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ガンジー①楽観主義  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 先般(一九九二年二月)、私はインドのガンジー記念館の招きを受け「不戦世界を目指して――ガンジー主義と現代」と題する講演を行いました。講演では、二十一世紀の世界がガンジーから何を学ぶべきかとの問いに答えるべく「楽観主義」「実践」「民衆」「総体性」の四つの特徴に沿って、彼の非暴力の原理と実践の意義を、みずからの体験に照らし検証したつもりです。
 とくに、非暴力主義の機軸として私が強調し、またインドの方々からの賛同を得た点は「楽観主義」という着想でした。「楽観主義」については、第一章で論じ合いましたが、ガンジー主義との関連で、さらに突っ込んで論じておきたいと思います。ガンジーにおける「楽観主義」とは、客観情勢の分析や見通しに依拠して生みだされた相対的なものではありません。正義といい、非暴力といい、徹底した自己洞察の結果、無条件に己が心中に打ち立てられた、いわば人間への絶対的な信頼であり、死をもっても奪い取ることのできない不壊の信念でありました。
 同様な精神の輝きは、チェコのハベル大統領にもありました。
 「希望とは、精神のもち方、心の働きである。……つまり、事態はいずれ好転すると確信することが希望ではない。結果のいかんを問わず、理にかなうものはあくまで理にかなっているのだという不動の信念こそ、希望なのだ」(「ニューズウィーク」誌、一九九〇年七月五日号)と。
 この「楽観主義」を私は、非暴力という人間の善性の極限、すなわち臆病や卑屈による“弱者の非暴力”ではなく、勇気に裏づけられた“強者の非暴力”を民衆と分かち合うための重要なポイントと考えます。
 ガルトゥング ガンジーが一生涯で展開した、驚嘆すべきいくつもの大闘争の基本的姿勢が楽観主義にあった、とのご見解には私も全面的に賛成です。それらの闘争とは、内政自治獲得の戦い(スワラージ)であり、一般庶民の地位向上、なかんずく彼が「オセアニック・サークル」と呼んだ自立独行・一致協力の小さな地域社会の向上(サルボーダヤ)であり、四姓外の人々(ガンジーは彼らにハリジャン〈神の子〉という名称を与えました)の地位向上のための戦いでした。さらに彼の闘争には、女性の向上のための努力、南アフリカで働くインド人の平等化への尽力があり、また、これはさほど成功を収めはしませんでしたが、インドのヒンドゥー教徒とイスラム教徒の和合へ向けての奮闘があります。そして、最も重要なこととして、これらすべての目標を達成する有効な闘争方法としての非暴力を献身的に支持し、展開したこと(サッティヤグラハ)があげられます。
 しかもガンジーは、これらの目標のほとんどすべてを首尾よく達成しています。まず、インドは内政自治を勝ち取り、独立国になりました。サルボーダヤはたぶんインドでは成功したとはいえないでしょうが、その概念は全世界の人々に生気を与えています。インド国内では、四姓外民と女性の地位はともに向上しました。すでに今世紀の初頭に、ガンジーは南アフリカにも大きな足跡を残しており、その地に彼は、時折用いられていた暴力的な戦術よりも、非暴力のほうがはるかに実りが多いという考えを教示しました。しかも、非暴力は今や数多くの文化においてその一部をなすにいたっており、実際に東欧をスターリン主義と核至上主義という二重の災厄から解放するうえで、この思想は重要な役割を果たしています。
 これだけの偉業は、たとえそのほんの一部を行うにしても、楽観主義と想像力、そして人間のもつ可能性への深い信頼がなければ、とうてい成し得るものではありません。ガンジーはみずからの目標を胸中にしっかりと定めていたのであり、平和にいたる道は平和そのもの以外にないことを知っていました。
 池田 ガンジーがたんなる理想主義者ではなく、優れた現実感覚の持ち主であったことは、イギリス当局の苛酷な塩税法に対抗して、政府の専売となっていた塩をみずから手作りで海水から採取し、暴政、悪政と戦った、かの有名な“塩の行進”などに、よくうかがうことができます。まさに、非暴力による抵抗、戦いの天才的着想です。このガンジー一行を、民衆は「塩盗人万歳!」の歓声で迎えたといわれていますが、これなども、ガンジーがいかに民衆の大地に足を踏まえていたかを物語っており、また、そうでなければ不可能な、ユニークな着想です。
 ガンジーの現実感覚は、同じ非暴力の旗手で互いに尊敬の念をいだきつづけてきたトルストイなどと比べても際立っていると思います。トルストイの禁欲的な非暴力主義は、その徹底性のゆえに、赫々たる世界的名声の割には大衆的基盤を勝ち取ることができませんでした。それに比べてガンジーは、大衆運動の卓越した組織者であり、リーダーでありました。純度の高い、香気ある精神性の持ち主であった彼は、譲ってはならぬ一線だけは断固として守りぬきましたが、その他の点では、ケース・バイ・ケースで事態に対応できる、柔軟な現実感覚の持ち主でした。その理想と現実との絶妙なバランスは、アインシュタインが「われわれの時代における最大の政治的天才」と呼んだように、非暴力主義のたぐいまれな具象化でした。

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