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ペレストロイカについて  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 ゴルバチョフ元大統領のリーダーシップのもとで進められたソ連のペレストロイカは、その内容や規模、波及性といい、まさに革命と呼ぶにふさわしいと思います。サッチャー前首相が、ペレストロイカの理念に比べれば、一九一七年のロシア革命は「事件」にすぎない、と述べたのもうなずけるところです。
 とくに私は、ペレストロイカがあまりにも多くの流血の惨事を招いた社会主義の歴史に学んで、非暴力を機軸にした無血革命を志向しているところに、人類史的実験という意義をはらんでいると思います。
 ガルトゥング 数年前まで、三億人近い人々がソビエト連邦という、地球上で最も広大な国に住んでいました。政治の天才であるミハイル・ゴルバチョフは、自分の国が行き先のない旅路をたどる不条理劇を演じていることに気づき、旧体制の指導者たちの偽りの仮面をはぐことによって、台本を変えたいと考えました。ゴルバチョフはたしかに彼らの仮面をはいだのでしたが、あるいは一、二の大事な点を見すごしていたのかもしれません。
 数百年にわたって――いやもしかしたら一千年もの間――あれこれのプロパガンダ(宣伝)に引き回されることに慣れてきた人々は、一つの古いプロパガンダが威信を失うと、たちまち新たなプロパガンダの餌食になってしまうものです。ゴルバチョフは、経済的には資本主義と社会主義の中道を行くもの、そして政治的には「連合」と「連邦」の中間の機構を望んでいました。
 しかし、マニ教のロシア版ともいうべきボゴミール派の絶対主義という呪いをかけられたロシア人は、明快な二分法だけを信じ込み、中間の道というものを考えません。彼らにとっては資本主義だけが、共産主義にとって代わりうる唯一の別の道でした。そして、ソビエト連邦にとっての唯一の別の道は、この連邦の解体、すなわちすべての共和国の全面的な独立と、主として紙面の上のみにしか存在しない「独立国家共同体」(CIS)の形成でした。ワシントンが、世界の中心としてモスクワに取って代わり、ロシア人は、事実上アメリカ人以外のだれにも注意を払わなくなり始めています。
 ゴルバチョフは、こうしたソ連のジレンマに対して、より幅の広い、複合的な解決法を提案しました。私は彼の方法のほうが、より現実的であったがゆえに、優れていたと思います。しかし、ゴルバチョフが主として訴えたのは、たぶん人口の一割程度の人々の頭脳に対してでした。彼のことを自分たちが慣れ親しんできた体制を葬り去った責任者と考えていた、ほぼ三億人の人々の心には語りかけなかったのです。これらの人々は、ゴルバチョフが示した別の選択肢には興味を示しませんでした。社会主義のソ連がダメだというのなら、それと反対の体制にしよう、というわけでした。
 ドラマはまだつづいています。旧ソ連邦諸国の人々は、彼ら自身が全地球的な資本主義の周辺地域に置かれることになった時、資本主義がその周辺地域にとってどんなものなのかをまもなく理解するようになるでしょう。彼らは、旧ソ連邦の諸国を結びつけてきた古い絆を断ち切ることがどんなことなのかを思い知ることでしょう。彼らは、やがてワシントンの真の関心事が何であるかを知ることでしょう。それは原料と、アラブ原産ではない石油と市場であり、ロシアが借金の利息をドルで支払ってくれることなのです。やがて彼らは目覚めるでしょう。そしてゴルバチョフには、おそらく、もう一度チャンスがあるかもしれません。
 池田 「ゴルバチョフには、おそらく、もう一度チャンスがあるかもしれない」とは、いかにもガルトゥング博士らしい大胆な予測です。私は、現実のゴルバチョフ復帰ということは、なかなかむずかしいと思いますが、しかし、資本主義か社会主義か、また連合か連邦かという二元論的選択ではなく、両者の中間を求める“ゴルバチョフ的志向”という象徴的な意味でなら、「もう一度のチャンス」は大いにありうると思います。
 私には、たんに社会主義から資本主義への移行という意味で、ゴルバチョフが「ペレストロイカは革命である」と言ったとは思えません。もちろん、ペレストロイカが資本主義の要素を取り入れるということを含んでいることは否定しません。しかし、それはペレストロイカの一部分にすぎません。
 私は、ゴルバチョフ氏のペレストロイカがめざしたものは、人間自身の意識変革をはらむ社会総体の変革であったと思います。人間革命なき社会革命の行き着いた先がソ連の現実であったわけですから、それをたんに社会主義から資本主義へと経済体制を変えるということなら(それだけでも大変なことであるとは十分知りつつも、あえてこう言いますが)、レーニンが一九二〇年代に行ったNEP(新経済政策)の例もないわけではありません。その点で、ペレストロイカが経済の自由化からではなく、言論の自由化から始まったことはきわめて示唆的です。
 ペレストロイカを非難・攻撃する人たちは、非難・攻撃できる状況それ自体がペレストロイカによってもたらされたことを知らなければなりません。ペレストロイカは決して死んではいないのです。
 その点、ロシアのマスコミ(「独立新聞」)の次のような論調に接したことは、一つの救いでした。「ロシアでは偉大な人物を侮辱し、殺すことが好まれる。その後で、後悔のため息と感動の涙を流して、彼らを愛すのだ。この国の解放者であるゴルバチョフ氏もめった打ちにされることが運命づけられている。(中略)ゴルバチョフ氏をあらゆる方向から攻撃することは、社会の精神的な病気の恐ろしい兆候である。偉大な人物を評価する能力のない人たちは国家をうまく支配することはできない。彼の考え、行動を理解しないと、社会は重要なものがわからなくなる」
 今、博士は、彼らは「資本主義がその周辺地域にとってどんなものなのかをまもなく理解するでしょう」と言われました。
 ゴルバチョフの出現から、ペレストロイカの急進展、クーデターの勃発、共産党の解体と連邦の消滅、「独立国家共同体」の発足等々、予測を超える急テンポな変革は、まさに激変というにふさわしく、あたかも手を離された振り子が反対の極に向かって一気に運動するかのような勢いです。その振り子が反対の極に到達したら、つまり博士の言われる「資本主義がその周辺地域にとってどんなものなのかを理解」したら、今度は揺り戻しが始まるでしょう。

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