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日蓮大聖人・池田大作

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対話の達人たち①  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 次に、激動をつづける旧ソ連・東欧圏において、私はとりわけ二人の指導者に注目しておりました。一人はゴルバチョフ元大統領であり、もう一人は、いわゆる「ビロード革命」の推進者であった旧チェコスロバキア(現在はチェコ)のハベル大統領です。
 私が二人の指導者にお会いして受ける率直な印象は「対話の達人」であり「言葉を存分に使いこなす人」というものです。ゴルバチョフ氏は、私との会見のさい「『核のない世界を築こう』『暴力よりも対話を』と提唱した時、多くの人々は『ユートピアだ』と笑いました。けれども見てください。今では、それが現実になろうとしているのです」と語っていました。
 また、ハベル大統領の折々のスピーチから感じとれることは、言葉に対する劇作家らしい鋭い関心であり、「不信」でも「過信」でもなく、言葉を信じ、適切に使いこなしていくことこそ政治の要諦であるという変わらぬ信念です。それはまた、真の意味での対話ということの異名であるはずです。
 この「対話」の重視というところに、ゴルバチョフ、ハベル両氏の指導者としての新しさがあるのではないでしょうか。一言にしていえば「哲人政治家」のイメージですが、それは、今後の政治家のあるべき姿を示唆しているといえましょう。私たちは、言葉や対話の効用を看過してはならないと思うのです。
 ガルトゥング いわゆるビロード革命は――そもそもその種の革命なるものが本当に起こったのだとすれば――それは、旧チェコスロバキアの人々が最も好まない国の一つである東ドイツからの贈り物として、旧チェコスロバキアにもたらされたものです。私の友人たちは、ビロード革命への参加者数はせいぜい二千四百人程度であったと語っております。ところが、東ドイツでは、国民の大部分が反乱を起こしました。ある人々は、ハンガリー経由で旧西ドイツへ大量移住するという、尊い非暴力的手段をとりました。またある人々は――とくに一九八九年十月九日にライプツィヒの市街で――完全武装の「国家公安局」(シュタージー)の軍隊と、身体がふれあわんばかりの距離で、非暴力的に対峙しました。
 おそらく旧東ドイツと旧チェコスロバキアの状況がこのように対照的であったために、私は一部の人々ほどはハベルの言葉に感動しないのでしょう。ともあれ、旧チェコスロバキアの人々は英雄を必要としていたために、一人の英雄をつくりだしたのです。かつて一九六八年に、アレクサンドル・ドプチェクはもっと大勢を向こうに回してより勇敢に戦いました。ある意味ではポーランドの「連帯」よりもずっと以前に、すでにドプチェクは最近になってようやく頂点に達した一連のできごとを始動させていたのです。この点、ドプチェクはニキータ・フルシチョフに似ています。フルシチョフはすでに一九五六年の二月、彼なりのやり方でスターリン主義に反抗していたのです。
 理想を言えば、コミュニケーションは“両面通行”であるべきです。私は、テレビやラジオによる情報伝達は、まったく意に満たないものと思っています。書物もまた“一方通行”のコミュニケーションです。もちろん、書物の執筆は、著者が自身の考えを発展させる助けにはなりますし、書かれた内容が読者に自主的な思考の過程へのきっかけを与えることになるかもしれません。私はテレビ・電話などによる遠隔地間会議の価値を無視するものではありませんが、やはり膝をまじえて直接に行う対話にまさるものはありません。
 これは私がいつも気づいていることなのですが、私の場合は、直接的なアプローチを避けて、イメージやビジョン、モデルや隠喩といった強力な伝達手段を用いたほうが、自分の思いどおりにコミュニケーションを進めることができます。最近私が大いに活用している隠喩の一つは、「平和」と「健康」との対比です。
 「抑圧」と「搾取」は、現代における二つの最も基本的な構造的暴力の形態です。「心臓・血管の疾患」と「癌」は、近代化がもたらした二つの基本的な身体の疾患状態です。「抑圧」と「心臓・血管の疾患」は、どちらも循環を妨げる点で似ています。「搾取」と「癌」は、社会または人間という組織体の一部が他の部分を犠牲にして生きている点で、よく似ています。平和の研究と健康の研究は互いに隠喩で表現し合うことができます。またこの両者は、互いに他方から学ぶところがあるのです。同様に、平和理論も医学も、疾患を治癒するには、疾患そのものを自覚することと、その治療に必要なあらゆる方策を総動員することの大切さを強調しています。
