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ペレストロイカの真実  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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1  「自由」をどう行使するか
 ゴルバチョフ このたびの大震災(一九九五年一月十七日に起こった阪神・淡路大地震)に対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
 私も、書記長在任中、アルメニアの大地震を経験いたしましたので、被災された方々のご苦労が身につまされてなりません。
 一日も早く、復興されますよう、お祈り申し上げます。
 池田 ありがとうございます。
 関西は、私にとって、最も縁の深い土地なのです。総裁から、即座にいただいたメッセージも、皆さんへの励ましとなりました。この対談を愛読してくださっている方々も、多くおられますから。
 ゴルバチョフ 重ねて、くれぐれもよろしくお伝えください。
 池田 わかりました。必ず、お伝えいたします。
 ゴルバチョフ 二月(一九九五年)に、東京に行った折には、お目にかかれず、残念でした。
 池田会長に日本でお会いするのは、いつも四月なので、やはり四月に行かないと駄目なのでしょうか。(笑い)
 池田 いや、失礼いたしました。
 「東西センター」での講演など、ハワイの諸行事を終えたあと、そのまま関西へお見舞いに行ってまいりました。
 日本も寒い季節だったので、奥様の体調はいかがかと案じておりました。
 ゴルバチョフ 気温のことまで、ご心配していただいて、ライサもたいへんに恐縮しておりました。
 いつもながらの会長ご夫妻のお心づかいに、感動しております。
 池田 ご夫妻は、私どもの大切な友人です。
 お互い、世界のいずこにあっても、心を通わせながら、一緒に歴史を残せることに、私は深い意義を感じているのです。
 ゴルバチョフ 私も、まったく同じ思いです。
 こうして、率直な対話ができることが、なによりもうれしい。全力でこの対談に取り組んでいます。
 池田 ありがとうございます。
 この章からは、「人類史の新しき舞台で――二十一世紀のペレストロイカ(改革)」がテーマとなります。この語り合いを進めるにあたって、あらためて確認したいことがあります。
 それは、あなたは、ソ連共産党書記長として、終身、権力の座にとどまることも可能であった。それなのに、なぜ、あえて改革の道を選ばれたのか? という一点です。
 一九九〇年、初めての会見の折、あなたは、ペレストロイカの意義として「自由」を第一にあげられましたね。
 ゴルバチョフ あの対話は、私も忘れられません。
 池田会長に出会ったことは、運命的であったと、心から感謝しております。
 池田 恐縮です。
 あのとき、あなたは、プラトンの「洞窟の比喩」を思わせる譬えを用いて、″今、「自由」をどう行使するかが課題である″と論じられました。
 それは、かねてから、私も指摘してきた、人間の「自律」の問題にほかならず、共鳴の念を禁じえませんでした。
 あなたは、次のように語られましたね。
 「たとえば、長い間、牢のなか、井戸のなかにいた人間が、突然、外に出たなら、太陽に目がくらんでしまうでしょう。それと同じように、せっかくの自由を、現在を見つめ、考えることにではなく、過去を振り返ることにのみ使う。世界の秩序を考えるよりも、国内にばかり目がいってしまう。経済のうえでも、どう自由を使ってよいかわからない。
 社会的にも、それぞれの勢力が、それぞれの主張を始め、その再編成をしなければならない。国政のうえでも、最高会議は、今や(皆が一口いたいことを言い合う)″劇場″と化す始末です」(一九九〇年七月二十八日付「聖教新聞」)と。(笑い)
2  「真実」を伝えるエピノード
 ゴルバチョフ ええ。たしかに、そう申し上げました。
 実際に、そのとおりだったのです。(笑い)
 池田 それにつけても、思い出されるのは、一九九一年末に、アイトマートフ氏から、私宛に届けられた一文です。そこには、「ゴルバチョフに語られた寓話」と題して、ペレストロイカに対する、あなたの信念を伝えるエピソードがつづられていました。
 それは、あなたのソ連大統領辞任の直後、新春のメッセージと一緒に届いたものです。
 そのエピソードとは、数年前(一九八九年)、クレムリンの一室で、当時、ソ連共産党書記長だったあなたとアイトマートフ氏が、二人だけで交わした会話でした。
 氏は、このとき、巧みな「寓話」の形を借りて、民衆に「自由」を与えたペレストロイカの困難な道を語ったとうかがっています。
 ゴルバチョフ ええ、そうでした。よく、覚えています。
 池田 アイトマートフ氏の書簡には、次のようにしたためられていました。
 「私は、あのときの会話をよく思い起こしましたが、本当に近しい友人以外には、話してはおりません。
