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国連と日本の国際貢献策  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 博士もよくご存じのように、湾岸戦争以来、日本国内でも国際貢献をめぐってさまざまな議論がなされております。
 私は、一九九二年冒頭の提言の中で、要は国連の平和維持活動(PKO)への参加という狭い範囲に限定するのではなく、地球全体の総合的な平和秩序の構築に、日本がいかに貢献していくかを考えることが重要だと主張しました。
 とくに当面の目標として、急速な経済発展をとげたために、同時に世界最大の環境汚染地帯となりつつあるアジアの環境保全のために、日本の最新技術と関連資金の提供を考えるべきだと提案しました。博士は環境問題解決の決め手は、資金ではなく最新技術をどう生かしていくかにあると述べておられます。日本の環境保全技術は世界の最高水準にあって、省エネ技術も進んでおり、各国からの期待も大きいものがあります。
 途上国の「開発の権利」も尊重しながら、あわせて先進国の経済発展も可能にしうる地球の新たな共生システムを創造するために、日本は貢献すべきだと思います。
 何度も日本を訪問され、日本の事情にくわしい博士に、日本の国際貢献の在り方についてアドバイスをお願いしたいと思います。
 ガルトゥング まず初めに小さな事柄から申し上げますが、日本人はコミュニケーションをもっと円滑にするために、少しスタイルを変えたほうがよいかもしれません。日本は、大仰な表現や言葉に頼ることなく、黙々と行動をして目標を達成してしまうことがよくあります。それはそれで、とてもよいことといえましょう。たとえば、日本は、数年前に、国連の財政立て直しのための「賢人会議」の経費を負担しました。ところが、このように日本によってなされるすばらしい行為を知る人はとても少ないのです。
 しかし、時にはもっと上手に外交活動を行えば、日本の国際的な評判を高めることになる場合があります。日本の外交官・川崎一郎氏は、その著『ジャパン・アンマスクト(仮面を剥がれた日本)』(邦題仮訳)の中で、国際組織に参加している日本人はスマイル(微笑み)、スリープ(眠り)、サイレンス(沈黙)の「三S」方式で活動すると述べています。微笑み(スマイル)は親愛の情を生みだすかもしれません。しかし、眠り(スリープ)のほうは――日本人が通勤電車の中で上手にやっているような居眠りは――会議の席では効果的ではなく、むしろ逆効果です。そうした姿を見れば、会議に興味がないのだろうとだれもが思うことでしょう。そして、実際にはつねに沈黙(サイレント)しているわけではないのですが、完璧な英語を使いこなす日本人でさえ、やはり国際会議で熱弁をふるうという人はめったにいません。たとえ発言したとしても、それは多くの場合、たしかに真剣ではあってもいくぶん退屈でつまらない内容なのです。
 それはさておき、私は、環境保護を最優先するというあなたのお考えは、すばらしいと思います。しかし、総じては第三世界において、なかんずく東南アジアにおいて、恐るべき量の海洋資源や森林や熱帯雨林をすでに消耗してしまった日本は、それをどのようにしてやっていけばよいのでしょう。一つの消極的な措置は、そうした資源の消費を切り詰めることです。もう一つの、より積極的な選択は、その土地の資源はその土地で使うという現地方式に戻るよう奨励することです。この方式によれば、たとえどのような環境破壊が生じたとしても、その地方の住民が直接かかわることになるだけでなく、汚染や涸渇を防ぐために諸条件を左右することもできるわけです。これは、一種の“予防法”にはなるでしょう。さらにもう一つの可能性は“治療法”であり、これは先進技術を外から導入して、すでに生じた環境破壊の跡片付けをするというものです。
 しかし私は、このアプローチには懐疑的であることを認めざるをえません。たとえば、日本人が先進的な装置を持ち込んで、油の流出や土壌の汚染を浄化するといった場合を想定してみましょう。この浄化装置は、A地点からB地点への輸送も含めて、どれくらいの汚染を生じさせることでしょう。浄化の過程で取り除かれた汚染物質は、うまく処理することができるでしょうか。もしできるとしたら、それは環境にどんな代償を強いてのことでしょうか。
