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日蓮大聖人・池田大作

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ソフト・パワーを選択するとき 「世界を震撼させた三日間」の真実

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
1  「不純な手段は目的を不浄にして終わる」
 池田 先に、共産主義と社会民主主義の和解にふれましたが、あなたのこの英断は、今の若い世代の想像を超える、大きな意義があったと思います。
 いわゆる″社会民主主義主要打撃論″などの共産主義流の戦略論は、ある時期、社会主義の理想に共鳴する若者に、たいへん強い説得力というより呪縛力をもっていました。
 そこに、少なからず手段を目的にしてしまう矛盾を感じつつも、表だってそれを口にするのがはばかられるような雰囲気が、わが国にも、学生や知識人を中心にたしかにありました。
 ゴルバチョフ そうですね。以前も申し上げましたが、ペレストロイカによってソ連の社会は、これ以上古びた従来のものに我慢してはならないことを、また別の生き方を選択する権利があることを意識したのです。
 池田 いうなれば、その根底に流れる非人間性こそ、共産主義が、マルセルの言う″紙を相手にする知識人″と同様に、″抵抗のある現実と取り組む庶民″の生活感覚からは、本能的に受け入れられない最大の要因であったことも事実です。戦略主義の非人間性とは、いうまでもなく、目的のための手段の正当化でした。
 そこには、ペレストロイカが高らかに復権を謳い上げたヒューマン・フアクター(人間的要素)など、見る影もありませんでした。
 ゴルバチョフ ええ。あなたが指摘されている点は、かなり前から、私たちも感じていました。
 スターリンは、サデイステイック(加虐的)な手段を選びました。周りの人間を恐れさせるために仲間を殴れ! と。
 スターリンは、労働運動を挫折させました。それは、ヒトラーがドイツで政権を獲得することに手を貸すことにもなったのです。
 私たちは、社会民主主義に対し不条理な態度をとってきたソ連共産党が、罪を犯し、責任を負っていることを理解していました。だからこそ、現状を正そうと立ち上がったわけです。
 池田 マハトマ・ガンジーのボルシェビズム批判が、半世紀以上たった今もなお新鮮なのは、手段における非人間性を徹底して凝視し、その欺瞞性を追及しつづけたからでしよう。
 ガンジーは言っています。「社会主義は水晶のように純粋である。したがって、社会主義達成のためには水晶のような手段が必要となる。不純な手段は目的を不浄にして終わることになる」(K・クリパラーニー編『抵抗するな・屈服するな』古賀勝郎訳、朝日新聞社)と。
 私は、あなたのおっしゃる「社会民主主義との和解」とは、たんなる戦略の変更ではなく、民衆から忌避されてきた古い体質からの決別であると受けとめております。また、そこにこそ、大きな歴史的意味も含まれていると思います。
2  精神世界としてのペレストロイカ
 ゴルバチョフ 精神革命としてのペレストロイカは、「目的のためなら手段を選ばない」というボルシェビキの考え方を放棄することから始めました。
 その考え方に代わって、われわれは、人間主義を宣言しました。人間こそつねに″最終目標″であらねばならない。そういう意味では、私たちはガンジーが示した道を歩んだことになります。
 そして、新思考の理論と実践において、最大のポイントは、安全保障に関する新しいコンセプト(概念)でした。世界的な核惨事製の脅威をなくした、国の安全保障モデルは可能なのだろうか? 安全を維持し、かつ人類が核による自滅の脅威から完全に解放されるためにはどうすればよいのか? 新思考のなかで浮上してきた、こうしたいくつかの問題を解決しなければなりませんでした。
 池田 まず、東西二つのシステム、二つの陣営の共存と協調ということから始めたわけですね。
 ゴルバチョフ そうです。われわれは力の政策に立脚した軍事ドクトリン(原則)に対して、相互の利益と均等な安全のバランスという、それとは反対のコンセプトを掲げました。
 私たちは、国際関係において、形成されつつあった新しい民族国家の役割が高まっている現実を確認しました。これは、利益の多様性と、選択の自由という原則を考えなければならないことを示唆しています。このことも新思考の重要な要素となりました。