 なぜなら、ゴルバチョフ氏が権力の頂点にあったとき、そのことを私の口から語るのは、適当ではなかったからです。
 そして今、ゴルバチョフ氏は″元大統領″となり、貴殿と私は、彼が現代史のうえに果たした役割について、思いをいたしているわけであります。
 ゴルバチョフ氏の行動、人格に対して、真の評価を下せるのは未来の世代であって、しかも、新しい精神文明が形づくられていくときであろう、とのご指摘は、まことに含蓄のある言葉であります。私もまったく同感です。
 心温まるお手紙に接し、またその″思索の糸″に導かれた私は、あのときのゴルバチョフ氏との話し合いの模様を、ベンに託してみることにしました。
 貴殿が覚えていてくださったことが、私に書く勇気を与えたのです。このように私が決心できたのも、ひとえに貴殿のおかげなのであります」
 アイトマートフ氏が語ったエピソードは、あえて苦難に身を投じ、「自由の大道」を開いたあなたと、ペレストロイカの「真実」を伝える、貴重な証言となるにちがいありません。
 アイトマートフ氏のご了解をいただき、少々長くなりますが、ここで紹介させていただきます。
3  〈ゴルバチョフに語られた寓話〉
 その日、ゴルバチョフは私(=アイトマートフ氏)を呼び出した。このときの会話を、私はことのほか印象深く記憶している。
 彼が、私を呼んだのは、今思うと、何か具体的な用件があって、たぶん当時、焦眉の問題となっていた中央アジア情勢、とりわけ民族問題か何かについて話し合おうと思ったからだったのだろう。
 しかし、この用件に即した実務的な会話は、この日、ついに交わされないまま終わることになる。
 それどころか、私たちの語らいは私の不用意な発言のせいか、まったく意図せぬ方向に発展してしまった。それというのも……。
 事の本質を理解するためには、あらかじめこの話が、ペレストロイカが、まだ未曾有の民主的改革として脚光を浴び、もてはやされていたころの出来事だったことを、念頭に置いていただきたい。
 ただし水面下では、右からも左からも、民主派からも党官僚からも、見えざる不満と批判の声がしだいにあからさまになり、強まってきていた。それぞれの人間には、それなりの言い分も理由もあった。
 国の経済が、慢性的な低落傾向にあったことも大きく影響していた。
 ゴルバチョフの心の内があまり穏やかでないことを、そのとき、私はすぐに感じ取った。彼はいつものように落ち着いて、にこやかに応対し、彼の瞳は「ゴルバチョフ光線」とでもいうべき、あの輝きを時折放っていた。にもかかわらず、彼の顔には心痛の跡が刻まれていたのであった。
 私たちは、クレムリンの彼の執務室の一部屋で、机をはさんで向かい合って座った。
 話の本題に入る前に、ゴルバチョフが、私の仕事、つまり文学活動はうまくいっているかどうか尋ねてきたのは、いってみればごく自然のことだった。今、私が何を書いているのか、今度出そうと思っているのは長編か、それとも中編物か、出版はもうすぐなのか、といったような質問だった。
 だが、これらの質問をすることで、彼はそうとは知らずに、私の最も痛い部分にふれていた。
 というのも、そのころの私は、文筆家としての本来の仕事をする時間が、まったくもてずに苦しんでいたのだった。私は思わず心中を漏らしてしまった。
 「じつは、何とお答えすればいいものか。日に日にペンを持つのが困難になってきているのです。
 今こそ完全に自由になって、何でも書けそうなものなのに、結果はちっともはかばかしくないのです。文筆活動のための時間が全然とれません。
 今は皆、ペレストロイカのために、何でも引き受けなければといったところですからね。私たち皆が、一つの風、一つの課題にさらされているわけですから」
 「いや、一つどころか、七つの風ですよ」。驚いたように首を振って、彼は笑った。
 「実際、そのとおりですね」と、私は同意して言った。
 「ペレストロイカの嵐が、私たちを翻弄しています。民主主義が、こんなに時間を使ってしまうものだとは思いませんでした」
 「わかります。大変よくわかります」
 考え深げに、また同情するような笑みを浮かベて、ゴルバチョフは、相槌を打ち、語った。
 「ええ、たしかに時間がありません。しかし同時に、別なもの――とても大事な心の発見があります。どんな思考も追いつけないような時代が突然開けたのですから。芸術家も、哲学者も、政治家も、そしてあらゆる人々が言うべきことをもっているのです」
 一般的な話題につづいて、私は当時、とくによく考えをめぐらした問題にふれた。
 それは、社会主義という隠れ蓑の陰で、ソビエト社会に長年潜んでいた問題――つまり、権力がつねにはらんでいる矛盾と、それがもたらす不可避的な破局、といった権力者の宿命についてである。
 ある意味で、この運命的な問題は、全体主義のもとで、受難の改革者の道を踏み出したゴルバチョフ自身の運命とも、つながっているのではないかとの予感を、私はもっていた。
