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日蓮大聖人・池田大作

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核撤廃への道  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 九三年冒頭に、ブッシュ米大統領とエリツィン・ロシア大統領が、画期的な第二次戦略兵器削減条約(STARTⅡ)に調印しました。条約では、地上配備の複数弾頭の大陸間弾道ミサイル(ICBM)を全廃し、戦略核兵器の弾頭数を現在の約三分の一にあたる三千―三千五百発にまで減らす、となっています。大幅削減の意義は認めるにしても、冷戦が終わった現在、これほど多くの戦略核弾頭を残す必要があるのでしょうか。
 私は米ソ対立状況がなくなった今、核実験を一日も早く停止し、核兵器そのものをこの地上からいかに廃絶するかに、真剣に知恵をしぼるべきだと考えています。
 ガルトゥング 概して、兵器を破壊することで軍縮をしようとするのは、地球上のすべての酒ビンを打ち壊すことでアルコール中毒患者を治そうとするようなものではないでしょうか。もし酒類が全部なくなってしまえば、アルコール中毒患者は酒の密造にとりかかるでしょう。兵器中毒症の場合にせよ、アルコール中毒症の場合にせよ、根本的な原因を見つけ出さねばなりません。そして、根本的原因の解明が必要なのは、たぶんアルコール中毒患者に限ったことではないのです。忘れてならないのは、これら諸国の多くが兵器中毒患者であるということです。
 核兵器の場合には、これまでにもふれてきましたように、威信機能がその原因の一つです。核兵器を保有しているということで、その国はあたかも超大国になったかのように感じるのです。たとえば、ロシアとウクライナは、核兵器を保有しているがゆえに、まだすべてを失ったわけではないと感じています。さらに、核兵器はいうまでもなく負債を減らすための、取引の道具として使うこともできます。繰り返しますが、はたして数メガトンは数百万ドルに値するのでしょうか?
 抑止という考え方も、まったく根拠がないわけではありません。よく指摘されることですが、核兵器は、あるいは各国による核兵器使用の抑止に役立ってきたのかもしれません。現在、「欧州連合」、(将来生まれうる)「ロシア連合」、「トルコ連合」による三者対峙の形が姿を見せ始めています。「欧州連合」ではイギリスとフランスが核保有国であり、「ロシア連合」にはロシア、ベラルーシ、ウクライナの三つの核保有国があります。「トルコ連合」では、カザフスタンとパキスタンがおそらく核兵器を保有しています。数世紀にわたるカトリックとプロテスタント、それにギリシャ正教会とカトリックとイスラムの教徒間の紛争は、これら核勢力間に抑止力が働いてほしいという欲求を刺激するかもしれません。あるいは「欧州連合」があまりにも急速に統合を進めていることから、他の国家群に疑心暗鬼が生じ、彼らも同じように統合を急がざるをえなくなるという可能性もあります。将来、世界はまず統合への競争を、そしてその次にはおそらく新たな軍拡競争を、目のあたりにすることでしょう。
 重ねて申しあげますが、この問題への最善のアプローチは、他の多くの問題と同様、創造的な紛争の変質化にあります。実際、これに代わるものはありません。兵器とか軍拡競争とかは、一般にそれ自体が紛争の原因となるよりは、むしろその徴候となることのほうが多いのです。紛争がある時は、大国は大量の兵器を備蓄し、小国はたいてい小量の兵器を備蓄します。紛争がない時は、武器の有無はあまり重要ではありません。したがって、紛争は創造的に処理しなければならないことは明白です。
 これを実現する方策としては、全欧州的な協力が一つのはっきりとした可能性を与えてくれます。「全欧安保協力会議」(CSCE)は、すでに政治的・軍事的協力に有用であることが証明されましたし、一九七五年のヘルシンキ協定最終法案(「ヘルシンキ宣言」)が締結されたさいの一つの主要な条件となって、冷戦の終結に貢献しました。プロテスタント、カトリック、ギリシャ正教会、そしてイスラムの各信徒からなる全五十三構成国間の協力は、きわめて平和創出的なものとなることでしょう。
