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日蓮大聖人・池田大作

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楽観主義という財宝  

「平和への選択」ヨハン・ガルトゥング(池田大作全集第104巻)

前後
1  池田 一九九〇年去る三月、博士とお会いしたさい、ご自身の物事に取り組む姿勢を「どんな困苦難題に直面しても――たとえば国がドイツ軍に占領されたり、父親が強制収容所に入れられたり、姉たちが国外に亡命したりしても――それは必ず乗り越えられる」という「楽観主義」であるとされ、それを身につけるにあたって母上の影響について言及されており、私は、深い感銘を受けました。
 じつは、わが家も、私の幼いころ、家業が傾き、赤貧洗うがごとき困窮を極めた時期がありました。そんななかでも母は「うちは貧乏の横綱だ」と、努めて明るくふるまっていました。そんな母親の姿から、私たち子どもたちがどれほど励まされ、勇気づけられたか計り知れません。
 また、私は、フランスの哲学者アランの「楽観主義は意志のものであり、悲観主義は気分のものである」という言葉が好きです。みずからの信念のままに進みゆく不屈の意志の人の眉宇には、つねに明日を信じ、未来に希望の虹をかけゆく、徹した楽観主義がたたえられているものです。
 この透徹した楽観主義こそ、多くの人を魅了し、勇気づける人格の芯を成すものであり、幾多の紆余曲折はあっても、最後の勝利を勝ち取っていく源泉であると思うのです。
 ガルトゥング 私は悲観主義とは、私たちのだれもがそれを購う余裕などない、わがまま勝手な贅沢であると思っています。悲観主義は、カネはかかりませんし、知的にも安あがりです。たしかに悲観的になる理由は、私たちの心の中にも世の中にもたくさんあります。それらの理由は、撥ねつけても無視してもなりませんし、無くなるよう願って無くなるものでもありません。それらは、しかるべく対処しなければならないのです。挑戦は受けて立たねばなりません。
 それらに対処するときに私がいつも用いる公式は「頭では悲観主義者であれ。心では楽観主義者であれ」ということです。楽観主義と悲観主義は、私たちの日々の、いつまでもつづく「内なる対話」のなかで、互いに絶えず挑戦し合わざるをえません。しかし、もしどちらか一方が完全に優位に立つことが許されるとすれば、挑戦のプロセスそれ自体が絶えてしまいます。
 平和運動のリーダーは、現代のいかなるジレンマにも必ずや平和的解決への手段があるという、楽観的な自信にあふれていなければなりません。しかし、その自信も、たんなる保証や、誓約や、「私を信じなさい」式の話以上のものでなければなりません。しっかりとした論拠に裏打ちされたものであるべきです。真のリーダー――一九五〇年代のシシリー島のダニロ・ドルチや、一九六〇年代インドのジャヤプラカシュ・ナラヤンのような人たち――は、たんに羊の群れを追う羊飼いのように自分に従う人たちと一緒に歩むだけでなく、それ以上のことをしているものです。たとえいかに絶望的な状況の下でも、彼らは事態を「診断」し、「予知」し、「療法」を考えだしています。楽観主義といっても、一般に見られる性格のものでは不十分であり、正当な理由にもとづくものでなければなりません。
 私が敬服している楽観的な政治家が二人おります。一人は南アフリカのフレデリク・デクラークであり、もう一人はミハイル・S・ゴルバチョフです。デクラークは、地雷原のような一触即発の状況のなかを――少なくともこれまでのところ――最小限の暴力のみでうまく切り抜けてきましたが、これは彼の真の政治的偉大さを示すものです。私たちにとってまことに幸運なのは、彼がもう一人の偉大な人物、ネルソン・マンデラと同じ時期、同じ国に生きているということです。ミハイル・ゴルバチョフについてはまた後ほどふれたいと思いますが、彼もまた、人類が授かった贈り物です。
 マーチン・ルーサー・キング二世は「私には夢がある」と言いましたが、まさにこれこそ楽観主義の源泉です。大事なのは、そうした未来像のすばらしさではなく、たとえ現時点・現地点からそこにいたるまでの道のりが、そしてまた現在の見通しが、いかに絶望的に見える場合であっても、必ず心にいだいたビジョンに到達できるという強い確信です。
 あらゆる民族は皆、そうした未来像をもつことによって発奮することがあるものです。その一例がハワイの先住民です。一八九三年に、その大半がアメリカのビジネスマンである一団の人々がハワイ王国を征服して以来一世紀を経ましたが、これを契機として、以後、一八九八年のアメリカへの併合、そして一九五九年の州への昇格といったプロセスが進行しました。白人がハワイ諸島にやってきて以来、先住民の人口は約八十万人から約八千人へと減少しています。これは、大量殺戮が行われた結果と言っていいでしょう。それにもかかわらず、先住民たちは、いつかはハワイ諸島の一部を全面的に支配しようというビジョンを、いだきつづけています。ますます多くの先住民たちが土着の伝統に誇りをもつようになり、自分たちをアメリカ本土の「アメリカ先住民」と比較するようになってきています。彼らのなかにはハワイ諸島を一つの独立した、多種類の文化をもった国に、つまりさまざまな種類のハワイ人――ハワイ土着のハワイ人、日系ハワイ人、アメリカ系ハワイ人等々――にとっての故郷にしたいと願っている人もいます。
