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日蓮大聖人・池田大作

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社会主義、その後  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 ソ連邦が七十余年の歴史を終えて消滅しゆくなかで「ロシア人がフランス革命を終わらせた」という声が聞かれました。それも一理あります。フランス革命(ブルジョア革命)の延長線上にロシア革命(プロレタリア革命)を据え、後者を前者の継承・発展と捉える進歩主義的歴史観は、今でこそ見る影もありませんが、ひところは一世を風靡していたといっても過言ではないからです。たしかに、ソ連邦の消滅は、そうした歴史観そのものの失墜を意味しています。
 しかし、そこから新しい展望が開けてくるかといえば、現状は、まったくのカオスといえましょう。市場原理にしても、自由や民主のリベラリズムにしても、どれだけ世界秩序の構成原理になりうるかは未知数ですし、各地に噴出している民族主義のエネルギーにいたっては、建設どころか破壊と混乱の要因になりうる可能性のほうが大です。二十一世紀を前にして、世紀末の暗夜を、まだまだ模索していかねばならないのでしょうか。
 この点について、いささかジャーナリスティックな面で話題をなげかけたのが、周知のように、一九八九年、当時アメリカ国務省のプランニング・スタッフであったフランシス・フクヤマ氏が「ナショナル・インタレスト」誌に発表した論文「歴史の終わり」です。それは、その後増補され同名の著書として上梓されましたが、その中で彼は、ソ連が社会主義の衣を脱ぎ捨て、西洋流のリベラルな民主主義を選び取ったことは、歴史の根底をなす諸原理や諸制度にはもはや進歩も発展もなくなることを意味するとして、一貫した進歩のプロセスと見なされていた「歴史」が終わった、つまり人間社会のある意味での歴史的進歩が終わったと述べました。私にはこれはかなり偏った歴史観であるように思われます。
 ガルトゥング フクヤマ氏は、名前は日本人でも、考え方は典型的な西洋人ですね。彼は、すべての歴史的過程は結局は「最終段階」(ドイツ人のいうEndzustand)に到達し、そのうちの一つの形態だけが勝利すると信じています。彼はヘーゲル学派の人間なのです。しかし、思い起こすべきは、マルクスの場合もそうでしたが、ヘーゲルの弁証法もきわめて不完全なものだったということです。ヘーゲルによれば、世界像のなかで弁証法的なものはただ一つしかありません。このことは、ヘーゲルとマルクスがともに大事にした世界歴史の四段階説に反映されています。さらにヘーゲルは、弁証法は「最終段階」にいたって突然に終息すると主張しています。
 この考え方はまさに道教の説く、陰陽そのものを含むすべてが陰陽であるという考え方といちじるしい対比をなすものです。この陰陽の連なりは果てしなくつづき、そこには最終段階というものはありません。一は二となり二は一となり、その一はまた二となるといったぐあいです。もし一つの陰陽の断層が埋まって調和が生まれると、そこに別の断層が生じるか、あるいは復活するのです。私にとっては、こちらのほうが、社会の実態を示すきわめて現実的なイメージのように思えます。このような形で進展する弁証法には行き詰まりがありません。私たちの仕事は、非暴力的なやり方でこれをより高いレベルへと向上させるべく、舵を取っていくことです。
 フクヤマ氏の理論は、まさにきわめて西洋的なものです。このため、予想どおり歴史が終わる最終段階では、自由主義的、民主主義的、市場経済的な体制、つまりアメリカのような体制が、まことに都合よく凱歌をあげるというのです。
 フクヤマ氏が師と仰ぐヘーゲルは、この最終的な体制とは、プロシア国家のようなものであろうと考えていました。また興味深いことにヘーゲルは、高い地位の人と低い地位の人、つまり「主人」と「奴隷」(HerrundKnecht)については数多く述べていますが、搾取という現象はついぞ発見しませんでした。この搾取の概念を見つけだして史的唯物論の弁証法に組み入れたのが、マルクスでした。ヘーゲルのいう最終段階では一種の賢人会議が世界を運営することになっていますが、これはフクヤマ氏自身がナンバー2であったアメリカ国務省のプランニング・スタッフと大差ないものといえるでしょう。フクヤマ氏の忘れ去ってもいっこうにさしつかえのない――いや事実上すでに忘れ去られた――論文から現出するのは、アメリカ合衆国をそっくりそのまま拡大したような世界像です。それはまさに、この著者のような背景をもつ人間から当然予想されるものなのです。