 これまで高い評判を得てきた由緒ある機関・ストラスブールの「欧州会議」も、文化・人権協力、青年交流、姉妹都市提携等々の主要な斡旋機関として役立つことでしょう。また、ジュネーブの国連「欧州経済委員会」のもとにつくられた全欧州的な枠組みは、経済協力や環境保全への協力に寄与するものとなるでしょう。こうした重要な機関としてはまた、パリの「経済協力開発機構」(OECD)もあります。また、おそらく将来は「欧州経済領域」(EES)の広がりが「欧州連合」(EU)と「欧州自由貿易連合」(EFTA)を結びつけ、さらに大西洋から太平洋にいたる連結の環をつくり上げることになるでしょう。しかし、これらの信頼でき、活用できる諸機関があるにもかかわらず、現在ヨーロッパをがっちりと握っている超国家主義――西部のプロテスタントとカトリック、北東部のギリシャ正教会、そして南東部のイスラム――からすると、「欧州連合」「ロシア連合」「トルコ連合」という三つの線にそって各国間の調整がなされる可能性のほうが大きいでしょう。私の見るところでは、もしそういうことになれば、旧ユーゴスラビアにおける戦争勃発によって劇的な形で明瞭になった「断層線」がよりいっそう活性化してしまい、悲惨な結果を招くことでしょう。
 池田 博士のご見解に同感です。核兵器をなくすには、兵器を持とうとする人間の内面にまで立ち入って考えねばならないというのが、私の主張ですから。
 そこで抑止の論理ですが、かつての冷戦時代のようなアメリカとソ連の核兵器を表にした厳しい対立状況はなくなったわけですから、核保有を正当化する論理がなくなっています。まして何千発もの核兵器を保有する理由はなくなっています。たとえ強力な兵器産業の要請があったとしてもです。
 問題は、博士がご指摘のように核勢力間の抑止の論理ですが、核拡散の根本的防止、世界全体の核軍縮を進める以外ないと思います。この問題は、たとえば南アフリカ共和国などが核拡散防止条約を進んで受け入れたことで、西側先進国が経済援助を増やしたように、核拡散の防止と経済援助をリンクさせるのも一つの方法かもしれません。
 軍事兵器削減への最善の方法は、紛争の削減にあるとの博士のご意見にまったく同感です。これはまた同時に、そうした紛争の原因になってきたのが武器輸出であるという点にも目を向けねばなりません。紛争当事者同士が、その武器を使って血を流しあっています。ここで武器輸出に走ってきた先進国の責任が厳しく弾劾されねばなりません。
 こうした紛争をなくしていくには地域的に安全保障の枠組みをどう作り上げていくか、それをグローバルな規模で構想していかねばなりません。「全欧安保協力会議」に代表されるような欧州の枠組みを参考にしながら、今後、世界の各地域の状況にあわせ安全保障の枠組みを考えていかねばなりません。息の長い取り組みになりますが、私は悲観的ではありません。「欧州連合」の例に見られるように、人類の知恵に期待したいものです。
 ガルトゥング たしかに「欧州連合」は、フランスとドイツのようなかつての敵国同士でも互いに協力できるようになるということの、ほとんど古典的な範例になっています。しかし、この両国が一緒になって何ができるかも問題となるでしょう。たとえその責任の大半がドイツにあったにしても、「欧州連合」がクロアチアとボスニア・ヘルツェゴビナを時期尚早に承認したのは、大きな失敗でした。しかもそれは、当時のデクエヤル国連事務総長が承認しないようにと、はっきりと警告し勧告したにもかかわらず、承認されてしまったのです。このことからもわかるように、また私たちがみな知りすぎるほどよく知っているように、やはり人間の知恵には限界があるのです。

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