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日蓮大聖人・池田大作

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日本人の人権感覚  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 「地球サミット」(「環境と開発に関する国連会議」)の準備会議でのことですが、参加した第三世界のNGO(非政府機関)から「われわれにとって環境問題とは、人権問題そのものである」という視点が示されました。
 つまり――「開発」「援助」という名目で先進国から発展途上国へ巨額の金が流れる。それによって途上国は、ますます借金に苦しみ、貧富の差が増大する。その金をもとにした開発プロジェクトも多国籍企業を儲けさせるだけ。環境を破壊され、汚染され、生活そのものを破壊されるのはつねに住民。国によっては、環境保護の活動家たちを、政府が締めつけようとするような動きも見られる。環境被害が、まず降りかかるのは、社会の最も弱い立場の人たちである――というのです。
 さらに、「政府開発援助」(ODA)こそが「環境破壊の元凶」であり、ODAは停止されるべきだという批判もあったようです。
 これは、まさに「第三世代の人権」の問題です。そして何より、名だたる資源の多消費国であり、ODAナンバー1となっている日本の人権思想、日本人の人権感覚そのものが、厳しく問われているわけです。
 日本には、人権を国家権力と戦って勝ち取ったという歴史がありません。国家の基本法に基本的人権の尊重がうたわれたのは、たとえばフランスなどに比べて二百年近く遅れているという事実が、それを物語っています。つまり“内発的”にではなく“外発的”に、人権の保証がなされていったのです。
 私は、昨今の貿易摩擦問題などで、欧米の一部から声高に繰り返される“日本異質論”“日本異文化論”には与しません。それは欧米的な価値観のみを金科玉条とする臭気をおびており、その価値観のもとで犯した過去の過ちへの反省が欠落しております。
 そのうえで、なおかつ私は、日本人の人権思想、人権感覚の遅れを認めないわけにはいきません。第三世界の人々から「(日本から)輝くジェット機が飛来して紺色の背広に身を固めたビジネスマンの大隊を吐き出すようになった。見た目は一般市民でも、その紛れもない厚顔さはかつての『憲兵隊』と少しも変わっていない」(「フィリピン・スター」社主兼論説委員長マックス・ソリベン氏)と糾弾されるようでは、いつまでたっても他人の痛みに鈍感な人権後進国の汚名を払拭することはできません。
 ガルトゥング まず申し上げたいのは、開発は、人権の施行に密接な関係がありますが、それは主としてマイナス面での関係であるということです。これまでのところ、およそ開発と名のつくものは決まって次のようなパターンで行われてきました。まず援助供与国が、援助を受ける国に代わってすべてのことを決定する。そのために、お互いに競合さえする。そして「のどから手が出るほど欲しいハード・カレンシー(米ドル等の通貨)」を稼ぐために、被援助国の経済を輸出中心の経済に切り換えようとする――というパターンです。経済史上そうではなかった例は、私の知る限りただの一度もありません。このことから、同情にもとづく緊急災害援助は別として、それ以外の「政府開発援助」(ODA)は停止すべきだと主張する人々がおりますが、私もその一人なのです。
 いわゆる援助なるものは、往々にして一つの悪循環を誘発します。つまり、経済援助による環境破壊がはなはだしいために、さらに多くの開発援助が必要になるという状況が繰り返されるのです。こうしたプロジェクトによって直接利益を受ける立場にある第三世界のエリートたちは、人間と自然に対して罪を犯しているという点では、少なくとも援助の供与国側と同罪です。
 必要なことは、人権の伝統を批判の眼をもってみることです。日本の社会は古来、天皇、将軍、そしてその家臣を頂点とした、きわめて縦型の構造でした。江戸時代には、この頂点の人々は、武士階級に始まり、その下の農・工・商の階層、そして底辺部の(さまざまな外来人を含む)社会的地位のない人々にいたる、縦型の社会構造に支えられていました。もし天皇と国民の間に真の社会契約が存在していたならば、日本も、また日本の犠牲になった国々も、太平洋戦争を頂点とする侵略戦争を経験せずにすんだかもしれません。
 しかし、それはあくまでも“かもしれない”のであり、疑問は残ります。かりに日本に人権に関する法制度が備わっていたとしても、国民はやはり軍国主義者の領土拡張政策に賛成していたかもしれません。ただ一つ、違いが生じていたとすれば、それは国策に反対した人たちがあれほどには虐待されなかったかもしれないということです。アメリカ合衆国は、他の西欧諸国と同様、人権を非常に重視していますが、そのアメリカが、ほぼ年に一度は他国の問題に軍事介入をしています。