 私たちは、フランシス・フクヤマ氏が信奉するヘーゲル的史観よりも、もっと現実に即した歴史観をもたなければなりません。たとえば中世ヨーロッパの封建社会には四つの身分、つまり聖職者、貴族、中産階級、一般労働者がありました。さらにたぶん第五の身分として女性と子ども、それにムーア人、ユダヤ人、ジプシーなどのよそ者がいました。そして、キリスト教世界では必ずそうなのですが、こうした階層のさらに下のほうに人間以外の自然環境、すなわち動物、植物、森林、水、空気、大気圏外空間などがおかれていました。
 長い間、これらの身分は、比喩的に言えばあたかも沸騰するかのごとく、激しく変化しました。まず数世紀にわたる奮闘の末、ようやく貴族が聖職者を脇へ押しのけました。十八世紀には、都市の城壁の内側に住んでいた中産階級が、貴族をたんなる「人間」(hommes)、「市民」(citoyens)の身分にまで引きずり降ろしました。貴族は少人数であったため、数がものをいう民主政治においては優位を占めることができなかったのです。十九世紀には、労働者が、共産主義や社会主義や社会民主主義の思想を武器とし、労働組合等の手段を用いて、よきブルジョアたることをめざして闘争しました。そして今世紀になっても、そうした闘争はつづいています。あらゆる種類の少数者集団や、女性や子どもが自分たちの意見を聞いてもらおうと懸命になっています。したがって、こうしたより広い視野からみれば、一九一七年のロシア革命は、一七八九年のフランス革命の続編であったということができましょう。
 このより現実に即したヨーロッパ史観によれば、五つの身分のなかで(今述べた)四つのプロセスが起こるわけですが、それは歴史のプロセスそのものの終結をもたらすものでは決してありません。かつて社会的に脇の方へ押しのけられた芸術家や聖職者は、傲慢な知的職業人や芸術家となりました。貴族もまた同様に高慢な官僚となり、かつての中産階級は、今日では法人に所属する資本家となっています。先ほど述べた“沸騰”のプロセスがふたたび始まることは必定です。もっとも、それが過去の先例にそのまま従うことは、おそらくないでしょう。
 官僚の一部門である軍部は、一部の知識人の支持を得て、一つの根深い信念にしがみついています。その信念とは「われわれには、若者たちをどこへでも送りだし、ますます性能が高くなっている殺人機械によって、戦闘員たると非戦闘員たるとを問わず相手を殺戮させる権利がある」というものです。政府は政府で「われわれは国民に人権を施してやっているのだから、国が軍事行動を起こした場合には、国民に要求してすべて国家の意志どおりに行動させる権利がある」と信じています。あの湾岸戦争やソマリアにおける軍事行動のために組織され、国連安保理で正式に承認されたような軍隊の提携が国際的規模で行われたとしても、現実はなんら変わるものではありません。殺戮はあくまで殺戮なのです。そのうえ、歴史が終わってしまうことを心配する理由は何一つありません。歴史は動きつづけるものです。一は水平にも垂直にも分かれて二となり、闘争、統合、分裂が繰り返されるのです。変化するものは唯一つ、規模が大きくなることです。世界的規模の経済にあっても、階級そのものはなくならず、むしろ階級が世界的規模になるのです。少なくとも上流階級は世界的規模のものとなり、プロレタリアートですら、またいつの日か世界的規模のものとなるでしょう。
 東欧は、ここまで述べてきたような歴史のプロセスのなかでは、立ち遅れていました。封建制度の拘束力が弱まった後、東欧諸国も、それ以前に西欧がたどったのと同じ道を歩んだのでしたが、そこにはいくぶんか異なる面もありました。その例として、東欧における資本主義は、たとえばエリザベス一世のような君主によってではなく、書記長によって運営されたのであり、この社会的段階は初期の国家資本主義とは呼ばれず“社会主義”と呼ばれたのです。つまり、西欧では国家資本主義が前段階にあったのに対し、東欧ではそれは初期の民間資本による資本主義のあとにやってきて、次の段階の資本主義、すなわち東欧が現在体験しつつある段階への道を拓いたのでした。
 現在、東欧で経験している事態というのは、社会の最上層から情け容赦のない指令が発せられる社会主義から、西欧のいくつかの社会の最上層から同じように情け容赦のない指令がくる資本主義への変遷なのです。民族的紛争が部分的にこの現象に絡んでいますが、それは階級という要素がつねに存続するものだからであり、また人間は挫折の責任を他人に負わせがちなものだからです。
 東欧は今、資本主義の周辺部にうまく入り込もうとしていますが、すでに第三世界がこれまでそう努力し、東アジアの多くの国が首尾よくそれをなしとげたように、たぶんいつの日かそこから脱せざるを得なくなるでしょう。この東欧の脱資本主義の段階がどのような性質のものであるかは、私たちには知る由もありません。コロンブスの時代よりこのかた資本主義が、その周辺部の人間、国家、自然環境にもたらした恐ろしい惨状について今日の私たちがもっている知識を考え合わせるならば、私たちはずっと以前に、新しい段階の達成のために努力を開始していなければならなかったはずです。ところが、資本主義はそれをしませんでした。それどころか、社会主義と負けず劣らずの失敗であったにもかかわらず、才知にたけた資本主義は、みずからのかかえる諸問題をその周辺部へ輸出したのです。これに対して周辺部側は、これまでも、また現在も、あまりに弱体にすぎて、この事態に対処しかねる場合が多かったのです。