 世界の根本的な変化を分析していくなかで、その他の画一的思考も多くの点で克服することができました。そうした思考は、わが国の可能性を閉ざし、国際舞台において、わが国の意図や行動が、往々にして根拠のない疑念を受ける原因となってきたのです。
3  ソ連への「目を開いた」豊かな直接交流
 ゴルバチョフ ここで、海外の国家元首から一般市民にいたるまでの幅広い階層、権威ある学術・文化人や作家、政党、社会団体の幹部や代表、労組や社会民主派のリーダー、宗教家、議員等と私たちとの交流が大きな役割を果たしました。
 このような豊かな直接交流によって、世界はソ連に対してあらためて「目を開いた」のです。また、われわれのほうでも外の世界をよりよく見つめ、理解しました。ともに世界的な問題を話し合い、解決を模索しながら、異なる文化や伝統精神から生まれた思想のなかにも、有益性を見いだすことが可能になりました。
 たとえば、一九八六年のデリー宣言がその一例です。こうした新しい動きも相まって、自由や民主主義といった″価値″の問題をめぐって、相互理解も深まるようになりました。
 これらすべてがソ連の外交政策に躍動力を与え、大きなイニシアチブをとることができました。
 それは、西暦二〇〇〇年までの段階的核兵器廃絶計画であり、「欧州の共通の家」構想、アジア太平洋地域での関係再編、防衛のための十分性および非攻撃ドクトリン、国および地域安全強化の方策としての武力装備レベルの低減、他国駐留ソ連軍と基地の撤退、国際的な経済・環境保全、国際政治への科学の直接関与等々です。
 池田 積極的な平和外交を進めるうえで、とくに念頭においたことは何だったのでしょうか。
 ゴルバチョフ 私たちは国家関係の基礎に対話をおき、軍縮の分野では、より突っこんだ相互査察への用意を念頭におきました。これによって、従来の世界観の枠を大きく超えて、信頼の輪が広がりました。
 そして、私たちは思想的にはかなり違いのある西側の政治家からも、十分に相互理解と共存・協カヘの意志を引き出せることがわかったのです。
 ともに考え、模索していこうとの私たちの真剣かつ率直な呼びかけは、世界で大きな反響を呼びました。グラスノスチ、ペレストロイカは、われわれの外交政策上の構想やイニシアチブに、″実質的な″説得力を与えたのです。
 池田 世界がソ連に対して「目を開いた」とおっしゃいましたが、率直に言って私も、その一人です。
 もとより、「制度」よりも「人間」を重視する仏法者として、私は、いかなる社会体制であろうと、そこに人間がいるかぎり対話は可能であるとの信念に立って、私なりに人間外交、民間外交を積み上げてまいりました。
 しかし、字義どおりに、互いの立場や国家、社会体制の相違を超えて、人間対人間の対話を交わすことは、困難なものです。
 とくに政治家となると、真に開かれた人間的対話の可能性はますます希少になってきます。「国家や制度のなかにいる人間」を感じても、「この人のなかに国家や制度がある」と感じさせる風格と人間的な大きさを感じる場合は、まことに稀です。
 私にとって、あなたはまさにその稀な一人でした。ゆえに、私は一九九〇年の初会見のあと、日本のある新聞からあなたの印象を尋ねられたさい、端的に「話のできる人、話せばわかる人」と答えました。
 トップとトップが、人類の未来に責任をもち、腹を割って話し合うことが、時代の開塞状況を打ち破る不可欠な道である。それが、私の二十年来の夢でした。その夢の実現化へ、大きく踏み出してくださった。その意味からも、世界中の人々を魅了したあの″ゴルビー・スマイル″よ、永遠なれ! と祈らずにはおれません。
 ゴルバチョフ 池田さん、あなたはご自身の平和旅によって、鉄のカーテンのもとでも、平和への対話や民間外交が可能であることを証明しました。
 一九九三年四月、東京でお会いしたとき、一九六〇年代のことを話してくださいましたね。冷戦の真っただ中にあった当時、あなたの創立された政党は、すでに日中国交回復に向けて努力されていたとうかがい、たいへん感銘しました。
 そのようなイニシアチプをとられたことで、非難中傷を受けられましたが、それでもあなたの平和への信念は変わることがなかった。そして、勝利されました。いや、歴史の真実が勝ったといったほうがいいかもしれません。冷戦は人類益に反していたのです。
 池田 恐縮です。私は一民間人です。あなたの世界的規模での歴史への貢献は永久に消えません。あとは、この平和への道を、人類が協力し、いかに広げ、進んでいくかです。

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