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人類の歩むべき道  

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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1  永遠の課題をめぐって
 池田 ゴルバチョフ総裁とは、深いご縁があって、このように対談できますことを、私はうれしく思っております。
 ゴルバチョフ 私のほうこそ、たいへんいい勉強になります。本当の友人と語り合えることは、じつに意義あることです。
 私は、こうした対談は、初めての経験です。その点、あなたは、トインビー博士をはじめ、数々の対談集を編んでおられるベテラン(笑い)ですので、イニシアチブをよろしくお願いします。
 池田 恐縮です。
 対談のタイトルについて、総裁より、『二十世紀の精神の教訓』とのご提案をいただきましたが、私も大賛成です。
 私は仏法の専門家であり、あなたは政治の分野の専門家です。ただ、お互いに専門にとらわれることなく、幅広く、また後世のために、忌憚なく語り合えればと願っております。
 ゴルバチョフ まったく同感です。
 私も、最近、回想録を書き上げましたが、どうしても堅苦しくなってしまう面があるものですね。このような対談形式のほうが、人生の万般について考察しながら、自分の歴史を、率直に語り残せると思います。
 この対話を、私は未来へ生かしたい。あなたとともに、人類の歩むべき「道」を見つけたいのです。
 池田 いいですね。二人でやりましょう。
 総裁も私も、ともに「人間」を見つめているという点では、同じです。政治であれ、宗教であれ、それが人間にとって、いかなる意味をもっているのか。人間に害をなすのか、それとも益をなすのか、といった問題意識は、共通です。
 また、異なった分野の人間同士のほうが、かえっておもしろいやりとりになるのではないでしょうか。
 ゴルバチョフ ええ、そうなる可能性は、十分考えられます。
 「ペレストロイカ」も「新思考」も、一言でいうならば、制度やイデオロギーのなかに埋没していた「人間」を、どう救い出すかという試みにほかなりません。
 私も、政治の第一線からしりぞいて、当時に比べれば、時間的にある程度、余裕がありますし、全力で取り組みます。
 池田 総裁に満足いただけるよう、万全を尽くします。
 お互い多忙な二人ですので、細かい内容については、書面で確認したり、テープに、質問と答えを吹き込んだりして、連絡を取り合いたいと思います。どうでしょうか。
 ゴルバチョフ それは、いい考えですね。そのほうが思索ができるし、より良い答えができると思います。最も、価値的な方法ですね。
2  「二十一世紀」の青年への贈り物
 池田 「人生」とは、「政治」とは、「運命」とは、「歴史」とは――こうした人間の永遠の課題について、ともに思索をめぐらせ、お互いの経験や信念を語り合っていく。
 このことは、「二十世紀の証言者」である私たちにとって、共通の権利といえるかもしれません。
 そしてなによりも、「二十一世紀」を生きゆく青年に対する、重要な責務ではないでしょうか。
 その意味からも、総裁の創価大学での講演(一九九三年四月)は、感謝にたえません。今もって、学生は、深い感銘をおぼえております。
 今回の対談にも、創大生をはじめ、日本の多くの青年から、大きな期待の声が寄せられております。
 ゴルバチョフ たいへんにありがたいことです。
 私ども夫婦にとっても、創価大学のことは、忘れがたい思い出となっております。
 池田 ライサ夫人の心こもるスピーチも、忘れられません。
 夫人は、卓越した哲学者でもあり、稀に見るすばらしいトップ・レデイーであると、大学の教員も、皆、感嘆しておりました。
 創価女子短大の学生からも、「ライサ夫人に、くれぐれもよろしくお伝えください」とのことでした。
 ゴルバチョフ 本当に、うれしいことです。必ず、伝えます。
 じつは、創価大学に植樹していただいた「桜」のアルバムを、ライサもたいへんに喜び、創大訪問を、懐かしそうに回想していたのです。いつの日か、爛漫と咲く花を見に行くことを楽しみにしております。
 池田 ご夫妻の夫婦桜は、周夫婦桜(中国け周恩来総理・鄧穎超とうえいちょう女史を記念した桜)とともに、キャンパスの一つの象徴となりました。
