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まえがき ミハイル・S・ゴルバチョフ・池田 大作

「二十世紀の精神の教訓」ミハイル・S・ゴルバチョフ(池田大作全集第105巻)

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1  読者が開いた本書は、過ぎ行こうとする二十世紀に捧げられる。本対談の共著者である私たちは一九二〇年代から三〇年代にかけての運命的転換期に生まれ、そしてこの世紀のほとんどを生きた。この過ぎ行く世紀が残した教訓は何か、それを考えることが、本書のささやかな目的である。
 私たち二人は異なる文明に生き、異なる活動をしている。一方はロシア人でロシア正教の文明に育ち、他方は日本人で仏教文明に育ち、また、一方は政治を職業にし、他方は宗教者として活動をしている。その異なる私たちがあえて語り合うことにしたのは、決して偶然ではない。
 もし、思想信条を異にする私たち、すなわち、ソ連共産党の最後の書記長と日本最大の宗教運動の指導者が対談のテーブルにつくための共通の精神基盤を見つけることができ、そして二十世紀の最も顕著な出来事を理解するための接点を見いだすことができるとすれば、それは、とりもなおさず、二十世紀の人類が経験したすべての出来事が深い意味をもつことになり、地上に生を享け、現代という時の流れに身を置く、個々の人間の存在をつらぬく共通項があることの証左になろう。
 世界大戦と嫌悪すべき全体主義の重苦しい試練を経て幕を閉じようとしている今世紀、その主な問題は、人間の価値と自由の問題だった。天と自然から与えられたかけがえのない生命を生きる権利、その精神の自由、思想、信条の自由を守る権利の問題であった。
 二十世紀は、ヒューマニズムにとって恐ろしい試練の世紀だったといえる。二十世紀は、プロメテウスの神話と知識のうぬばれと、そして母なる自然に対する征服欲の弱点と毒性を露呈した。
 社会主義ヒューマニズムの理想実現の試みを通して人類はいかなる教訓を得たのかが、本書の命題ともなっている。これは、対談者の一方が社会主義ヒューマニズムに直接関係してきて、社会主義の壮大な実験の締めくくりに立ち会った人間だからというだけでなく、社会主義の実験が地球的規模で行われ、ほとんどすべての大陸の人々の生活と運命に影響したからだ。
 私たちは、社会主義ヒューマニズムの時代を歴史のブラック・ホールとは見なしていない。なぜなら、この全面的完全平等という思想の誘惑を経験することによってのみ、人類は成熟し、賢明になることができたからだ。その意味で、私たちは、社会主義ヒューマニズムのロマンチシズムと使命感に生きた人々に今も敬意をいだきつづけている。
 ただ、社会主義的ユートピアが崩れ去り、社会主義ヒューマニズムがその限界と矛盾を露呈してしまった今こそ、新たなヒューマニズムを志向すべきだというところから、私たちの対談は出発している。人格を尊び、人間の尊厳と価値を擁護し、人間を新たな誘惑と破局に貶めないための真のヒューマニズムを求める時代が到来しているとの確信から出発しているのだ。
 そして、この新たな、二十一世紀のヒューマニズムを模索、構築するうえで、土台とすべきは、今世紀の経験と警鐘であると、私たちは考える。
 私たちは、みずからの思索と探求の旅を、非寛容で過激だった社会主義ヒューマニズムの歴史とその共産主義的平等の夢が終焉した地点から始めることになる。
 革命的過激主義が危険だとすれば、それに代わりうる社会変革、発展の方途は何なのか。イデオロギー的原理主義がみずから名誉を失墜させたとすれば、いかにして信仰と文化の礎石を確保すればよいのか。
 暴力のうえに人間の幸福は築けないとすれば、では何をもって悪に対抗することができるのか。
 画一主義や全面平等志向が破滅をもたらし、すべての生命と世界の彩りを壊してしまうものならば、いかにして一人一人の人間が等しくもつ重みを現実に反映させ、人間の幸福と尊厳を守る、なべて等しき権利を実現させていくべきなのか。
 階級倫理が道徳性と相いれないものならば、それに代わりうるものは何なのか。
 豊かな暮らしと権力をめぐる闘いで頭角をあらわすことのできなかった人々の人間的尊厳はいかにして守るべきか。
 加えて、脱共産主義社会でさらけ出されたありとあらゆる問題、急を要する問題群が残っている。
 新思考、ペレストロイカという冷戦を終結させた政治的・精神的遺産をいかにして守るべきか。
 いかなる世界、政治がこれまでの二極化の世界に取って代われるのか。
 問いかけをするほうが、それに答えるよりたやすいものであるし、おそらく、現実には多くの問いについて回答などまだ存在せず、古い先入観や神話がすぐに新思考や新ヒューマニズムに席を譲るという考えが短絡的であることは、両著者ともわかっているつもりである。
 しかし、今こそ幅広いグローバルな対話を開始し、二十世紀の教訓について語り、人類が脱共産主義時代の試練を乗り越えて進んでいけるような新しい人間主義、価値観について語り合っていくべき「時」ではないだろうか。

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