 要するに、ここで話題となったのは、権力者――一人が多数を支配する方途と代償というテーマである。
 しかし、こういったことをストレートに、あからさまに取り上げるのは、適当でない気がした。そこで、私は回り道をすることにした。自分の作品の構想にふれながら、ある東洋の寓話をゴルバチョフに語ったのである。
 これは、今度予定している作品で、展開の要となるものだった。私は、思索しつつ物語り、物語りつつ思索するといった口ぶりで話していった。
 じつは私が心の痛みとともによく思い出す、古い寓話がある。
 車中や会合で、また一人のとき、だれかと一緒のときにもよく思い出すもので、次のような内容である。
 ――あるとき、偉大なが為政者のもとに、一人の予言者が訪れ、きわめて虚心坦懐に語り合った。そのさい、客の予言者は為政者にこう言った。
 「あなたの栄光はあまねく知れわたっており、王座はまったく不動です。ところが、奇妙な噂が私のもとに届きました。
 あなたは、恒久的な民の幸福を願い、万人に通ずる″幸の道″を人々に開こうとしていると。つまり、民に完全な自由と平等を与えようとしていると――」
 そうだと、為政者はうなずきながら、
 「それは長い間、いだきつづけてきた考えで、実際に自分の信念と決意のとおりに行動するつもりだ」と言った。その答えを聞き、聡明な客は短い沈黙の後、こう語りかけた。
 「君主よ、幾多の人々を幸せにする、この偉大な賛嘆すべき行為は、あなたに不滅の栄誉をもたらすでしょう。あなたの御姿は、神のそれにも等しく高められていくでありましょう。私も心からあなたの味方です。
 しかし、私の使命は、真実をすべて包み隠さずに語ることです。あなたは、そこから、ご自分の結論を出さなければなりません。
 君主よ、あなたには二つの道、二つの運命、二つの可能性があります。どちらを選ぶかは、あなたの自由です。
 一つ目の道は、代々の伝統にならって、圧政によって王座を固めることです。王権の継承者として、あなたには強大無比な権力が与えられています。
 この運命は、あなたに今後も同じ道を行くことを命じております。それに従えば、あなたは最後まで権力の座にとどまり、その恩恵のもとに安住することができるでしょう。そして、あなたの後継者もまた同じ道をたどっていくことでしょう」
 ゴルバチョフは終始黙って、この意図の明らかな、しかし、語り口ゆえに決して押しつけがましくはない私の寓話に、じっと耳をかたむけていた。
 つづけて私は、流浪の賢者の、二つ目の予言について語った。
 二つ目の運命。それは受難の厳しい道であると、予言者は権力の極みにいる為政者に告げた。
 「なぜならば、君主よ、あなたが贈った『自由』は、それを受け取った者たちのどす黒い、恩知らずの心となって、あなたに返ってくるからです。そういう成り行きになってしまうものなのです。
 では、どうして、なぜ、そうなるのか? なぜ、そんなばかげた不条理がまかり通るのか? 逆ではないのか? どこに正義や理性はあるのか?
 この問いに答えられる者はいません。これは、天国と地獄の不可思議な秘密なのです。これまでもずっとそうであったし、これからも変わらないのです。
 あなたも同じ運命に襲われるにちがいありません。自由を得た人間は隷属から脱却するや、過去に対する復讐をあなたに向けるでしょう。群衆を前にあなたを非難し、嘲笑の声もかまびすしく、あなたと、あなたの近しい人々を愚弄することでしょう。
 忠実な同志だった多くのものが公然と暴言を吐き、あなたの命令に反抗することでしょう。人生の最後の日まで、あなたをこき下ろし、その名を踏みにじろうとする、周囲の野望から逃れることはできないでしょう。
 偉大な君主よ、どちらの運命を選ぶかは、あなたの自由です」
 為政者は、そのとき、流浪の人に答えた。
 「七日間、私を庭で待っていてくれ。私は熟考しよう。七日後に、もし私がお前を呼ぶことがなければ、行ってしまうがいい。自分の道を行くがいい……」
 このような古い寓話を、私はゴルバチョフに語ったのであった。
 氏は表情を変え、黙していた。私は早くも自分のやったことを後悔し、あいさつをして帰ろうとした。そのとき、氏は苦笑しながら、口を開いた。
 「言わんとすることはわかっています。出版予定の本の話だけではありませんね。
 しかし、七日間も私を待つ必要はありません。七分でも長すぎるくらいです。
 私はもう選択をしてしまったのです。どんな犠牲を払うことになろうとも、私の運命がどんな結末になろうとも、私はひとたび決めた道から外れることはありません。
 ただ民主主義を、ただ自由を、そして、恐ろしい過去やあらゆる独裁からの脱却を――私がめざしているのはただこれだけです。国民が私をどう評価するかは国民の自由です……。
 今いる人々の多くが理解しなくとも、私はこの道を行く覚悟です……」
 ここで、私はその場を辞した。〈以上、アイトマートフ氏の書簡より〉

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