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国連への市民参加システム  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 国連はいうまでもなく主権国家の連合組織ですが、主権国家連合であるがゆえの限界が存在することも否定できません。どうしても国益中心主義におちいり、人類的立場に立った意思決定ができずにいます。
 こうした現行の国連の限界を突き破るには、総じて“国家の顔”よりも“人間の顔”を、機構面や運営面で際立たせていかなければなりません。この場合“人間の顔”とは、より具体的にいうと“民衆の顔”です。
 国連憲章の前文に「われら連合国の人民は」と「われらの各自の政府は」という二つの主語が使われているように、国連はスタート時点から“政府”と“人民”という二つの側面をもっていました。しかし、現実には民衆の出番はきわめて少なく、政府間機構に終始してきたと言わざるをえません。
 私が国連に“民衆の顔”を強めて欲しいと主張するのは、今日、民間レベルの力、たとえばNGO(非政府機関)の役割がきわめて重要になっているからです。とりわけ、環境問題などの地球的問題群の解決には国益の立場でなく人類益の立場、すなわち“人類の顔”が必要不可欠になっているといえましょう。
 その点で、博士が現在の政府代表が集う国連総会とは別の総会、いわば「国連人民総会」(UNPA)が国連機構に必要だと説かれたことに賛成です。当然、政府がつねに悪だというわけではなく、政府と民衆が協力してこそよりよい世界が築けるとの博士のご意見に、私も同感です。
 そこで「民意」の時代にふさわしい、国連における市民参加システム導入への具体的プロセス、そして「国連人民総会」の中身について考えてみたいと思います。
 ガルトゥング これまでにもよく指摘されてきたことですが、近代社会は、三つの構成部分でできています。一つは、時には経済計画もつくる国家、第二に、市場を管理する企業、第三には、この二者の中間でどっちつかずになっている「市民社会」です。民主主義国では、「市民社会」は、選挙によって政党政治や議会政治に――主に後者にですが――影響をおよぼすことで、国家に対していくぶんかの制御力を行使しています。しかし、一般大衆が企業におよぼす唯一の影響は、企業の製品をあまり買わないようにするという、消極的なものです。概して彼らは、新製品の流れを方向づけるうえで、積極的な役割を演じてはいないのです。
 国際社会では、事態はさらに悪くなります。国家は、国連やその他の機能別・地域別のさまざまな組織に組み込まれています。国際的な市民社会が何千もの国連の民間機関として花咲いていますが、これらを各国政府は恩着せがましく“非政府機関”(NGO)と呼んでいます。この呼び方は、あたかも女性を“非男性”と呼び、政府を“非民衆組織”と呼ぶようなものです。
 しかし問題は、国連はいかなる世界市民の団体に対しても責任を負っていないがゆえに、事実、そのような“非民衆組織”であるということです。各加盟国の代表は、自国の政府だけに責任を負っています。彼らの責任は、自国の政府を超えるものではなく、実際、外交政策上の活動に限定されています。換言すれば、責任があまりに軽微で、あまりに間接的で、あまりに断片的なのです。
 このゆえにこそ、私は、多くの機会を捉えては他の多くの人々とともに、「国連総会」(UNGA)と並行して活動する第二院として「国連人民総会」(UNPA)を創設するよう提唱してきたのです。ここでは話をより具体的にするために、この第二院の設立に活用できるいくつかの具体的なモデルのうち、三つを挙げたいと思います。
 第一に、「国連システム」のいずれかの部門の諮問的立場にある既存の諸機構に要請して、次の会期に備えて国連のアジェンダ(議題)を評議してもらうことが考えられます。彼らは、夏季期間中には、総会の会議場を使用することもできるでしょう。
