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日蓮大聖人・池田大作

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ヨーロッパの統合  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 近年、ECの市場統合、また新生ドイツの誕生、東欧・ソ連情勢の激変など、ヨーロッパ情勢はめまぐるしく動き、新しい政治・経済秩序の枠組みが模索されています。
 さまざまな動きが、ヨーロッパの統一へ向けて動いているように思いますが、一方、ドイツ統一ひとつをとってみても、その将来をめぐって多くの論議がなされています。ヴァイツゼッカー初代ドイツ大統領は、ドイツ統一にあたり「統一は、欧州大陸の諸国民の自由と新しい平和秩序をめざす欧州全体にわたる歴史的な過程の一部」と述べていますが、そうした歴史的評価がくだるか否かは、今後の情勢しだいといえましょう。
 こうした動向は、たんにヨーロッパのみならず、私たちにとっても大きな関心事です。冷戦構造が崩壊し、もはや仮想敵国を想定することなく新しいヨーロッパの新秩序を構想することは、史上初めての大いなる実験といえましょう。長くヨーロッパの平和問題について思索してこられた博士は、ヨーロッパの変革にどのような感慨をおもちですか。またヨーロッパの未来はどうあるべきだとお考えでしょうか。
 ガルトゥング これについての見通しは、きわめて険悪です。西欧諸国が全面的に統合されてしまい、今世紀末までに共通の通貨、共通の外交・防衛政策、それに「欧州軍」を完備した「欧州連合」(EU)が形成されることを思うと、恐怖をさえおぼえます。
 長年の習慣というものは、なかなかやめられないものです。バイキングに始まり、チュートン騎士団、スウェーデンの歴代王、ナポレオン、ヴィルヘルム二世を経てヒトラーにいたるまで、西欧は東欧で欲しいものは何でもわがものにできることを夢みてきました。そして今や完全に解体してしまった東欧が、容易に彼らの手に入るようになったのです。
 この問題について、一九九〇年三月に「欧州議会」の政治委員会でスピーチをした時、私は、やがてもう一つの「ラテン・アメリカ化」ともいうべきプロセスが始まって、東欧が経済的にも文化的にも、そして部分的にせよ政治的にも、植民地化されてしまうかもしれない、との懸念を表明いたしました。この私の懸念が、今、現実のものになりつつあります。これはまだ始まってはおりませんが、東欧がいくつもの平和維持軍によって軍事的に植民地化されてしまうことも十分に考えられます。その役割が平和執行ではなく平和維持にとどまる限りにおいては――旧ユーゴスラビアでもある程度見られたように――国連の合法性は増大します。これに対してソマリアの例は、内政干渉のための軍隊派遣がいかに裏目に出ることがあるかを、如実に物語るものです。
 しかし、私が大いに懸念しているのは、西欧軍が旧来のヨーロッパの伝統に従って、東欧に対して横柄に平和を押しつけようとすることです。私にはまた、ACP(アフリカ・カリブ海・太平洋地域)諸国機構内の六十九の旧「欧州連合」植民地において、もしこれらの旧植民地がなんらかの形で反乱を起こした場合、西欧軍がただちにそこに配備されるといった事態も想像できます。なにしろ「欧州連合」十五カ国のうち九カ国までが、かつての植民地主義時代の列強だったのですから――。長年の悪習は、簡単にはやめられないものです。
 「イスラム連合」――つまりアラブ諸国の連合、トルコ系諸民族の連合、もしくはその両方の連合――といったものが生まれるとすれば、それはキリスト教諸国からなる「欧州連合」への明らかな反応としてでしょう。もしそうした連合が形成されるとすれば、このイスラム連合軍に対抗すべく――たぶん核装備をした――欧州軍が態勢を整えることが想像できます。あるいはこれら二つの連合にロシアが率いる「スラブ・ギリシャ正教会連合」が加わって、三者間の対峙が展開する可能性もあるでしょう。そして、これらすべてのことは、すでに旧ユーゴスラビアにおけるギリシャ正教徒、ローマ・カトリック教徒、イスラム教徒による三つ巴の悲劇的な戦いという形で、具体的に現れています。
 しかし、こうした不安に満ちた展望にもかかわらず、もし西欧が東欧と旧ソ連邦を自分たちと対等にあつかい、これら諸国にみずからの可能性を有利に生かす機会を与えるならば、大西洋沿岸からカムチャツカにいたる全ヨーロッパが協力するという形の、結合の緩やかな連合(コンフェデレーション)が形成され、そこからより有望な未来が生まれることも考えられます。そのような形の協力に対しては、国連の欧州経済委員会が健全な基盤を提供できるでしょう。ヘルシンキでのプロセスと「全欧安保協力会議」(CSCE)は、いくつかの優れたソフトな政治的・軍事的機関を生みだしました。「欧州会議」は文化や人権に関する協力をとりあつかっています。「全欧安保協力会議」も「欧州会議」も、ともに議会をもっています。これらの機関があることを考えれば、やがて全ヨーロッパの直接選挙という夢すらも、実現可能となるかもしれません。つまり「選ぶべき別の道はある!」のです。ただし、そうしたいくつかの道が実際に選ばれるかどうかは、これから先の問題です。
 たしかにこうした「全ヨーロッパ連合」(パン・ヨーロピアン・コンフェデレーション)は、八億五千万人もの巨大な人口を擁することになるでしょう。しかし、これはさほどの不安材料ではないと思います。というのは、この地域では無数の対立や紛争が絶えず起こっているため、全体が一致団結して対外的に他地域を侵略する可能性が少ないと思われるからです。「欧州連合」(EU)は結束が強いために危険な存在となりますが、「全ヨーロッパ連合」にはその心配はないでしょう。
 池田 ともかく、避けるべきは“ブロック化”です。排他的に、小さくまとまるようではいけません。国家の枠組みを超えたブロック化は、これからも世界の各地域で進行していくことが考えられますが、それも次の世界秩序への一里塚として構想していくことが大切だと思います。ですから、どこまでも国連との連動(もちろん、現在の国連の在り方をそのままよしとするつもりは毛頭ありませんが)という視点を見失ってはなりません。
 時代は「開かれたシステム」を求めています。しかも、その開放性は、他地域との相互性・対等性に立つものでなければならないでしょう。かつての植民地時代のような一方的な関係は、新たな混乱と紛争を引き起こすだけで、そこに新世界秩序への展望は開けないでしょう。この点は、私もこれまで、折にふれて訴えてまいりました。

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