Nichiren・Ikeda

Search & Study

日蓮大聖人・池田大作

検索 & 研究 ver.9

世界を変えた″第一歩″の決断 新思考外交とグラスノスチと

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

前後
1  無秩序を自由と呼ぶ「自由の背理」
 池田 引きつづき「人類史の新しき舞台で――二十一世紀のペレストロイカ」について、かのプラトンが提起する問題から始めたいと思います。
 プラトンの大著『国家』は、「洞窟の譬喩」や「哲人王の理想」など、政治学の百科全書のような本です。とりわけ、政体論をあつかっている第八巻は、古今を通じて白眉といってよいでしょう。民主主義社会が、その自由をあつかいあぐね、はき違えてしまった結果、僣主制という圧制におちいってしまう、いわゆる「自由の背理」「自由のパラドックス(逆説)」を生々しく浮かび上がらせているからです。
 プラトンの言葉を借りれば、はき違えとは、「慎みをお人好しと名づけて」「思慮を女々しさと呼んで」「ほどのよさやしまりのある金の使い方を、やぼったいとか自由人らしくないとか理由をつけて」(『国家』、『プラトン2』〈津村寛二訳〉所収、筑摩書房)それらの美徳を追放してしまう。
 逆に「傲慢を育ちの良さと呼び、無秩序を自由と呼び、浪費を気まえの良さと呼び、無恥を男らしさと呼び」、悪徳群に「花冠をかぶらせて、盛大な合唱団とともにはなばなしくつれもどす」(同前)と。
 精読していくと、まるで現代を論じているように身につまされる迫真力ある筆の運びです。自由というものが、いかに危ういものであるか、人間が自由であることが、いかに困難であるか――これが『国家』全編を一本の太い糸のようにつらぬいている大テーマです。
 ゴルバチョフ そうですね。私は反文化を民主主義とする行き方を、なによりも懸念せずにはいられません。
 わが国について申し上げれば、ロシア人は、その民族的性質、政治的伝統のためか、自由について独特の解釈をしているのです。社会の大半の人にとって、自由は「わがままが罷り通ること」と同義になっています。
 たとえば、つい最近までは酔って通りをふらつくのは危険なことでした。泥酔者は警官に捕らえられ、泥酔回復所に送られたからです。そうなると、後で職場に通知されることになっていました。ところが今や、通りでアルコールを飲んでいる人は決して珍しくありません。若者たちが開放気分に浸っている姿もよくみかけられます。そして、このだらしなく乱れたスタイルを、ときに″民主主義″だと思っています。若者向けの新聞は、そのような″民主主義″を擁護し始めました。
 池田 一般市民は、そうした傾向をどのように受けとめているのでしょうか。
 ゴルバチョフ 汝の生き方を汝自身で選択する自由、自分の人生に責任をもち、家族や身近な者の幸福を責任をもって支えていくという意味での自由を、わが国の大衆は好みません。ことに、自立した考え方をもつことは尊敬されてはいません。今もなお、安易な決定と出来合いの知識のほうをより好むのです。
 個々の人間になんらかの罪があるわけではありません。これはわが民族の不幸なのです。わが国はこれまで一度も民主主義を経験したことがありません。市民社会が生まれ育つ時間はありませんでした。
 池田 今、総裁は現状を率直に語ってくださいましたが、こうした自由と民主主義の問題は、貴国だけの問題ではありません。
 ゴルバチョフ 伝統的ロシア専制主義は、唯物論と他人に自分の運命を預けてしまうような生き方を生みました。
 ロシアをこよなく愛した、かのイワン・ブーニンにしてなお、二月革命が失敗した原因を分析するなかで、すべての罪は農奴制にあることを認めざるをえませんでした。
 彼は、「あの男衆たちは、新しい体制のことなどおぼろげにしか知らない、と言っていた。しかし、知らなくてむしろ当然なのでは? 生まれてからこのかた、貧しい家の周りしか見ていないのだから! 他のことには関心をもっていない、自分の国家のことにも。自分の国のことなど知らないし、デシャチーナ程度の自分の小さな土地以外はロシアの大地を感じたこともないのに、どうやってデモクラシーを可能にできるというのか!」と書いているのです。