 第二に、「国連人民総会」(UNPA)のメンバー選定のためには、国際的な民間組織への系統立った調査を行うことが考えられます。選択の基準としては、当該組織が、役員を民主的に選出しているかどうか、世界の主要な地域のすべてで機能しているかどうか、国連の根本的課題に対して基本的な関心を示しているかどうか、そして最低限の、すでに証明ずみの、組織的安定を保持しているかどうか、等の考慮が含まれるでしょう。諸国のなかにはこうした諸条件を満たしていない国々もあるかもしれませんが、そうした場合、それらの国々が民間組織を手本として見習うのもよいでしょう。「国際消費者機構」「赤十字社」「赤新月」のように巨大な組織から、平和・開発・環境の分野の小さいながらも重要な組織にいたるまで、それぞれの組織が一票ずつを持つべきです。人類社会は、寸分の隙もなく武装した民族国家の眼を通して見るよりも、これらの平和的な組織の眼を通して見たほうが、よりはっきりと見えるものです。
 第三に、「国連人民総会」のメンバーは、今や百九十近くになった国連加盟国から、直接に選出するのがよいでしょう。加盟国の数は絶えず増えつづけています。代議制度は直接制にすべきであり、感動的な全インド選挙や「欧州連合」の選挙を基準とすべきでしょう。地球上に五十五億以上の人口がいる現在、住民百万人ごとに一名の代表を任命し、全加盟国に最小限一名の代表を確保させるということになれば、約五千七百名のメンバーを持つ「国連人民総会」が創り出されることになります。これはたしかに大人数であつかいがたいかもしれませんが、手に負えないということはないでしょう。
 理想を言えば、この第二院は、「国連総会」と並行して開かれ、両院が共通性のある議題をあつかうべきでしょう。両院間に意見の不一致がある場合は、決議を延期するのもよいでしょうし、あるいはアメリカ議会が取っているような両院協議会方式を用いて、論争を解決するのもよいでしょう。そうすることによって、二院が互いに足りない部分を補い合ったり、誤ちを正し合うことができるわけです。二院制度がもたらす利益を考慮して、私は、この「第二の国連総会」の設立を強く薦めたいのです。今ここに概要を述べた三つのモデルのすべてを、上記の順に試みるのもよい考えかもしれません。
2  池田 「国連人民総会」は、たいへんに興味深い構想です。私はこの問題の専門家ではありませんので論評は差し控えますが、この国連改革は故ノーマン・カズンズ教授との対談集でも大きなテーマでした。
 「人民総会」は一つの大きな目標ですが、それにいたる過程としてNGO(非政府機関)の力を生かす道を一歩一歩築いていかねばなりません。現在、国連とNGOとの関係は、国連憲章の定めにより、経済社会理事会だけと協議を行うことができるとされています。最近のNGOの大きな活躍からすれば、この現状に止まることは不自然すぎます。経済社会理事会だけでなく、安保理事会や総会にも協力できるシステムを工夫すべきです。
 と同時に、私は経済社会理事会自体の役割の強化が緊急に要請されていると思います。ガリ事務総長は、『フォーリン・アフェアーズ』誌上で国連強化策を論じ、経済社会理事会が、担当領域の新たな事態の展開に継続的かつタイムリーに対応できるようにするため、諸組織を横断的につなぐ、柔軟性に富むハイ・レベルのメカニズムを導入することを提唱しています。こうした改革が進めば、NGOの力を発揮する場も飛躍的に大きくなると思います。
 この論文の中で、ガリ事務総長はNGOが今後さまざまな方法で国連に貢献していくであろうと期待を表明しています。NGOは、共通の目的に着目し、協調しながら活動を進め、今では千を超える組織が国連内で活動しています。事務総長は、市民の力を強め、国際社会や国際機構のさまざまなレベルにいる彼らの声を真摯に聞いていかなければならないと述べています。今後の事務総長のリーダーシップに期待したいと思います。
 ガルトゥング もちろん「国連人民総会」(UNPA)は簡単に実現するものではなく、その創設のためには一歩一歩の着実な取り組み(アプローチ)が必要とされます。しかし、私たちは全地球的な民主主義を必要としているのであり、「国連人民総会」はその実現にいたる道なのです。すべての国家的民主主義を寄せ集めてみても、地球的民主主義にはなりません。また、資本・企業もこの構想から除外されてはならないのは、繰り返すまでもありません。
 どちらかといえば私は、ほとんどアイデアらしいアイデアが出されることもなく、最後には投票で事が決せられて勝者と敗者が生まれる短期間の討議よりも、新しい発想と合意(コンセンサス)を生みだすような長期的な対話のほうがよいと思っております。しかしこれも、いずれか一方のアプローチが他方を排除するというものではありません。

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