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日蓮大聖人・池田大作

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「世界市民」の心  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

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1  池田 博士は世界各地をよく旅行されるとうかがいました。今まで何カ国ぐらい訪ねられましたか。またいちばん印象に残った国は?
 ガルトゥング さて、ほとんどすべての国を訪ねたことになるかと思いますが、じつは百二十カ国ほどを訪問した後は、もう数えるのをやめてしまったのです。すべての国は、良くも悪くも、人間の生き方そのものを表現しています。またさまざまな民族主義のなかには、健康的なものも病的なものもあります。ある国民――とくに、自分たちを「神」とか「歴史」とかによって選ばれた民族と見なしている国民――は、自分たちの意志を他国民に押しつけてはそのふるまいをあれこれ命令したがり、それゆえに破滅的な働きをします。私はそういう国をあまり好みません。
 それよりも私がずっと感銘を受けるのは、フィンランド、スイス、カナダ、またコスタリカやウルグアイの諸国、北極地方のサミやイヌイット、さらにアフリカのいくつかの民族、たとえば過去の歴史は必ずしもはっきりわかりませんが、ケニアのマサイ族とか現在のガーナ南部のアシャンティ族などです。また、そうできたはずなのに拡張主義をとることがあまりなかった中国と、そして、強大な大国に隣した位置にありながら生き延びてきた日本にも、感銘を受けています。フィンランドとカナダも、それぞれきわめて強大な隣国と接しながら、これと似た形で生き延びてきた国です。
 私が平和研究者として最も興味をひかれるのは、各国が、たんに侵略するとかしないというだけでなく、強大な隣国からの圧力に耐えうるという点で、他国とどうかかわっているかです。さらに私は、各国が平和な世界共同体を築くうえで、いかに積極的に――思想をもって、イニシアチブをもって、時には財力をもって――貢献するのかを見ようとしています。
 もし、最も感銘深い国をどうしても一国だけ挙げよと言われれば、それはスイスになるでしょう。言語的に四つの民族、宗教的に二つの民族からなるスイスは、そのいかがわしい銀行業にもかかわらず、大いに尊敬に値する団結を示しています。さらには、ある種の男っぽい好戦的な気質にもかかわらず、他国を刺激せずに専守防衛に徹しているスイスの姿勢には、きわめて感銘深いものがあります。
 スイスは一つの同盟――「スイス同盟」とも呼ばれ、また、その古代の呼び名ヘルベティアから名づけられた「コンフェデラチオ・ヘルベティカ(スイス人の同盟)」も今なお同国の公式名称です――として発足しましたが、今日のスイスはむしろ連邦国家の形態をなしています。こうした構造上の改変は、しかし、それが単一国家的な形態になった場合には、みずから墓穴を掘ることになりかねません。単一国家というものは、多くの諸民族を閉じ込めてきた監獄のような体制だからです。そのような構造は永続性のあるものではありません。また最近のソ連、ユーゴスラビア、チェコスロバキアの例からも知ることができるように、多民族による連邦制にも永続性がありません。しかし、スイスには実際に私たちの心を大いに鼓舞し、希望をいだかせてくれる命脈が残っており、このため私はしばしばスイスやその近隣の地を拠点として暮らしております。
 池田 “すべての国”が印象深い――端的なお言葉に、博士のコスモポリタン(世界市民)としての風貌を見る思いがします。
 私も、人間としての生き方そのものを通し、一個の「世界市民」でありたいと願い、行動してきたつもりです。いずこの国であれ、そこには人間がいる。民衆がいる。私は、ただ人間のため、民衆の平和のために動き、働きつづける――これが、一人の赤裸々な人間としての変わらぬ信条です。
 今から二十年近く前、SGIの発足となったグアム島での「第一回世界平和会議」のさい、全員が署名し合ったのですが、私は署名を求められた時、国籍欄に「世界」と記したことがあります。これも「世界市民」でありたいとの信念をこめてのことでありました。
 アジア、中東、ヨーロッパ、ソ連、北・中南米――私が全世界へ歩みを重ねてきたのは、一国や一宗派の利害を超えて「人類益」のために貢献することが、仏法者としての当然の使命であると確信しているからです。
 アメリカルネサンスの旗手エマーソンは、哲人プラトンの精神性について、次のように述べています。「ギリシャの、とある町の市民である彼(プラトン)は、どの村にもどの国にもぞくしてはいない。プラトンを読んだ感想を、イギリス人なら『じつにイギリス的だ』といい、ドイツ人なら『じつにゲルマン的だ』といい、イタリー人なら『じつにローマ的で、ギリシャ的だ』という。アルゴスのヘレネには、誰も彼もがそれぞれに、彼女とのつながりを感じるほどの普遍的美しさがあったと伝えられているように、プラトンもまた、ニュー・イングランドの読者にはアメリカの天才だと思えるのだ。彼の広大な人間性は、あらゆる区別をこえているのである」(『エマソン選集6』酒本雅之訳、日本教文社)と。