 その後、行政的社会主義の時代を生きたロシアの人々が、やはり国家の運営に参加する習慣を身につけてこなかったことを、ここであらためて説明する必要はないでしょう。
 池田 私はかつて、EC(欧州共同体)の生みの親であるクーデンホーフ・カレルギー伯と対談(『文明・西と東』サンケイ新聞社)したことがありますが、カレルギー伯も同趣旨のことを言われていたのが、印象に残っています。
 ゴルバチョフ 今まで申し上げた理由で、二月ブルジョア革命の後、″自由″と″わがまま″を差し替えてしまった一九一七年と同様に、今も大衆は「ワーシャは、ぶらついていればいい」的な生活をしているのです。
 今、わが国では、「総禁止制度」から新しい「総わがまま制」への怒濤のような移行が、いかなる後遺症を生んでいるかについて、グローバルで真摯な哲学的研究さえなされていません。じつに残念なことです。現在の民主化移行の教訓は普遍的意義をもっていると、私は考えます。そこには、プラトンでさえ予見しえなかった事象が多く含まれており、十分思索に値するものです。
2  「偽りに生きない」という呼びかけ
 ゴルバチョフ 正直なところ私は、ソルジェニーツィン氏が、最近ノボシビルスクの学術会館で行った講演の中で、グラスノスチが「民族主義の噴出、武器の横行、犯罪の増加」を誘発したかのように批判したことに驚きを禁じえません。
 もっとも、ソルジェニーツィン氏の考えが新聞紙上では、歪曲されてしまったのかもしれません。というのも、グラスノスチこそが、「偽りに生きてはならない」とのソルジェニーツィン氏自身の呼びかけに応えるものだったということを、ロシアの偉大な思想家の彼が理解しないはずがないからです。
 池田 いうまでもなく、ソ連時代の反体制知識人の代表だったソルジェニーツィン氏が、ノーベル文学賞を受賞したのは一九七〇年のことでした。反ソ活動のため逮捕、国外追放になり、一九九四年五月の帰国は、じつに二十年ぶりでしたね。
 ゴルバチョフ グラスノスチを進めたわれわれにとっては、「偽りに生きない」とはすなわち、二十世紀の悲劇の歴史の真実を語ることであり、革命、集団化、スターリン粛清のときに、そしてすべての時代において、実際何が行われたのかを語ることではないでしょうか。
 また「偽りに生きない」とは、われわれの経済について、われわれの問題について語ることです。さらに、「偽りに生きない」とは、図書館の特別保管室を開き、それまで禁書とされていた書籍、亡命した政治家の書いたもの、革命を受け入れなかった思想家、作家の作品を読むことを許可することにほかならないはずです。
 池田 それは、よくわかります。
 ゴルバチョフ ソルジェニーツィン氏がグラスノスチを否定したとは、私には信じられません。なぜなら、グラスノスチは、なによりも先に、ソルジェニーツィン氏の言論の自由を意味したのですから。彼の作品『収容所群島』が初めてロシア語で何百万部も出版され、『赤い車輪』が多くの雑誌に掲載されるようになったのは、言論の自由とグラスノスチ政策が行われたからです。しかも、犯罪の増加が、ここでどんな関係があるというのでしょうか!
 問題をはき違えるべきではありません。グラスノスチ政策と自国民への信頼とは同義のものです。グラスノスチに反対した人々、また反対している人々は、自国の人々の精神的力を信じていないことになります。ですから、「真実のための闘争」の原点ともいうべきソルジェニーツィン氏が、グラスノスチ政策への不信を表明するとは、とても信じがたいのです。
 池田 ソルジェニーツィン氏がどのような発言をしているのか、私は、審らかでないのですが、歴史上、大人物同士の、後からみると考えられないような誤解やすれ違いはよくあるものです。