 ユーモアは、言葉によるコミュニケーションのもう一つの重要な側面です。暴力を減少させ、できれば皆無にするという形での“平和”の意味を考える時、私たちは多くの惨事、すさまじい暴力、人々の苦痛等に直面せざるをえません。私たちはこれらを見すごすわけにはいきません。私たちはそれらに立ち向かわなければなりません。なぜなら私たちは家庭の中で、共同体の中で、そして世界の中で、みずからが何と対決しているのかを理解する必要があるからです。
 同時に私たちはそれらに耐えて生きることも学ばなければなりません。笑顔や、あるいは哄笑すらも誘うような手法で私たちの洞察をつつみこむことも、そのように生きる一つの方法です。苦痛とか暴力とかが、笑いとばすことのできる冗談事でないことは確かです。しかし、頭脳のほうはたとえ微笑みをもってしてもさほどたやすくは近づけないにせよ、心のほうは微笑みによって――自分自身に対する笑い、またよくある自身の滑稽な愚行に対する笑いも含めて――ふれることができるものです。笑顔は対話への可能性を広げることができます。そして笑顔はまた、暴力の犠牲となっている人々の苦しみに私たちがいつまでも無関心のままでいるのを許さず、そうした人々への憐憫の情を私たちの心にかきたててくれます。
 私は対話を、討論のほとんど対極に位置するものと見ています。討論には、勝者と敗者が存在します。討論者の一方が、相手の述べる価値と事実の間の矛盾や、価値または事実のいずれかにみられる矛盾を突いて、相手側を打ち負かすわけです。ところが、対話のほうは、どのような方向に進もうとまったく自由です。初めから結果がどうなるかわかっている対話に参加するのは、時間の無駄です。対話はお互いを豊かにするものでなければならず、そこにはただ勝者のみが存在します。対話者は両方とも――自己の洞察力という――持ち札をすべて卓上に出して、手の内を見せます。あとで使うために切札を隠しておくようなことは、一切ありません。
 愛と同じく、対話は寛大なものです。それは、美しくすらありうるのです。私はいつも、対話の相手に対してだけではなく、人間のもつ可能性としての対話それ自体に感謝しています。イギリス人は対話が非常に巧みな国民ですが、彼らはおそらく「対話とは、往時のブルジョア的な意味での“よき会話”である」と言うことでしょう。
 池田 対話と討論を厳しく区別しようとされる博士の脳裏には、たとえば古代ギリシャのソフィスト(詭弁派)の存在がおそらく思い浮かんでいるのでしょう。巧みに弁論をあやつって、黒をも白といいくるめるような彼らのやり方は、もちろん首肯できるものではありません。
 私の言う対話とは、博士もおっしゃるように、互いを豊かにする開かれた精神と精神との語らいです。さらに付け加えて申し上げれば、真実の対話とは、率直かつ誠意を尽くしての“戦い”でなければならない。相手の機嫌を損ねないようにという“偽りの親しさ”に満ちた語らいでは、所詮、何の実りももたらされないでしょう。
 また、対話とは、あくまでも「一人」対「一人」の白熱した魂の打ち合いのなかにこそ真に成り立つものであると思います。多人数の議論も、それなりの価値はあるでしょうが、やはり私には、二十五人を超える人たちの間でなされる論議はほとんど実りがないとしたベルクソンの意見が、思い起こされてなりません。人数が多くなれば、それだけ真摯な語らいは影をひそめ、相手をやりこめようとする気持ちだけがつのってくる。つまりは、ソフィストたちの跋扈です。これこそ、ベルクソンが「論争にはすこしも信頼を置いていない」と語ったゆえんでしょう。
 対話とは、〈人間〉との出会いです。虚飾もなく衒いもない、全人格と全人格とのぶつかり合いです。たんに言葉のやり取りにとどまらぬ、〈人間〉と〈人間〉との全面的なふれあいです。その意味で、博士もご指摘なさったように、書物やテレビ・ラジオにもまさる全人格的交流の豊かな可能性が、対話という行為のなかには秘められているのです。ゲーテも「書くということは、おそらく言葉の乱用だ。文字を黙読することも、生きた対話の、みじめな代用物でしかないだろう。人間は『個体』によって、あらゆる可能なものを直接人間につたえるのだから」と語っています。
 それゆえ私は、対話というものを、人間としての最も崇高かつ重要な行為として最大限に尊重し、またみずからも実践してまいりました。この信念と行動は、生涯貫いていくつもりです。

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