 ところで「フィリピン・スター」のソリベン氏は、経済的侵略と軍事的侵略を混同しているのではないでしょうか。この二つは、同じではありません。今日、日本人が旅行用のカバンに入れて運んでいるのは、昔の「憲兵隊」の威張りくさった態度ではありません。彼らが運んでいるのは技術面で非常に優れた経済であり、それは驚くほど多種多様の製品において、世界のあらゆる国の経済に競り勝つほどの力をもったものです。そして今や日本は、先日までの経済超大国アメリカをして、経済的に豊かな第三世界の国の貿易形態に近いものにしてしまいました。その結果アメリカは、日本に対してもっと米や木材を買ってくれと懇請したり、携帯電話を無理押しに輸入させようとしたりしているわけです。
 ソリベン氏が言及した日本のビジネスマンや政治指導者は、たしかに世界貿易や競争はよいことであると信じています。しかし彼らは、この経済的イデオロギーの盲目的信奉者のごとく、自分たちの行動にともなういくつかのマイナス効果――つまりアメリカやOECD諸国との摩擦ばかりでなく、第三世界諸国に与える悪い影響等――を見落としています。たとえばフィリピンでは、日本人は、フィリピン人自身が大いに必要としている農業資源と海洋資源を――多くの場合、現地のエリートたちの協力を得て――持ち去ります。しかし、あなたが引用された文章の中で、ソリベン氏が見落としている点がもう一つあります。それは、これらの日本人に貧しい人々への思いやりが欠けているという点です。
 とはいえ、日本や他国のビジネスマンが、自分たちの経済活動がおよぼす影響について鈍感であることには、弁解の余地がありません。日本人は、いろいろなものを折衷するのが上手です。日本人は、市場経済と計画経済を見事に組み合わせました。同様の手際のよさで、資本主義的発想とほんの少しのマルクス主義的洞察――資本主義が社会の底辺で、とくに日本の周辺諸国の社会の底辺で、どのような働きをしているかについての洞察――を組み合わせてみたら、おそらく得るところがあるのではないでしょうか。多くの人が信じていることとは裏腹に、マルクス主義と資本主義はお互いに排斥し合うものではありません。そして、この二者がともに仏法的洞察と密接に結びついたとき、全体として非常に筋道の通った理論となることでしょう。
 池田 日本および日本人の事情にくわしい博士ならではの、公平かつ的確な洞察であると思います。しかし一方で、ただ今のお話は、博士の意図とは別に、諸外国から発せられる日本人の人権思想・人権感覚の遅れへの批判を“人権に名を借りたジャパン・バッシング(日本たたき)”と受けとめる日本の一部分の人々を喜ばすことになるかも知れぬと懸念しております。
 明治時代の日本の啓蒙思想家・福沢諭吉は、その著『文明論之概略』において、文明を「外に見はるる事物」と「内に存する精神」の二種に分けました。前者は、衣服・飲食・器械・住居から政令・法律にいたるまで、見聞しうるものすべてを指し、後者は、「人民の気風」すなわち「人民一般の智徳」を指しております。そして、「外の文明はこれを取るに易く、内の文明はこれを求るに難し」として日本の文明開化にさいしては、「難を先にして易を後に」施すよう主張しています。
 時代は下り、さて今日、福沢の主張は日本において実現されたといえるでしょうか。たしかに明治以降の日本は、「外の近代化」にはいちじるしく成果をあげてきましたが、「人民の気風」に関してはいまだ多くの課題を残していると言わざるを得ないのです。かつて福沢を嘆かせた、「立てと云えば立ち、舞えと云えば舞い、其の従順なること実に家に飼いたる痩犬の如し」という封建的隷従制から、どれだけ進歩したかが問われております。
 なるほど、現在の日本は憲法で基本的人権が保障され、制度的には民主主義が確立しています。しかし問題は、これが「人民一般の智徳」の向上によって内発的にもたらされたものではないことです。第二次世界大戦の敗戦による連合国の進駐統治によって、いわばタナボタ式に実現したものであって“みずからの血と汗で”獲得したものではないのです。
 “東洋のルソー”とも呼ばれた明治の自由民権思想家・中江兆民は、欧米と異なり人権闘争の歴史をもたない日本における人権概念の定着について、次のような思索の結晶を残しています。――人権には、与えられた“恩賜の人権”と、戦い取った“回復の人権”がある。前者は後者に劣るとはいえ、これも、その維持に努力を重ねれば後者の仲間入りをする、と。
 日本人にとって、まだまだ根を下ろしたとは言いがたい人権思想。“恩賜の人権”を“回復の人権”にすることができるかどうかは、明治以来の日本人の精神的“宿題”であると私は受けとめております。
 ガルトゥング 私がもし日本人であったなら、私もやはり、その点についても強調することでしょう。しかし、私は西洋人ですから、私には西洋の身勝手な“ジャパン・バッシング”だけがあまりにもはっきりと目についてしまいます。しかし、私も世界市民の一員として、あなたとともに二つの真実――一つは日本に対する批判、もう一つは西洋に対する批判――を直視したいと思います。しかし、この二つは互いに相容れないものではありません。

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