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日蓮大聖人・池田大作

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民衆パワーの今後  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 ここで平和運動と民衆パワーについて考えてみたいと思います。ソ連・東欧革命の要因について、博士は、民衆のパワー、政治の優位、平和政策の三つの共働作用という観点から論じておられます。
 そのさい、核至上主義とスターリン主義を軸とする冷戦システムに対抗した民衆の「反体制運動」と「平和運動」に着目し、民衆のパワーが、東欧・西欧の支配者たちや西側マスメディアの深層心理にも大きな影響をおよぼした点を、鋭く描写されています。
 また、民衆は経済的理由によってしか反乱を起こさないという考えを「低俗な唯物論」と退けたうえで、「民主主義」「人権」「独立」も生命を賭した民衆蜂起の理由になりうることを指摘されています。「われわれは克服する」との力強い感情が、東欧の民衆の心を一つに結び、歴史を変えたといっても過言ではありません。まことに「歴史の深い水底の流れ――それは民衆」です。
 そこで今後は、沸騰するような民衆の「解放のエネルギー」をどう「建設のエネルギー」へと転化させ、持続させていくかが、最大の課題となってくるでしょう。一つの勝利と達成をみた東欧の民衆パワーを、ヨーロッパ統合の流れ、さらに新たな国際秩序の創出へと、どう創造的に結びつけていくかが問われることになると思います。ゴルバチョフ氏との会見(一九九二年四月)でも、「二十一世紀に向け、人類に贈るメッセージは」との私の問いに、氏は「それは『民主化』のプロセスを進めていくことです」と、明快に答えてくれました。私も「時代の担い手としての民衆」の今後については、明るい展望と大きな期待をいだいております。
 ガルトゥング 一九八〇年代の二大民衆運動は、東欧の「反体制運動」と東欧・西欧双方の「平和運動」でした。これら二つの運動は、それぞれの地域のエリートがもたらした二つの恐怖――東欧のスターリン主義と東欧・西欧双方の核至上主義――に対抗するものでした。民衆運動は勝利しました。東欧諸国のスターリン体制は崩壊し、核の脅威はアメリカ人が“ヨーロッパ戦域”と呼んでいた地域から、さしあたり取り除かれました。ところが、ひとつ間違えば五億人もの命を奪ったかもしれない核の大虐殺(ホロコースト)を計画した政治家や、それに類する人たちは、まだ私たちのなかにいるのです。彼らは今、世界の目がスターリン主義者とその後継者たちに向けられているのを、喜んでいるにちがいありません。
 忘れてならないのは、どの民衆運動も間違いなく民主的ないし進歩的であるとも、また、生命の高揚をめざして活動するとはかぎらない、ということです。これらの運動は、むろん民主主義のために戦うこともありますが、それとはまったく別な行動計画(アジェンダ)を促進することもあるのです。ヒトラーやムッソリーニが率いた運動も、やはり民衆運動でした。ユーゴスラビアで殺し合いをしている人たちの多くも、彼らの動機が民衆運動に根ざしている旨を主張しています。これらの運動はまた、ある種の民主政治(実際には政党政治ないしは議会政治)の実行を企てたエリートたちに対抗した点で、反エリート的でもありました。ヒトラーやムッソリーニは、彼らに立ち向かった弱々しい民主的な試みを打ち破りましたが、その結末はあまりにもよく知られています。
 これとほぼ同じ時期の日本では、民衆運動は、ほとんど影響力がありませんでした。日本人の伝統のなかに深く根づいていたのは、天照大神が加護し給う“選ばれた”民族という意識でした。この選民思想と、日本を中心にして全宇宙を一つの家と見なす「八紘一宇」の思想とが、日本の帝国主義的軍国主義者によって、拡張主義政策の正当化に利用されたのです。日本のこうした伝統や「垂直」志向型社会の状況下にあっては、共産主義者やキリスト教徒、そして創価学会の創立者・牧口常三郎といった人々の主唱する民衆運動も、主流をなすにはいたりませんでした。
 民衆運動だけでは、権威主義的エリートを正すことはできません。同様に、民主主義的エリートだけでは、権威志向的な民衆運動が権力を握るのを防ぐことはできません。エリートと民衆の相互作用を導くべき、なんらかの燦然たる指標(ガイドライン)が必要なのです。「人権」には数多くの問題があるとはいえ――私はそれらはすべて解決可能と信じていますが――「人権」はそうした一組の指標を提供してくれます。もう一組の指標は、仏教が、そしてあらゆる宗教のソフトな側面が発する光明から得られます。さらにもう一組の指標は、抽象的であるため感情に訴えるものとはとても言えませんが、「多様性」とか「共生」という、「生命」を高めるための生態学的概念が与えてくれるものです。
 もしエリートや、そのエリートを倒して新たに権力の座に就く人たちが、そのような指標に導かれていないとしたら、どうなるでしょうか。そのような場合は、あるいはなんらかの“介入”が正当化されうるかもしれません。しかし、それも「平和執行」の名のもとに国連安保理が要求した“あらゆる必要な方途で”殺戮するような“介入”(第二次湾岸戦争を正当化した安保理決議第六七八号)であっては断じてなりません。私たちは、何か新しいもの、何か別なものを必要としているのです。