 先日は、総裁ご夫妻の近しい友人でもある、インドのソニア・ガンジー女史をお迎えし、お嬢さんのプリヤンカさんとお二人で、亡きラジブ・ガンジー元首相を記念して「白梅の木」を植樹していただきました。創大に隣接した、牧口庭園の一角です。
 といいますのも、ラジブ元首相は、「植樹とは、生命を与えることである。愛の表現であり、他の人々や、地球上の生命を思う心の表れである」と語っておられました。その言葉が、私の心に深く残っていましたので…・‥。
 ゴルバチョフ ああ、そうでしたか。
 きっと、ラジブ元首相も、喜んでいることでしょう。ライサは、ソニアさんと、今でも文通をつづけております。
3  先駆者に課せられた「運命」
 池田 ソニアさんからも、よくうかがっております。
 さて、あなたとペレストロイカの登場は、二十世紀の世界にとって、まさに運命的なものでありました。あなたは、あの創価大学での記念講演で、このように述べられました。
 「いうまでもなく、一人の人間の運命ほど計り知れないものはありません。私たちは、自分なりの人生を生きているつもりなのですが、それにもかかわらず、みずからの天命に従っているのではないでしょうか」と。
 私は耳をかたむけつつ、二十世紀後半の世界史に参与してきた、あなたの波瀾万丈の人生の軌跡に思いを馳せておりました。
 東西冷戦に幕を引き、人類協調の時代の到来を告げたあなたの功績が、そのまま二十一世紀の世界へ、重要なモチーフを提起したことは疑いを入れません。
 そして、あなたの切り拓いた「改革」の流れは、押しとどめようのない奔流となり、やがてあなた自身をも飲みこんでいった……。
 人はそこに、先駆者に課せられた「運命」の不思議さ、過酷さを感じずにはいられないでしょう。
 あなたご自身は、政治家としての行動や業績を通して、運命的なものの力を感じられたことはありますか。あったとすれば、どんなときですか。今、来し方を振り返って、どのような感慨をおもちですか。
 ゴルバチョフ そうですね。
 思うに、現在の私の立場には、多くの利点があります。以前には、書物を読み、みずからの歩んできた道について、思索をめぐらせるといった余裕はなかったわけですが、今、やっと、それが可能になりました。
 あたかも、すべての知的エネルギーを、知識の習得と人類の英知との接触のために費やすことができた、あの幸福な学生時代に舞い戻ったかのようです。そういう人生は、落ちついた自信に支えられたものです。
 池田 なるほど、そうでしょうね。
 ゴルバチョフ ですから、今、私のことを、ふたたび権力の座に復帰することだけに、一縷の望みを託して生きていると考える人は、あまりにも愚かです。人がそのように考えるのは、権力のなんたるかを知らないからです。
 しかし、私は権力というものを熟知しております。権力と政治が、正義に矛盾し、不道徳な行為をともなって存在するとき、私にとってそれは受け入れがたいものでしかありません。
 あなたが知ってくださっているように、私は、自己の利益に反しても、最後までこの一点を譲りませんでした。″モラルを欠いた政治との妥協はありえない″という信念のゆえに、私は想像を超える対価を受け取ったともいえるでしょう。
 池田 よく、わかります。重みのある言葉です。
 かつて、″世界史の巨人″ナポレオンは、こう述懐しました。
 「天才とはおのが世紀を照らすために燃えるべく運命づけられた流星である」
 「わたしの息子がわたしに代ることはできない。たといわたし自身でも、わたしに代ることはできないだろう。わたしは運命の子なのだから」(オクターヴ・オブリ編『ナポレオン言行録』大塚幸男訳、岩波文庫)
 「運命の流星」「運命の子」――利己的な野心にとどまらない、自己の人生の″大いなる必然″の表白といえるでしょう。
 かのゲーテが、「人間の運命が岐れるのは暗愚と開明とである」「その点、ナポレオンは偉かった。――つねに開明、つねに透徹、そして、決然としていた」(エッカーマン『ゲーテとの対話』下巻、神保光太郎訳、角川文庫)と評しているように、こうした運命への自覚は、ナポレオンに限らず、世界史にそびえ立つ巨人たちに、共通の境地でありましょう。
 とりわけ、ゲーテの強調してやまない「開明」の二字は、ペレストロイカを勇断された、あなたの頭上を飾る不磨の栄冠でもあると、私は信じております。

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