 師ソクラテスが、国を問われたのに対して「アテナイ人」と答えずに「世界市民」と答えたという話はあまりにも有名ですが、弟子プラトンもまた、広大にして普遍的な人間性を備えた「世界市民」でした。
 偉大なる人格は、国境を越え、民族の違いを超えて、世界のあらゆる人々と“魂の共鳴音”を奏でることができるものです。
 ところで、博士が挙げられたスイスについては、私もこれまで四度、訪問しています(一九六一、六七、八三、八九年)。美しい自然と、迎えてくださった方々のあたたかな真心は忘れ得ぬ思い出となっており、今も絵のように浮かんできます。
 スイスと言えば、透徹したコスモポリタンでもあったアインシュタイン博士にゆかりの深い国として知られていますが、博士はチューリヒのスイス連邦工科大学を卒業し、その後も長くスイスで活躍し、「相対性理論」もかの地で誕生しました。みずからスイス国籍を取得し、この国の美しい国土と人間性豊かな人々を心から愛し、誇りとしていたと聞いています。
 また、偉大な教育者ペスタロッチも、スイスが世界に誇る人物です。私は、若き日にペスタロッチの伝記をつづったことがあり、彼の生涯や思想について、日本の青年たちにいくどとなくスピーチもしてきました。
 ペスタロッチは、自分自身を「世界の作品」であり「人類の作品」であると位置づけて、こう語っています。「わたしは世界の作品としてのわたしを、わたしの運命がわたしを投ずる世界のどんな片隅にもふさわしいものにしなくてはならない」(『ペスタロッチ6』虎竹正之訳、玉川大学出版部)と。世界のすみずみにまで行きわたる人間精神の普遍の光を信じ、希求しぬいた彼の生涯は、まさにコスモポリタンとしての闘争の人生でした。
 こうした「世界市民」たちを生みだしてきたスイスの風土と歴史は、博士が「私たちの心を大いに鼓舞し、希望をいだかせてくれる命脈が残っている」と評価されたように、人類の調和と協調への希望となるにちがいありません。
 ガルトゥング 名誉会長もご自身を「世界市民」と位置づけておられます。それは、大乗仏教の一つの必然的な帰結と考えますが、いかがでしょうか。あなたのような仏教徒であり「世界市民」である方は、「国家」の枠や「民族主義」「人種差別」などとは無縁であると思うのです。
 池田 おっしゃるとおりです。古代インドの仏教者は、「四方の人」と呼ばれていました。地域にとらわれず、国籍を超えたコスモポリタンとして行動していたのです。仏教の「縁起観」に立ち、「人類意識」「宇宙大の意識」に生きる者として、それは当然の生き方であったといえましょう。
 また、日蓮大聖人は、当時の日本の権力者を“わずかの小島の主”とされ、悠然と見下ろしておられました。大乗仏教の精神に立脚した「世界市民」は、おっしゃるとおり、偏狭な「民族主義」とは、まったく無縁です。
 では、その「世界市民」の意識は、仏教のどのような思想の大地から育っていくのでしょうか。仏教の教えの主な柱の一つは、先ほども博士が指摘されたように、「無我論」であり「縁起観」です。“我”も含めて、ありとあらゆる宇宙の現象は、互いに「縁」となって生まれ、また滅しているのです。ですから、かみくだいて言えば、“これは自分だけのものだ”とか、“自分(の階級・民族・国家)だけが特別、すばらしいのだ”というような小さな「とらわれ」「執着」は、もてなくなります。
 真の仏教者は「個人のエゴ」「民族のエゴ」「国家のエゴ」を超えるのです。すべてが関連し、連鎖していると見るわけですから、いかなる差別の「カベ」も認めません。
 仏教がめざし、イメージする、「縁起」や「空」の世界を、人間の社会の在り方でいえば、すべての人々が、“互いが互いを支え合っているのだ”“皆、かけがえのない使命の人なのだ”とする「尊敬」の世界です。
 また“自分と他人は「不二」であり、切り離せない”、ゆえに“他人の幸福に尽くすことが自分の幸福を増すことに通じる”という、エゴイズムを超えた「慈愛」の世界です。さらに「縁起」「空」の知恵がつつみこむのは、人間と人間の関係にとどまりません。人間と他の生物、人間と地球の関係にもおよびます。
 その知恵に目覚めるとき、そこには、万物を結ぶ「生命の連帯感」が生まれてきます。「信頼」と「慈悲」「非暴力」のエネルギーが躍動してきます。そこでは、暴力や戦争、環境破壊など、「生命の連帯の糸」を断ち切るような「悪」のエネルギーは、駆逐されざるをえません。
 以上のように、仏教の「縁起」「空」の知恵の土壌からは、「世界市民の意識」「人類意識」「“生命の一員”意識」が、必然的に芽生え、育っていくといえるでしょう。

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