2  池田 陰陽説にもとづくマクロ的な立場から歴史を俯瞰してみるのも、それはそれで意味のあることです。しかし、だからといって、「一は二となり、二は一となり、その一はまた二となり……」と歴史のおもむくままに、座して手をこまねいているわけにはいきません。肝心なことは、歴史をよりよき方向へと向けることです。
 周知のように「二が合して一となる」のか、「一が分かれて二となる」のかは、中国の文化大革命という嵐の到来を予感させる、一九六〇年前後の中国思想界を二分する大問題でした。結局、毛沢東の「一が分かれて二となる」の理論が、劉少奇派の揚献珍の理論に勝利して、文化大革命というあの“暴風雨”の中に突入していったわけです。その間、どの程度の犠牲が生じていったのかは、諸説が入り乱れています。なまなましい現代史であるだけに、総括するにはまだまだ早すぎますが、いわゆる“紅衛兵”運動のもたらした功罪を比較した場合、今なお“功”のほうが大きかったという人は少ないでしょう。「一が分かれて二となる」という単純な命題の背後には、このような死屍るいるいたる地獄絵図が横たわっていることを忘れてはなりません。
 たしかに歴史の行き着く先は、私たちにはわかりません。“神”を僣聖する傲慢な精神の徒以外には――。それを忘れ、歴史の弁証法的発展の道すじが合理的にたどれると見誤ったところに、マルクス主義の大きな失敗がありました。しかし、“進歩”の旗を独り占めしてきた社会主義の崩壊をもって、自由主義の勝利即歴史の終わりとする見方が間違いであるからといって、歴史の方向性におおよその見当ぐらいつけておかなければ、時代に棹さそうという意欲もなえてしまうでしょう。それどころか、歴史を学ぶ意味さえなくなってしまいます。
 ガルトゥング たしかにおっしゃるとおりです。しかし、中国の文化大革命には、毛沢東派と劉少奇派の拮抗とは別に、もう一つの要素がありました。中国は過去二千年ないしは三千年もの間、インテリ官僚階層(マンダリン)に牛耳られてきました。一九四九年の毛沢東の革命もこれを変えるどころか、逆に共産主義者の官僚(レッド・マンダリン)を現出させることになったのです。農村の青年たちはこれに反抗したのであり、結局、一九六六年から六九年にかけて、ただ今あなたが述べられたようなひどい結果を生んでしまったわけです。しかし、官僚や知識階層によって支配されるという問題は依然として残っており、中国はいつの日か、その解決法を見いださなければならないでしょう。
 池田 そうです。そこで、この問題についての有意義な知見の一つとして、ドイツの社会学者E・ハイマンの史観に簡単にふれてみましょう。主著『近代の運命』の中でハイマンは、ヨーロッパ主導型の近代文明社会を、きわめて特異な“経済主義体制”として、それ以前のあるいはその他の社会である“統合社会体制”と区別しています。――「“経済主義体制”を推進する原理は、もっぱら“拡張”を自己目的として追求する“無目的にして盲目的に荒れる力学”である。それは、今日の物質的繁栄をもたらしたかもしれないが、人間生活全体のバランスからみれば、経済面のみが異様に肥大化した、偏頗な社会の在り方であって、早晩、新たな装いのもとでの正常な“統合社会体制”へと移行されるべきである」(野尻武敏・足立正樹共訳、新評論)
 「とはいえ、近代の“経済主義体制”がもたらしたメリットも軽視され、無視されるようなことがあってはならない。その象徴が“飢餓と疾病”からの解放である。ゆえに、来るべき“統合社会体制”への移行は、いたずらに近代に背を向けた反時代的なものであってはならず、“経済主義体制”のメリットを十分に踏まえた、弁証法的な方向でなくてはならない」(要旨)――簡単にいえば、ハイマンは、こう主張しています。私はハイマンの近代評価に若干の甘さも感じますが、二十一世紀を人間性開花の「生命の世紀」と位置づけたいという信念のうえから、彼の主張の方向性には賛同します。
 ガルトゥング 私も賛成ですが、一言だけ付け加えさせていただきたいと思います。西洋文明には拡張主義が深く根ざしています。これは、実際には人類の経済主義の発展の歴史よりも古くから存在しており、たとえば、少なくともあの“伝道の命令”「汝ら往きて、もろもろの国人を弟子となし……」と同じくらい古いものです。こうした拡張主義と、成長
 それ自体のための成長を無分別に受け入れていることに、私は戦慄をおぼえます。さらに「飢餓と疾病からの解放」は、経済主義のおかげではなく、むしろ経済主義にもかかわらず、と言えるのではないでしょうか。物事の否定的な面も肯定的な面も、ともに現実なのです。私たちのなすべきことは、この弁証法を万人のために生命がより高められる方向へと導くことです。

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