 そのような場合に容認できる国際的行動とは、一九八〇年代に東欧でとられた行動と類似のものでなければなりません。ここで私が言っているのは、東欧の地で西側が繰り広げた平和運動のことです。この“介入”は、対話を手段とするものでした。そしてその対話は、反体制側の人々や東欧の平和運動家のみならず、権力側のエリートとも行われたのです。その結果形成されたのが、一つの国際的な「市民社会」であり、これはかなりの力をもった一種の国際化された民衆運動でした。国際的な民主化のプロセスは、こうした精神によって、複数国政府の共同による集団的な力や法人の超国家的な力を抑えようとするものです。一九九二年にリオデジャネイロで開催された「国連環境開発会議」(UNCED)にも、一九九三年のウィーン「国連世界人権会議」にも、まさにこれと同様の精神が脈打っていました。この精神は、今後ともさまざまな国際交渉の場で力を発揮することでしょう。しかし、規模の大きさも同時に大事です。私たちには、非暴力的な介入にたずさわる能力のある、何十万、何百万という人たちが必要なのです。
 池田 まさに全世界にわたる民衆の力が必要です。平和への王道は、結論から言えば、民衆が強く賢明になっていく以外にないと思います。民衆の大地を離れた、一部の専門家のみに政策決定を任せてしまうことは危険です。あのベトナム戦争も、いわゆる最高のエリートとされた人々によって決定・推進され、結局、限りなく泥沼化していきました。この、記憶に新しい事実が、民衆不在の政策決定の危険性を象徴的に示しているのではないでしょうか。
 どこまでも民衆が主役であり、すべては民衆で決まります。賢明な民衆を基盤にした民主社会であれば、行政府の外交政策といえども、民意を無視したものにはなりえないでしょう。私がゴルバチョフ氏を評価するのも、ペレストロイカの試行錯誤の過程にあって何とか民意を汲み上げようという民主化のプロセスを、決して手放そうとしなかった点にあります。民主と平和をめざし、求めた氏の一念を評価するのです。
 そうした意味から私は、平和の問題に専念できる省庁として、各国に「平和省」を作る運動を広げてはどうかとつねづね、主張してもきました。
 日本の戦前の大衆運動がほとんど実を結ばなかったことは博士のご指摘のとおりですが、私ども創価学会の運動は、真に民衆に根ざした運動が世界的規模の重要な運動へと発展しうることの、一つのよい例になりつつあるのではないかとも自負しております。奇しくもガンジーが最後の獄中闘争にあったころ、私の恩師もまた、軍国主義との戦いのために獄中にありました。その創価学会も今では大きな民衆勢力へと成長していることはご存じのとおりです。私どもの創価学会は、永遠に民衆の側に立つ団体です。権力に踏みつけられ利用されてきた民衆が、強く、賢明な民衆パワーを発揮し、新しい民衆の時代を切り拓こうとしているのです。
 この点、ガンジーの非暴力主義の戦いも、民衆を強く逞しく賢い存在に変える戦いでした。ガンジー主義については、前述のとおり一九九二年二月、ニューデリーのガンジー記念館で講演し、四つの観点から私なりの分析をいたしましたが、その一つが、民衆の“友”であり“父”であったガンジーの「民衆愛」でした。ガンジーは、文字どおり民衆の中に入り、苦楽を共にした稀有の民衆指導者でした。なかんずく彼は、長い植民地支配から民衆の心に深く根ざしていた権力への恐怖を取り除くことに努力しました。「恐れるな」と。そのガンジーの教訓こそ、インド民衆への最大の贈り物とネルーは受けとめたのです。民衆が悪しき権力・権威を恐れない、強い賢明なパワーとなることが、民主の時代の最大の要件でありましょう。
 とりわけ現代は、世界的に未曾有の情報化時代を迎えており、普通の民衆が等しく情報通であるといえます。この趨勢はますます強くなっていくでしょうし、今や“ごまかしのきかない時代”に入っているといってもよいでしょう。民衆による賢明な判断と行動は、以前よりも飛躍的に容易になりました。
 ガルトゥング 私は一九九三年十月、サラゴサ市のスペイン王立陸軍士官学校で講演をしましたが、これは同校が平和活動家を講演者として招いた初めてのケースの由です。その中で、私は非暴力的介入にさいして必要な五つの要素を提唱しました。すなわち、
 (一)軍事上の諸手段に関する若干の知識。暴力を減少させるには軍事テクノロジーに関する知識が必要となること。
 (二)警察の諸手段、たとえば群衆の整理等に関する知識。
 (三)非暴力的アプローチ、たとえばガンジーのサッティヤグラハ(非暴力・不服従運動)等に関する知識。
 (四)紛争解決の方法および実例に関する知識。
 (五)こうした平和維持軍の隊員の半数は女性であるべきこと。
 私の講演に対する聴衆の反応は、非常に肯定的なものでした。ガンジー主義や仏教からは、受動主義、暴力主義のいずれにも偏らない「中道」的な方法が数多く得られます。しかし不運なことに、現在、主として耳目を集めているのは前記の(一)なのです。これだけでは十分でないことは、いうまでもありません。

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