 いつの日か、十分に練り上げられ、十分に夢がふくらみ、十分に熟慮された未来像の「磁力」によって、やがて彼らの目標が達成されるかもしれません。しかしそれは、ことわざの「待てば海路の日和あり」式に到来するものではありません。未来像を実現するにあたっては、やがてその時が到来するだろうなどと考えるのはナンセンスです。時とは、私たちの後からこっそりとやってくるというものではありません。私たちが主観的・有機的時間(カイロス)を創り出すのです。客観的・物理的時間(クロノス)の方は天体や原子時計に――少なくとも今のところは――任せておけばよいのです。
 ユーモアも、楽観主義をもたらすもう一つの源泉です。涙や、心配事や、恐怖は、無感動や意気消沈をもたらすことがありますが、微笑みは活力を与えてくれます。しかし、ユーモアを使うには慎重さを要します。ものごとを冗談めかすことによって、大事な問題そのものを曖昧にしてしまうことがままあるからです。
 池田 まず「頭脳の悲観主義」「心情の楽観主義」というご指摘に、たいへんに興味をおぼえました。博士の言われる「熱意と懐疑」の両立とは、「幾何学的精神」と「繊細な精神」――いわば“頭脳とハート”の調和を説いたパスカルの視点にも通ずるのではないでしょうか。
 ところで、私は幸いにも、博士が挙げられたインドのナラヤン氏、南アのデクラーク前大統領、ゴルバチョフ元ソ連大統領の三人にお会いし、有意義な語らいを交わすことができました。“インドの良心”と呼ばれたナラヤン氏との対談(一九七九年二月十一日)では、ガンジーの思い出や非暴力主義などをめぐって語り合いました。デクラーク氏との会談(一九九二年六月)では、「対話」というものの重要性が話題になりました。デクラーク氏自身、つねに「対話第一」で、人間と人間の心の交流を大切にされる方です。「私は、あなたがたと友人になりたい」とは、デクラーク氏の大統領時代のキャッチフレーズです。また、諸外国の人々にも「相手がだれであれ、和平を結ぶ方法は一つしかない。対話を始めることだ」(イスラエルで)等と、開かれた心で呼びかけていました。
 私との会談の折にも、デクラーク氏は次のように述懐されていました。「私たちの国の最大の問題の一つは、人と人の間に非常に根強い『不信感』があるということです。しかし私は信じます。たとえ敵対者でも、互いに率直に、またオープンに対話することによって、そうした不信感のかなりの部分を取り除くことができる」と。
 一方、博士が「人類が授かった贈り物」と称賛されたゴルバチョフ元大統領もまた、優れた「対話の人」であることは、いうまでもありません。冷静な現状分析と、苦境を切り開く信念に裏打ちされた、真実の「楽観主義」――それは「開かれた対話」という行動に表れると、私は考えます。
 透徹した対話者であったソクラテスは、パイドンに向かって「ぼくたちは、ある心の病気にならないように気をつけよう」と語りかけました。心の病気、つまり「言論嫌い(ミソロゴス)にならないようにしようということだ」と。「ちょうどひとが人間嫌い(ミサントローポス)になるというのと、同じような意味でね。なぜなら、およそ人の心がおちいる状態で、この、言論を忌み嫌うということほど、不幸なものはありえないのだから。言論を嫌うことと人間を嫌うこと、この二つの状態は同じような仕方でやってくる」(『プラトンⅠ』藤沢令夫訳、『世界古典文学全集』14所収、筑摩書房)
 「言論嫌い」は「人間嫌い」に通ずる――まさに至言です。圧政や戦争など、あらゆる反人間的な行為は、言論を封殺し、対話を拒絶するところから始まります。裏を返せば、「言論」「対話」とは、人間を信じ、愛する力によってこそ継続され、熟成され、価値創造の花を咲かせることができるといってよいでしょう。
 デクラーク、ゴルバチョフの両氏が、幾多の障壁を超えて、目覚ましい政治上の業績を残しえたのも、その独創的な対話・行動を支えた「人間への信頼」という資質によると私は見ています。
 ソクラテスとパイドンの「対話」は、ご存じのとおり、ソクラテスが毒杯を仰いで死にいたる直前に交わされたものです。にもかかわらず、眼前に迫った自身の「死」について語る哲人の語調は、きわめて闊達な、明るささえ感じさせる力強い響きをたたえています。それは、ソクラテス自身がいだいていた「魂の不死」への揺るぎない確信によるものです。
 こうした例からも明らかなように、楽観主義といっても、周囲の状況や相手の出方いかんによって決まるのではありません。それでは相対的・一時的なものでしかありません。自分自身の確固不抜の「信念」と、そこから生まれた「希望」こそ、本当の楽観主義であると思うのです。

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