 この種の包括的な浄化プロジェクトの評価方式で、私を心から納得させたものはいまだかつて一つもありません。そのうえ、こうした活動に頼ることは、また別の形で日本に依存することになりかねないのです。
 日本がなしうる何にもまして最重要の貢献とは、その富を用いて国際的な市民社会を支援することです。それには、民間組織を奨励し、文化と文化的理解を促進し助成するとともに、日本国憲法第九条の積極的な解釈にもとづく、新たな防衛の概念を普及することです。
 何よりも日本は、アメリカとの関係において現在の隷属的立場を脱却し、もって対決的でない真の自主性の模範となるべきです。そうすれば日本は、中立国スイスと肩を並べるばかりか、はるかに凌駕すらする世界第一級の調停国たりうるでしょう。紛争が起こった時、日本は――たとえアメリカがそれを不快と感じるとしても――すべての当事者による交渉の“開催地”となるべきです。アメリカと日本のどちらが頂点に立つことになろうと、日本は世界の覇権(ヘゲモニー)の論理ではなく、平和の論理に従って行動すべきです。
 今こそ日本は独立し、成長する時です。冷戦の脅威――もしもかつて実際にそのようなものが存在したのだとして――が去って久しい今、あの安全保障条約(日本語で「安保」Ampoと呼ばれる)体制に依然として縛られつづけることは、たんに緊張の増大を招くだけです。それは日本を、あらゆる国々の求めに寛大に応じうる第三者、公平な調停者ではなく、むしろ大きな紛争の当事者にしてしまうでしょう。今や日本がこの安全保障条約を徐々に撤廃し、多数国参加の環境の中で平和的な方途による平和の達成に努力すべき時がきているのではないでしょうか。そして、こうした歩みのなかで国連を最も重視すべきであることは論をまちません。
2  池田 日本と日本人に対するあたたかい激励に感謝します。最近はたいへんな数の日本人が海外旅行に出かけますし、国際化、国際貢献なる言葉が飛び交っています。しかし、実際はどれだけ日本人が世界で通用するかというと、疑問です。豊かなことはむろん悪いことではありませんが、成金はよくありません。結局、どれだけ世界で信頼される日本人になれるかです。日本の国際化は底が浅いと言わざるをえません。歴史的に「排外」と「拝外」の間を揺れ動いてきたと言われる日本人が、本当の意味で島国根性から脱却すべき時を迎えています。
 「日本は第一級の調停国たりうる」という博士のお言葉、身に染みてわかります。日本はあらゆる面で成熟していかねばなりませんし、外交力も磨いていかねばなりません。ある人が言っていましたが、日本人は顔がよくないというのです。別にこれは顔の美醜を言っているのではなく、顔の表情が豊かでないというのです。内面からにじみ出てくる品性のようなものが少ないと。結局これからは人格の時代だと思います。
 ですから、国も人間も、日本の場合はもっともっと大人になる必要があります。傲慢はいけませんし、あくまで謙虚にいくべきです。そのうえで、どう世界に貢献していくかでしょう。文化と文化的理解を助成すること、憲法九条の精神を生かすことなど、まことに重要なアドバイスをいただきました。
 ガルトゥング 数年前に、私は、東京が世界の平和首都(中心地)となり、熟達した紛争折衝者を紛争当事国に派遣するようにしたらどうかと、東京都に提案しました。私は、もし紛争が起こってしまったら、それを創造的な方法で縮小するに越したことはないと信じています。しかし、ひとたび紛争が勃発してしまって、それが暴力の形で現れ、癒しがたい感情的な傷を負わせてしまった後にとられる、多少なりとも治癒的な処置に比べるなら、予防的な療法のほうがはるかに優れているというのが私の固い信念です。
 ついでながら、創価大学にはすでに非暴力的な仏教の伝統が浸透しているのですから、こうした人材を輩出することで大きく貢献することができるでしょう。日本には他にも頼りになる大学があり、そのほんのいくつかを挙げてみても、国際キリスト教大学、中央大学、明治学院大学などがあります。あるいは紛争調停者を訓練する「協会」を設立してもよいのではないでしょうか。なすべきことは数多くあります。そして日本は、それを遂行するために必要な資源を、それも経済的資源だけでなく、もっとずっと重要な知的・精神的資源をもっているのです。

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