分断」の力を、どのように″善″の力で冥伏させていくかが、変革期の世界の不可避の課題となってくると思います。
 ゴルバチョフ そうですね。それぞれの民族はどれも大切であり、尊敬されるべきであることは当然です。しかし、いたずらに民族主義、分断主義の道をたどることは危険です。
 いまや人類は、互いに緊密に結びつけられ、相互に関連し合っています。このことは広く認識されつつあるのです。
 池田 この″元凶″は、ペストのように目に見えない存在だけに、これほど厄介なものはありません。
 だからこそ、根絶することができたならば、じつに画期的な人類史の夜明けではないでしょうか。
 かつてカール・ヤスパースが人類史の「第一の枢軸時代」と呼んだ紀元前八〇〇〜前二〇〇年の時期に匹敵するような、偉大なるターニングポイント(転換点)を迎えることができるでしょう。
 この対談で、何度か語り合ってきたことですが、再確認し総括する意味からも、もう一度申し上げさせていただきたい。
 「分断」は悪であり、「結合」は善である。この根本認識に立って、「善」の力をもって「悪」の力を顕在化させないことこそ、二十一世紀を希望の世紀としていくための肝要中の肝要であると、私はつねに訴えてきました。
 ゴルバチョフ 私も、そうした問題に人類の英知を結集することが必要だと思います。
 池田 これまで語り合ってきたことで、ご理解いただけたと思いますが、仏教のものの考え方の根本を成しているのは、「縁起」――つまり万物が互いに「縁りて起こる」という関係性にあり、単独で生起する現象はないという世界観です。私が、モスクワ大学やハーバード大学での講演で強調したのもこの点です。
 「結合」の力、働きとは、この「縁起」つまり物事の個別性よりも、関係性を重視する仏教思想の根幹であり、現代的な言い換えといえます。
 「レリジョン(宗教)」は、神と人間との「結合」に由来する言葉です。その意味からも、「結合」「結びつき」は、宗教を宗教たらしめる本質的な属性ともいえます。そのうえで、神のような超越的な存在を置かず、より内在的に万物の相互関係性、相互依存性を説いているところに仏教の特徴があります。
 日本であるとロシアであるとを問わず、現代社会の混迷のよってきたるところは、人間の善性に根ざした「結合」の力が、人間の悪魔性の発露である「分断」の力によって席捲されている点に、大きな原因があると考えるのですが、いかがでしょうか。
 旧ソ連邦のリーダーとして、各共和国の主権を認めつつ、ゆるやかに「結合」させ、連邦全体の存続と発展をはかることに全精力をかけてこられたあなたこそ、この「結合」と「分断」の善悪を、骨身にしみて感じておられると思うのです。
 ゴルバチョフ ロシアで今、起こっていることは説明のつかない逆説的なものが多々あります。ロシアが打ちつづく紛争と間断なき緊張に疲れきってしまったことは、だれの目にも明らかです。
 振り返ってみれば、ロシア人にとって、二十世紀は試練の連続でした。三度の革命、兄弟同士の戦争、強制的な集団化、幾世紀もの間に築かれた農民生活の崩壊、強制的な無神論、教会の破壊。それにつづく幾百万の生命を奪った大祖国戦争。飢餓にさいなまれた戦後の復興期。
 そして、こうしたことはすべて、わずか一世代、二世代のうちに起こったのです。それもすべてが力ずくの分断です。人間を極限に立たせるものでした。このような試練の後、たいていの人は当然、穏やかで正常な生活を渇望し、子どもを産み育てることを望むものです。
 池田 人間であるならば、人間らしい生活を望むのは自然のことであり、当然の権利です。
 ゴルバチョフ そのとおりです。安穏で平和な生活を築くためにこそ、私たちはペレストロイカを始めました。
 しかし、予測しえなかったことが起きてしまいました。というのも、性急で破壊を好む、ほんの一握りの冒険主義者たちが、国家の主導権を奪い、人々を無分別としか言いようのない考えに引っぱっていってしまったのです。このような展開を、ロシア史は、何度経験したことでしょう。
 あなたが言われるところの「分断」という傾向性は、急進主義者、過激的思想をもった人間たちから生まれてくるものです。バランス感覚をもたないインテリから出てくるものです。
 池田 たしかにそういう傾向がありますね。
 ゴルバチョフ たいへん不幸なことに、そのような人間たちが、わが国には限りなく登場してきます。
 かつてのボルシェビキは、今、ネオ・ボルシェビキ、極右翼、″シヨツク療法″の支持者に変貌しました。私は、彼らのことを″カオス(混沌)主義者″と呼んでいますが、彼らは何としても穏やかになることができないのです。興奮状態から静まることができないのです。
 おっしゃるとおり、現在、人々を「結合」し、人々の信念を回復しうる思想、つまり人間が一体感、連帯感を実感できるような思想が欠如している。そのことによって精神の危機は深刻の度を増しています。
 人間の恐怖心を煽ることで体制を維持してきた共産主義的な疑似集団主義は、崩壊し、姿を消しました。そこで明らかになったことは、改革思想そのものは、人々を団結させることができなかったということです。
 私たちが生活に密着した思想を見つけないかぎり、本当の意味の「結合」を望みえないのは明白です。私は、民主主義思想と民族復興思想に望みを託しています。愛国主義と民主主義のスローガンを結合させるときがきていると思います。
 池田 あなたが、ソビエト連邦の維持と民主的で健全な改革・発展を、至上の政治目的としてきた理由もそこにあるわけですね。
 ゴルバチョフ ええ。多くの政治家、思想家はソビエト型集団主義が崩壊したことには、それなりの利点があったと述べています。すなわちロシアにおいて、″個″という感覚を復活させるには、この″崩壊″の道をたどる以外になかったというのです。
 しかし、私はそのような言葉を信じません。なぜなら、″崩壊″はつねに″崩壊″でしかなく、いかなる″個″の感覚をも呼び覚ますものではないからです。
 私はあなたの意見に同感です。私たちは「結合」の力を探し出さなければなりません。その力は、私たち自身の民族の歴史のなかに、偉大なロシアの文化のなかに、見いだすことができると考えます。

1
1