 たとえば、アインシュタインとベルクソンがそうです。ご存じのように、ベルクソンは時間について精緻な思索をこらした、古今無双といつてもよい哲学者です。その思索に重大な衝撃を与えたのが、アインシュタインの相対性理論でした。
 その物理学上の画期的な新理論と格闘しながら、ベルクソンは思索を深め何度もアインシュタインにエールを送りましたが、アインシュタインの対応はまことにそっけないものでした。両巨人の触発が深まれば、多大な学問上の実りをもたらしたことは確実であったでしょう。
 私は、あなたとソルジェニーツィン氏との間に、そうしたすれ違いがあるように思えてならないのです。ロシアの解放にあずかって力あった巨人同士の反目など、決してみたくありません。
 はなはだ僣越ですが、あなたとソルジェニーツィン氏とが、直接お会いになり、胸襟を開いて話し合われてはと、貴国の友人の一人として願わずにはおれません。
 ゴルバチョフ 池田さん、あなたは私の意図をほとんど察知されているようですね。おっしやるとおり、ソルジェニーツィン氏と誌上で論争し、白黒をつけようとしても意味がないと、私も思います。それよりも、直接会って、互いに考えていることを、不満と異論をすべてぶつけ合うほうがよいのでしょう。
 重要なことは、双方が何をもって国を助けられるか、民主主義を不可逆的な流れにすることができるかです。ソルジェニーツィン氏とは語り合うべきことがあるのです。私も彼も、それぞれが自分のやり方で、自分の可能性を使って、一つの同じことを行ったのですから。私は、本質的には、ソルジェニーツィン氏が始めたことの仕上げをしたのです。
 池田 重ねてお二人の出会いを、期待したいと思います。
 ゴルバチョフ つまるところ、虚偽やデマゴーグの口実となる言論の自由のジレンマも、また創造性と精神性の発達を抑圧する検閲も、決してロシアに特有の問題ではないはずです。
 ロシア史の特殊性のゆえに、わが国ではそれが、固有の性格を帯びていることは否めないかもしれませんが、いかなる時代、いかなる国であれ、言論の自由がまやかしの予言者に利用され、人々が真理の「穀物」と有害な「雑草」とを見分けられないという危険は、つねに存在しているのです。
 ところが、これまでありとあらゆる道徳的、精神的カタストロフィー(破局)、宗教、階級、民族的蒙昧もうまいが繰り返されてきたにもかかわらず、人間の良識、良心、精神性はそれらに耐えぬいてきました。
 まさに人類文明の文明たるゆえんはそこにあるのではないでしょうか。
 であるならば、グラスノスチの実施、すなわち真実を禁止した制度を撤回するにあたって、私たちが自国の民衆の英知を信頼してはならないという理由は、どこにもなかったことになります。
3  民衆が自らの主役、歴史の主役となる
 池田 あなたの人間への信頼、心の大きさに心から敬意を表します。
 ツィプコ氏とお会いしたとき、あなたとレーニンのメンタリテイー(心的傾向)を、対極に位置づけていたのもわかるような気がします。こう言っては失礼かもしれませんが、レーニンの人格に最も欠けていたのが、その心の広さではなかったかと思います。
 わが国の優れた文学者であった芥川龍之介は、同時代を生きたレーニンのメンタリテイーを、
 「誰よりも民衆を愛した君は
 誰よりも民衆を軽蔑した君だ」(『或阿保の一生』、『芥川龍之介全集』4所収、筑摩書房)
 と、鋭くえぐり出していました。ボルシェビズムの一側面を、よく言い当てているのではないでしょうか。
 ゴルバチョフ レーニンに対しては、私はつねづね、彼が生きた時代状況、ロシアの特殊な政治状況、彼の性格を考慮しながら、具体的状況、歴史的背景との関連のなかで理解してきたつもりです。
 かつて池田さんご自身が、ベルジャーエフを引いて、レーニンはロシア的現象の典型であると述べていたように記憶しています。彼のなかでは、多くのものが一つに融合しています。ロシア的ニヒリズムの伝統も、トウカチョフ精神も、そして、伝統的にロシアがいだいているドイツの学問への畏敬、規律正しさへの畏敬もしかりです。
 しかし、それに加えてレーニンは狂信的でした。
 彼は教条主義者であり、ジャコバン主義と革命テロリズムを崇拝していました。この点では、私は彼を理解できません。私の得た精神的経験と世界観は、彼とは似ても似つかないものです。
 池田 重大なご発言です。また、深い信念を感じます。
 ゴルバチョフ すでにあなたにお話ししたように、私たち、現在のロシアの政治家は皆、レーニン的教育を受けて育ち、なんらかの意味でレーニン主義者なのです。少なくとも、その伝統的ロシア極左主義において、最後の真理は自分側にあると主張する点において、または、反対意見への仮借のなさにおいてそうなのです。
 しかしながら、モラルと政治の相関性について、私は、レーニンともまたボルシェビキの伝統とも、決定的かつ明白に異なった考えをもっています。はからずもこれは、私の生命ともいえる「新思考」を際立たせる根本原則にかかわる問題です。なかんずく、私は、民衆に犠牲を強いる政治と思想、つまり、現在生きている人々の生命と幸福を抽象的イデー(理念)の犠牲にするという考え方には、断固として反対です。
 それが、レーニンのように共産主義のためであっても、ガイダルのように市場のためであっても関係ありません。どんな大義名分のためであっても、人々から強制的に幸福を取り上げる点においては、なんらの違いもないからです。
 池田 そのとおりです。全面的に賛成です。レーニンも、はじめは「人間主義」「人道主義」が出発点であったと私は思います。
 しかし、人間の弱さというか、権力の魔性のこわさというか、しだいに手段が目的化してしまった悪循環の連鎖が、ソ連の大きな不幸であったといえます。
 神への従属でも、イデオロギーヘの従属でもない。すべてが人間の幸福のためにある。人類は、″人間″を取り戻さなくてはならない。その第一歩が、人権を守り、大切にしていくことです。
 ゴルバチョフ もう一つ注目していただきたい大事な点があります。それは、焦点となっていたのは、検閲の廃止ではなく、むしろソビエト連邦、そして、後のロシアが民主的に発展できるかどうか、その可能性でした。
 民主主義の本質は、選挙権の完全性や選挙の手続きにはありません。もちろん、その意義は十分に認めたうえで、私はやはり、民衆がいかに自身の利益を認識できるか、歴史の主体者となりうるか、という点にあると考えます。
 グラスノスチの問題は、当初から、民衆の道徳と精神の健全さを問いかける問題だったともいえます。そして、私たちは、ソ連の、つまり広義のロシアの民衆がこの「真実を知る試練」を堂々と乗り越えることを期待し、それを信じたのでした。
 それを疑わなければならない理由が、あったでしょうか? 今、わが国のマスコミが盛んに反グラスノスチに仕立てようとしているソルジェニーツィン氏自身、『イワン・デニーソヴイチの一日』を発表することで、真実への偉大なる覚醒をうながそうとしたのではなかったでしょうか。
 池田 そうでしょう。グラスノスチは、その突破口を開いたわけですからね。民衆への透徹した信頼感がなければ、決してなしえないことです。
 日本の封建時代の治世の方針として「民は之に由らしむべし、之を知らしむべからず」とありました。その根底に流れているのは、民衆に対する不信感です。こうした不信感は、日本の社会の底流にずっとありました。民衆が真実を知らされず、無知なままの従順をよしとしていたのでは、いつになっても主役どころか、脇役、端役に甘んじているしかない。権力者は、安んじて権威の座に安住し、君臨しつづけるでしょう。
 たしかに、現在ロシアが苦闘しているように、知識や情報量が豊かになれば、そのまま成熟した判断力につながるかといえば、そんな単純なものではありません。
 しかし、だからといって、その苦闘、苦しみをグラスノスチに事寄せるなどということは本末転倒であり、おっしゃるとおり見当違いも甚だしい。グラスノステは、民衆がみずからの主役、歴史の主役になるための「十分条件」ではないが、絶対に欠かすことのできない「必要条件」です。

1
1